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まだ昼間だったので、私は依頼をこなすべくギルドを離れた。結局は害獣退治の依頼を受けることにしたのである。
母娘についてはツェシカ嬢に任せてきた。
配達をやっているか訊いてみると大丈夫とのことだったので金貨数枚を渡して当座に必要な家財道具を売店で揃えて運び込むよう頼んでおいたのだ。
ついでに鍵を持っている母娘も運んでくれるらしい。使用する部屋は1階を適当に選ぶよう言ってある。
下級冒険者である私だが、害獣退治を重点的に行った結果、肉の売却金額が積み重なっている。
しかし私が金を持っていても基本的に無駄なので常に散財し続けなければならない。寄付も度が過ぎれば本人たちの為にならないので、あの母娘は丁度いい追加の散財先になりそうである。
――さて、この辺りだ。
私は『高速飛行』の魔術を解除し家の前に降り立った。依頼は山から降りてくる害獣から畑を守るために害獣を退治して欲しい、という内容である。依頼の山が目の前のものなので最寄りの家が依頼主の家である可能性が高い。
近くの畑に居た農家に話を聞くと依頼をした本人だった。夜間に被害が出ているらしい。
挨拶を終えて山に向かう。農家の彼の見立てでは猪と鹿の両方とのこと。早速山に向けて魔力の探知波を放った。
結果としては猪と鹿が比較的多い。被害の規模よりも頭数が多いので一部が山から降りてきているのであろう。異様な気配は無いので餌場を追われているわけではなく、増え過ぎによる食糧不足が原因か。
生態系を破壊しないよう、それぞれを半分ほど間引きすれば依頼達成と考えて良さそうだ。
私はあまり命を奪うのは好きではない。
しかしこれは人間を中心とする社会に於いて遅かれ早かれ起こる自然淘汰である。私が実施せずとも起こる事ならば、この悲しい気持ちは私の個人的な感傷に過ぎないのだ。
私は山へと進入し、巣穴で寝ているところを気配を殺し一撃で仕留めていく。山全体の約半数に当たる10頭ずつを回収し山を降りた。
依頼者を再び訪ね、現物を見せて依頼達成のサインをもらう。ついでに猪を1頭を進呈しておいた。こうすることで、次回の依頼を発注してもらいやすくなるのである。ランク3の依頼は価格も高いのでランク2の依頼にならないかと交渉される事も多いのだそうだ。
私は獲物を空間収納へと仕舞い、再び高速飛行を開始した。
◇ ◇ ◇
「ポンさんお疲れ様です。相変わらずお早いお帰りですね」
ギルドに帰って来るとツェシカ嬢から笑顔で挨拶された。最近似たような事を言われた気がする。
別段生き急いでいるつもりは無いのだが……ああ、読書時間の確保のために手際を意識している節はあるかも知れない。
「依頼達成処理を頼む。解体の委託をしてくるのでゆっくりで構わない」
余裕に欠けた生き方を反省しつつ、依頼票を渡し移動しようとすると珍しく呼び止められた。
「あっ、ポンさん。ちょっと待って下さい」
振り返ると何やら袋を指差している。
「ちょうどギルドマ――手の空いている者が居ましたので食材の買い出しをやらせ――やっておきました。ご準備はまだですよね?」
なんと。気が利くことだ。
食材と言っても異世界の食材である。分かるわけがないので、店員に言われるがまま購入するしかないと半ば諦めていたのだ。
「まだだ。それは助かる」
「代金は依頼料から引いておきますね」
「ああ、それで問題ない。ありがとう」
量の基準がよく分からないが抱えるほどの袋2つを空間収納に入れた。1つは穀物のようだ。
人の食事の5割は穀物だと聞いた事がある。聞いた通りの分量の様だ。
いや、日持ちの面から考えると穀物以外の割合が多いのだろうか?
