調子を合わせて
「おいおい、リングごと吹き飛ばそうか?」
ワインレッドのドレス姿のレディが、分銅を振り上げた。
「よしなさい。
あたしたちまで蒸し焼きになるわ!」
と、美鳥。
そこは巨大な扉を抜けた先、誠がコンクリートを落とした奥にある通路だった。
穴は急速に狭くなっており、なるほど韮山反射炉のように熱を集めそうだった。
リングはその通路一杯に広がっており、ここを素通りしては先に進めそうもない。
「じゃあ、僕が戦おうか?」
とカブトは楽しそうに笑うが、
「止めておけ」
とクロコダイルマンが止めた。
「おそらく、あのリングそのものが奴の影だろう。
たぶん、あのリングの中では、本物のモハメッド・アリにでも全盛期のマイク・タイソンにでも、奴はなれるはずだ。
ヘビー級のボクシングチャンピオンって言うのは、どんな近接戦に長けた影繰りより、リングの上なら強いぜ」
「えー、ただのアスリートになんて負けないよ!」
とカブトは抗議するが、
「いや。
あれはヤバいぜ!」
とバタフライが教えた。
「あれは、陣形型影繰りだ」
「あー、なんか聞いたことあるな?
なんだっけ?」
首を傾げるカブトに、バタフライは。
「陣形に入った敵に対して、絶対的な優位を持つ影繰りだよ。
そこでは奴が主人公だ。
ぜったい傷つかないし、絶対負けない」
「無敵って事か!」
レディは唸る。
「ま、蟻地獄はあの砂の穴込みで蟻地獄な訳だ。
引き摺り出しちまえば、なんてことない」
バタフライは言うが、唸って、
「だが、こういう場所に陣形を張られたら、本当に困るのも事実だがな…。
それでも2、3人で入れるなら、例えばユリと一緒なら、何とか対抗も出来るんだが、あそこまでゴリゴリの接近戦専用だとちょっとマズい」
「アタシがぶちのめしてやるよ!」
とユリコが鉄パイプを担いでリングに向かうが、
「無理だ。
ただの近接戦じゃ無いんだ。
絶対に勝てない」
と、クロコダイルマンがユリコを止めた。
「じゃーどーするんだよ。
これ、完全な足止めだろ!」
カブトは抗議するが、
「陣形から出しちまえば、ぜんぜん勝てる相手なんだ。
何とか策を練って、奴を陣形から出すんだ」
とバタフライが教える。
「じゃあ、やっぱり燃やすか!」
にぃ、とレディが不穏な笑顔を浮かべると、弟も同じ表情を浮かべた。
「僕なら、透過を使って逃げ回れば…」
誠が言うが、
「止めろ、お前の顔に傷がつけば、真子が困る!」
とユリコが、真子に同情して言った。
「私が行きましょう」
瘦せた男が呟くように言った。
レディたちと一緒に来た男だ。
「レディさん、この方は?」
誠が聞くと、
「誠、お前も会っただろう、ハニーちゃんの店の2階でスナックを経営している日蔭さんだよ。
この人、控えめに言って、新宿最強の影繰りなんだ」
レディが、瘦せた中年男をほめたたえた。
「いやいや、そんな大したことでは無いんだが…」
と日蔭さんは、普通に照れている。
「日蔭…、何か聞いたことはあるな…、あんた確か、アラブの方で…」
と、言いかけて、バタフライは。
「あ、いや済まん。
詮索する気は無いんだ…」
と、慌てた。
だが日蔭さんは責めるでもなく、静かに笑って。
「昔の事ですよ。
ただ、ここは私に任せてもらえませんか」
クロコダイルマンはポカンと、
「おいおい、大丈夫なのか?」
言っているが、バタフライはクロコダイルマンに。
「この人なら、おそらく大丈夫だ。
1対1に特化した、とんでもない影繰りだよ」
と教えた。
日蔭さんは、誠よりは背が高いが、カブトと大して変わらない程度だ。
白髪の目立つ短髪に、おとなしすぎてジジくさい眼鏡をかけた、強そうなところの何もない人だった。
