135落ちる
雲一つない青空に浮かんでいるのは、カーキ色のジャケットを着た、老人である。
髪は真っ白だが、グレイのボルサリーノをスタイリッシュにかぶっている。
老人は、まさに空に浮かんでいた。
雲一つない空に浮かぶ雲のように、全く揺らぎもせずに、高層ビルの上空にピタッと浮き上がっている。
艶やかに光る白とベージュの革靴は、まるで戦闘機のボディのようだ。
戦えば死ぬ。
それは誠にも判っていた。
相手は、超音速戦闘機とドックファイトをする影繰りなのだ。
皆を乗せてフワフワ飛ぶ誠とは、同じ空を飛ぶと言っても、意味が全く違った。
目の前に浮いている老人が最先端音速機であるなら、誠は気球だ。
話にもならない。
だが老人は、名指しで誠に決闘を挑んでいた。
平地にはネズミの群れ。
そして上空にはスカイウォーカーが誠たちを上下から挟撃していた。
勝てない…。
空を飛ぶことに特化した影繰りがスカイウォーカーなら、誠は昆虫のようなものだ。
一応、無様な姿ではあるが、飛ぶ能力もある。
だがそれは、甲虫が弾丸のように一直線に飛び、壁にぶつかって落ちるように、限定的な力なのだ。
新宿は、高層ビルが並んでいるから、何とか影の手を伸ばして、狭い範囲は動けるが、その外側にあるのは、摘かむところの何もない空気の連なりでしかなかった。
音速で飛ばれたら僕は…。
思うが、しかし、決闘を断ればスカイウォーカーが何をするかは明白だろう。
誠は、よろり、と立ち上がるしかなかった。
あの防犯カメラの映像が頭に浮かんだ。
カメラの一コマに映り、次の一コマには既に飛び去る影だけが見えた。
おそらく、眼で追う事すら出来ない…。
(奴を掴め、誠)
颯太が囁く。
まぁ、確かにそれで誠も音速で飛ぶことは出来る。
ただ、それでは凧のように引っ張られているだけなのだが…。
しかし、眼でも追えないよりは、凧になって引っ張られる方が、いくらか戦っているような形になるのは事実だった。
本質は、機能が全く違っているので、話にもならなかったが…。
誠は、空を飛んでいるのではない。
何かを掴んで、移動中、その区間の間、足が浮いている、程度のものだ。
このスカイウォーカーは、今、現在も、空中に雲のように浮かび続けていた。
まさに飛行する影繰り、なのだ。
影繰りは、そのイメージによって能力が変わってくる。
おそらく、スカイウォーカーの飛行は、アメコミの超人の飛行と同じような現象なのだろう、とその姿を眼前にした誠は思う。
誠が何とか食らいつくには、颯太の言うように、スカイウォーカーに掴まるしかなかった。
しかし…。
どう戦えば良いのか、誠には全くイメージがつかめなかった。
誠が負ければ、後のメンバーがどうなるのかは明らかだった。
だから誠は、どんな卑怯でもイカサマをしてでも、スカイウォーカーを殺さなければならなかった。
勝負に勝っても、実質的に性能が違いすぎる以上、スカイウォーカーを生きて返す訳にはいかない。
だから誠がするのは、殺し合いだ。
なんとか誠が、スカイウォーカーを殺さなければ、仲間は全て皆殺しにされてしまう。
とにかく、音速で飛行されたら最後、誠は何もできずに死ぬことになる。
やはり、颯太の案に乗る以外、方法は思いつかなかった。
誠は、影の手でスカイウォーカーを掴んだ。
「ほう?」
薄く、老人が笑った。
「戦おうとするだけ、多少の骨はあると見える」
僕一人の死なら、既に諦めていたかもしれなかった。
だが、さすがに小学生まで道連れにする訳にはいかない。
どんなに無様でも、とにかく戦いには勝たなければならななった。
誠は、一気に距離を詰めた。
貼り付いてしまえば、そのまま内臓の一部でも破壊できれば、だいぶ何パーセントかでも、勝利の目は出てくる。
だが、老人は、鋭い蹴りを放った。
誠は、硬い老人の革靴の先端で、背中を蹴られた。
「動きが直線過ぎるんだよ!」
ガァ、と痛みに誠は叫ぶ。
が、影の体が老人の足を捉えた。
カット!
それは小野真子の、ささやかな影能力だ。
だが、誠の透過と融合すれば、決してささやかではない破壊力を持つ。
誠は、老人の強靭な左足の太ももに走る頑強な靭帯を、切断した。
ングッ!
老人は、叫びを飲み込んで、上昇する。
逃げられてはいけない!
上空に颯太を飛ばせて、老人の脳天に踵落としを敢行した。
が、靱帯断絶の痛みに耐えながら、老人は首を横に傾けた。
老人の、ビルドアップされた肩の筋肉が、颯太の踵を、マットレスのように受け止めた。
駄目だ!
逃がせない!
老人の背筋を、カットする!
グァ、と老人は背を反らせた。
影の手を伸ばして、老人の体に誠は這い上る。
内臓だ!
それは致命ダメージになる!
誠は右腕で、靱帯断絶して、ぶらりと垂れ下がったスカイウォーカーの足にしがみついた。
が…。
「君はなかなかだよ。
だが、それじゃあ、私には勝てないな…」
誠の腕は、確かに老人の足を掴んだはずだった。
だが。
誠は、いつの間にか高度千メートル近く舞い上がっていた空中から、なぜかツルリと、滑り落ちていった。