重量から考えると穀物の方が明らかに重い。
5割というのは重量の話だったか体積の話だったか……。
今一つ思い出せない知識を思案しつつ未処理のまま運んできた獲物を窓口に委託し、依頼料の残金を受け取り、少額だったのでそのまま募金箱に投入してギルドを後にした。財布の皮袋は空間収納に入れてあるので、次元に干渉する魔力コストを勘案すると少額の為に開閉するのは若干無駄が多いのである。
さて、まだ昼下がりの時間帯だ。
予定ではここから町に行って食材の買い出しを行うはずであったが、時間にかなり余裕ができた。買い出しに行ってくれたギルドマという人物には重ねて感謝せねばなるまい。
私は図書館へ向かう。
今日は返却物が無いのでそのまま本棚へ向かい、係の者に断りを入れてから浮揚して目的の場所へと接近する。
――冊数に変化は無いようだ。
いや、空隙が若干右に寄ったような……!
無いはずの心臓が跳ねるような感情。
おお、おお!
7巻がある! 9巻まで返却されている!
今度は10巻から12巻までが借りられているが、それは先の話である。今は続きが読める喜びを噛み締めるべき瞬間だ。
幼子のように飛び付きたくなる気持ちを抑え、万感の思いで7巻を手に取った。
む、6巻の終わり方はどんな形であったろうか。
隣の6巻の最後を少し開いて確認する。
ああ――そうであった。こんな良い所で終わったのであった。……これは続きが楽しみだ。
私は3冊を手に取り意気揚々と貸出カウンターへと向かった。今日はなんと素晴らしい日なのだ。
◇ ◇ ◇
足取りも軽く家へと帰り着いた。
気持ちの上では高速飛行の魔術で帰るか迷うくらいの心境ではあったが流石に外聞が悪かろうと自重することにしたのである。
扉のノブを握ると鍵が掛かっているようだ。
なるほど、鍵が何本存在するか分からない状況では防犯上鍵を掛ける選択が正解である。
あまりここに人が来るとも思えないが、裏を返せば助けも来ないという事なのだ。用心するに越した事は無い。
私は扉に魔力を流して一時的に支配すると、鍵に干渉して解錠する。
「あっ。おかえり。先にお邪魔してます」
扉を開くと、居間の安楽椅子を漕いで遊んでいたらしい娘が私に気付き声を掛けてきた。本当にしっかりした子だ。母親の方は部屋で休んでいるようである。長旅であったろう、無理も無い。
私は部屋を見回す。
見ると入り口扉の横のフックに鍵を引っ掛けてあるのが分かった。これはこうやって使うのか。
扉を閉めて再び施錠し、鍵をフックから取る。そして魔力物質化で鍵を3つに複製して2つをフックに戻し1つを回収した。
「――すごい。今のってどうやったの?」
見遣ると娘が安楽椅子から身を乗り出していた。
少し危ない。いや、角度的にそうでもないか。
「魔力の物質化だ。全ての物は分解すると根源の魔力へと戻る。その逆もまた然り。魔力を変質させれば全てのものを作り出せる」
「簡単に聞こえるけど凄い極論」
ふむ、確かに。私の中では当たり前の話だったので考えたことも無かったな。中には不可逆のものも在って然るべき、だな。一度は例外を探すべきであろうか。
「難しい言葉を知っているのだな。まだ幼いのに感心なことだ。……すまないが食材の置き場を決めてもらえないだろうか」
空間収納から取り出した食材の袋を抱えて途方に暮れる。台所に持って行ったはいいが、こういうものは普通の場合どこに仕舞うのだろうか。
「自分の家なのに? ギルドの人が言ってた通り。そこの棚で良いと思う」
「ギルドの者は何と?」
指示された棚に食材を並べながら尋ねる。人間ではない私のことをどこまで知らされているか確認しておいた方が良いだろう。
娘は言い出しにくそうに数秒口ごもっていたが諦めて教えてくれた。
「えっと。『生活感が無さすぎてびっくりするかもね』って言ってた」
……なぜ知っている。
いや、普段の様子を見ていれば分かる事か……。
私は止まってしまった手を再び動かし始めた。
◇ ◇ ◇
「それよりも。水瓶はあるのに水が無いの。井戸って近くにある?」
食材を並べ終えたので振り返った。そのまま見回すと、水場の隣に子供が入って遊べそうなくらいの大きさの瓶が置いてある。
なるほど。これに水を入れておいて生活用水を確保するわけか。
「井戸の場所は把握していない……。不動産屋は遠いと言っていたな」
このままでは生活に不便であろう。私は魔力を水属性に変換し、水瓶を満たしておく。これは日課にする必要がありそうだ。
「また! それ魔法? 何魔法?」
む? 娘が反応した。
子供はこういう非日常の光景が好きだな。
「先程と同じだ。魔力を水に変えたのだ」
「魔法とは違うの?」
「違うとも言えるし、同じとも言える。私が居た世界では『魔術』と呼ばれる、人が行う魔力変換の技術だった。こちらの世界では『魔法』という神の力に依存した法則が使用されているようだな。魔力を事象に変換するという目的に違いは無いが、そこへと至る手段にかなりの違いがある」
娘は不思議そうな表情を見せる。
「――あなたも他の世界から来たの?」
あなたも――?