その人が、別に自信をみなぎらせた訳でもなく、ニコニコと恥じながらリングに向かっていった。
「良いんですか?」
誠が美鳥に聞くが。
「レディがあれだけ言ってるんだから、確かに強いんじゃないの。
仮に負けても…」
肩を竦めて。
「レディの知り合いの事なんて、特にどうでもいいわよ」
とハッキリ匙を投げた。
日蔭さんは、灰色の上着を脱ぎ、薄いセーター姿になった。
そしてリングを上がっていく。
筋肉の塊のような黒人は、ニッカリ笑い、
「勇気ある挑戦者をたたえよう」
と、薄笑いを浮かべながら手を叩く。
男は、赤コーナーから立ち上がり、軽くジャンプしながら、
「もうゴングを鳴らしてもいいかね?」
と、自分の胸ほどの身長の日蔭さんに笑顔で聞いた。
「ええ。
構いませんよ」
眼鏡も取らずに日蔭さんは了解する。
すると、リングの端に設置されていたらしいゴングが、
「カーン」
と、やけに明るく響き渡った。
黒人は、ゴングと同時に日蔭さんの顔面に、鋭いパンチを撃ちおろした。
が、チャンピオンの拳は空を切った。
奥に数メートル離れて日蔭さんは立ち。
「きょう…朝から…ハサミの音もかろやか…」
小さく、どうやらリズムを取りながら、歌い始めた。
「羊かる、その仕事場に…」
チャンピオンは、
「影で瞬間移動という訳か…。
だが、そんな程度で…」
男は、数度トントンと跳ねると、すぐに日蔭さんに接近する。
日蔭さんは、
「…白い、その巻き毛…」
歌っており。
チャンピオンが、日蔭さんの白髪の頭部に、用心深くジャブを放った。
が、日蔭さんは、消える。
と、同時に、チャンピオンの頬に、10センチ程の傷が生まれた。
「調子を揃え…、くり、くり、くり…」
男の真横に出現した日蔭さんは、手に刃渡り10センチ程のハサミを持っており、刃は、今、閉じられたように開きかけ、血の欠片が飛んでいた。
ハッ、と黒人は日蔭さんの顔面を殴ろうとするが、日蔭さんは背後に現れると、
「ハサミの音も軽やかに…」
言いながら、チャンピオンの耳を、ハサミで切り落とした。
ひ…。
ハマユが声を出す。
「おい、子供が見ないようにしろよ」
ユリコは言うが、自分はリングから目が離せない。
「…ざーやかに…」
耳から血を吹き上げながらも、チャンピオンは振り返りながらパンチを放つ。
が、日蔭さんは真横に現れ、チャンピオンの、もう片方の耳をハサミで切った。
「…羊は丸裸…」
キィィィ、とチャンピオンは悲鳴か、怒声か判らない甲高い叫びを上げ、距離を取ろうとするが、その逃げた先に日蔭さんは現れ、ハサミで鼻をジャキンと切った。
「調子を…」
チャンピオンは恐慌し、ドタ、と倒れるが、日蔭さんはリングから上半身を覗かせ、
「くり、くり、くり…」
言いながら、男の筋肉で分厚く装甲された脛を、無造作に、ジャキンとハサミで切断した。
ハサミも、どうやら影の力であり、刃が通る分だけの肉は問答無用で切断できるものらしい。
「ハサミの音も…」
がぁ!
叫び、足を抑えてリングを転げまわるチャンピオンの、片目が切断された。
「…軽やかに…」
日蔭さんは、現れたと思えば、消え、消えたと思えば別の場所に立ち、
チャンピオンは体中を切り刻まれる。
「くり、くり、くり…」
歌が響いた時、リングが消え、血だらけの男が、そこに倒れていた。
男は、2メートルの巨魁でもなく、黒人でもなかった。
さえないハゲかけた白人男だ。
男は血みどろで、大汗を掻き、寝そべっている。
「賢明な判断でした。
もう少し続けたなら、致命的な傷を負わさざるを得ないところでしたよ」
日蔭さんが、眼鏡を光らせ、落ち着いた口調で白人に話していた。