私の様に、空気の薄い次元の狭間を通り抜けて世界を渡っても死ぬことのない存在が他に居るのであろうか。少なくともあの母親から産まれたのであろうこの娘は該当しないはずだ。
娘はちらりと母親の休んでいるであろう部屋の方を見遣った。母親が起き出す気配は無い。
「私には――前世の記憶があるの」
前世の記憶?
この娘がそうだというのか。時折表れている、見た目に合わない言動はそれが原因か。そしてその前世は別の世界だったということならば先程の台詞も納得がいく。
たまに聞く話ではあるが、その当事者と話をする機会は私も初めてである。珍しい事もあるものだ。
「前世の私の生きた世界には魔法も魔術も無かったの。だからこの世界に生まれて来て見るもの全てが珍しかった。――でも気付いたの」
そこで娘は私の横の空間を眺めていた視線を私へと向け直し、睨み付けてきた。
「――私にはチートが無い!」
沈黙が生まれた。
チートとは何であろうか……?
首を傾げた私に彼女は説明をしてくれた。
なんでも、転生を経験した者にはその特典として強い基礎能力が付与されて然るべきらしい。
そしてそれら様々な種類の強力で有用な基礎能力たちを総称してチートと呼ぶのだそうだ。
そんな常識は聞いた事が無かったのでよくよく話を聞いてみると、元の世界の物語本の中のお決まりであったらしい。
「転生の時点でドラマチックなんだから、その展開を期待するのが筋」
――とのことだ。だが現実は甘くなかったらしい。
散々に苦労を重ね検証を繰り返した結果、彼女には特別な能力など発現しなかったのだ。
「でも、あなたを見付けた。――本物のチート」
少女の目が光る様を幻視するような、低い声色だった。
◇ ◇ ◇
少女は何かを読み上げるように、目を閉じゆっくりと口を開いた。
「――家の中を見たら何も無い。寝具に食糧、照明すら無い。それでいて清潔な室内、完璧な補修が施された建物、刈り揃えられた庭。――明らかに優先順位がおかしいの」
言いながら安楽椅子に深く腰掛け始めた。台所のテーブルに対して横付けする形で設置してあるため、私から見たら急に横を向いて話し始めた形になる。
何が始まっているのだろう。
借りて来た本が読みたい。
「明らかに人ではないナニカ。でも性質は善良。あなたは一体何者――⁉︎」
そう言って閉じていた目を開き私を見た。
今のくだりは最後の部分だけで良かったのではないだろうか。
いや、こういうのも本の読み過ぎなのかも知れない。『無駄を愛せよ』とは誰の言葉だったであろうか。
騒がしくなりそうなので内心自室を2階に、椅子はこのまま返って来ない気がするので新しいものを改めて準備することを本格的に検討しつつ私は彼女の質問に回答する。
「隣の山の上にあるリステリア魔法学園、そこの生徒の使い魔として召喚された異界の魔物――それが私だ。魔物としての分類は吸魔といい、魔力を根源とする魔力生命体だ。名はポンという」
私の自己紹介に少女は少しだけ眉間を上げた。
あまり驚いていないように見える。
「へぇ――脇役にしては盛り過ぎ、くらいの設定量ね……。私の名前はフロッサ。――冒険者と元洗濯屋従業員の娘よ」
3秒も溜めて言う内容ではない。別に洗濯屋を卑下するわけではないが内容が普通だ。
いや、普通の両親から産まれた割には本人の設定が盛られ過ぎているのか?
いやいや、昨今の物語では主人公の両親が普通というのも珍しくない。
後から『実は両親も強かった』という逆転の展開がある事を加味すると、むしろ両親が最初から有名人である必要は無く、それが月並とさえ思えてくるから不思議だ。
……少々彼女に毒されてしまったかも知れない。
脇道に逸れてしまった思考を立て直し、私は口を開く。
「それでフロッサ。お前の目的は何であろうか。母親にも打ち明けていない秘密を私に話し、何を為そうと考えている」
少女――前世を加算すると成人女性と見るのが妥当だが、肉体年齢に引かれているのか、子供の演技を続けている内に違和感が無くなってしまったのか、元からそういう性格だったのかは分からないが、仕草は年相応なので少女と呼称する――はびくりと肩を震わせて目を円くした。
「な、なんで秘密にしてるって……」
打ち明ける前に母親が来る気配が無いか探っていたのだから丸分かりである。つまり無意識の行動か。
「母親から捨てられる可能性を恐れたか? 旦那を亡くしたばかりの身重の女性が、生きていくために危険を冒して旅に出た。そしてその手にはお前の手がしっかりと握られていたのであろう? どれほど大事に思われているかなど、疑問を差し挟む余地が無いほどの愚問だ。チートの有る無しを気にしていたが、お前の価値はそんな所には無い。もっと愛されている自覚を持つべきだ」
少女の眉尻が下がる。
自分でも分かってはいるようだ。
◇ ◇ ◇
「でも……いざ話すとなると……前世の記憶がある子って気持ち悪くない? どんなに愛されていても、もしかしたら一瞬で嫌われるかも知れない。そんなのは嫌。――だから私はこの世界で成功したい。親子の絆だけじゃ心配。笑って『そうなんだ』って言ってもらえるくらいの幸せを手に入れて、今なら嫌われないっていう自信が持ててから打ち明けたいよ……」
欲張りな事だ……。気持ちは分からなくも無いが。
私は少し考える。
この子は感情を優先するタイプのようだ。特に身内に関してはその傾向が強い。
究極的に合理性を考えるならば、前世の異界の知識や社会経験を活かす道もあったはずだ。それをしなかった、できなかったのは母親との関係が壊れることを恐れ、その1歩を踏み出せなかったからであろう。
つまり母親を愛する余り、母親からの愛を信じ切れないのだ。何というジレンマか。
私は頭を振る。
「そのチートとやらが無い現状では遠い道程だな。それで私に何を求めるのだ? 私が使い魔である都合上、ここにはあと数年しか滞在しない予定だ。保護するにも限界はある」
何ならこの家を使わなくなり次第無料で譲っても構わないが、水場が遠いので喜ばれるかどうかは微妙な所だとも思っている。
「ステータスオープン!」
おお。急に奇声を発するのは止めて欲しい。何やら渋い顔で『やっぱり出ないか……』などと呟いているが何の儀式だったのだろうか。
――娘は溜息を吐くと向き直り、私をジッと見つめた。
「私は強くなりたい。世界一じゃなくてもいいから家族を守れるくらいの強さが欲しい。もしかしたら成長チートかも知れないし」
後半が良く分からなかったが、要は鍛えて欲しいということだろうか。
しかし私にも学園長からの依頼がある。四六時中この子に付いて鍛えるというのも不義理である。少しくらいなら誤差の範囲であろうが。
それに半年以内には子供が産まれ、あの母親は本格的に身動きが取れなくなるであろう。その間の家事はこの娘がせねばなるまい。訓練どころの話では無くなるのが目に見えている。
――その間の金銭的援助くらいが想定の範囲であったが、そうなってくると話が変わって来るな……。
達成を阻害している要件は何か。
今の私に不足しているもの……。
――今の私に足りないものは手数である。
出産と産後のケア、少女の訓練、冒険者としての活動継続。この3つを同時に行う必要があるわけだ。
誰かに応援を頼む事ができるだろうか。何なら人を雇ってもいい。私が冒険者として活動する事自体が目的の一部なので、そこに矛盾は無い。
「ふむ……。冒険者に依頼を出してみるか」
「えっ。今すごい話跳ばなかった?」
凄く不思議そうな顔をされた。
そこまで飛躍していないつもりなのだがな。
◇ ◇ ◇
「フロッサを鍛える要員が必要、という話だ――。できればついでに野草摘みに付き合えて護衛役も兼ねられる人物なら尚良し。ならば下級冒険者が妥当であろう」
「冒険者を雇うの? 勿体無い気がする」
「そんなことはない。私が付きっきりならば収入が小さい。私が別の依頼で稼げば収入が大きい。つまり資金の先細りが防げる」
「なるほど」
2人で方針について打ち合わせをしていると、個室の方から生活音が聞こえ始めた。やがて扉を開けて母親が姿を見せる。一休みしたおかげか精神的にも落ち着いた様子だ。
「おはようお母さん。体は辛くない?」
「おはようフロッサ。ええ、大丈夫よ」
母親はフロッサに微笑むと私に向き直った。
「この度は本当にありがとうございます。何とお礼を言って良いか……。まずは自己紹介をさせて下さい」
母親はアンナ=ヘールべと名乗った。エイラもそうであったが、この世界では平民も家名を持っているようだ。
私は自己紹介を返し、余っている部屋の有効利用を図っているに過ぎないので、必要以上に恩を感じることの無いよう伝えておく。
そして連絡事項として私は2階の部屋を使用する旨と、1階は遠慮なく使用して構わない旨を伝えておいた。
「そして気付いているかも知れないが私には食事も睡眠も必要ない。入浴の習慣も排泄の習慣も無いので、この家にはもしかしたら足りないものが色々とあるかも知れない。もし不便を感じれば都度教えてくれ」
母娘は揃って頷いた。
驚いたり怯えたりという反応ではないので、ギルドの者からある程度聞いていたのであろう。
――ならば先程のフロッサの芝居掛かった一幕はいよいよ何だったのかという話になるのだが、碌でもない結論になるのが見えているので考えるのをやめた。
「お母さん。晩御飯作ろう」
仲良く夕食の支度を始めた親子から視線を外し、私は2階に向かった。使用していないこともあり、実は2階は未踏破区域である。魔力による探査と清掃は行なっているので間取りくらいは把握している。
1階の奥にある階段を上ると、2階の右奥角に出る。
廊下が壁沿いに端まで伸びており、部屋の扉が3つ並んでいるという単純な間取りだ。
一番手前の部屋にしようとして思い止まる。
一番手前の部屋だと親子の部屋の真上に当たる。
子供が産まれた後の夜泣きを考えると真上を避けた方が互いに気を遣わずに済むのではないだろうか。
そう考え、ここは一番奥の部屋にすることにした。
扉を開けると部屋が変な形をしている。台所の真上に当たる部屋なので煙突用のスペースが確保されているようだ。まぁ、別に良かろう。
◇ ◇ ◇
「ギルドとしては、そういう理由での冒険者への依頼はお勧めしません」
翌朝、ツェシカ嬢に相談すると断られてしまった。
下級冒険者の育成という面から考えると、子供の護衛というのは経験量が足りないそうだ。知識も得られず難易度も低く責任も軽すぎるのだという。
「借金奴隷の購入をお勧めします」
借金奴隷? 響きが物騒だ。この世界には奴隷制があるということか。精神的な文明度は低くないと感じていたのだが……。
しかし話を聞いてみると最低限人権に対する意識というものはあるらしい。
戦争による奴隷の略取は禁じられているそうだ。
同様に人身売買も禁じられてはいるのだが、自分自身に限り年齢制限付きで売却が許されている。それを借金奴隷と呼ぶらしい。
なんでも、自身の労働力を売却することで得られる金で借金を一括で完済し、利息の膨らみを防ぐ選択もあるのだそうだ。
購入した者は衣食住を提供することで低賃金の労働力を得られる。
借金奴隷となった者は自身を買い戻せるまで低賃金で魔法的に拘束されるというわけだ。
話を聞く限りでは必ずしも非道を強いられるわけではなさそうである。
しかし拘束される年数を考えると効率としてはどうなのか。
「それは本人の事情にもよります。何らかの理由で人並みに働けない場合、利息すら払えなければ借金は増え続けます。例え健康体でも、充分に稼げる仕事に就いていなかったり、金額が大きすぎる場合なども同様です」
なるほど。金額が膨らむのを止められない事情がある者が利用する制度なわけか……。
話としては悪くない。もちろん実情を確認して違法性の有無を見る必要はありそうだ。
あとはどのような者を雇うか――。
フロッサの冒険者活動に付き合えるような者と家事が出来る者――2名が妥当なところか。
だが私の考えだけではなく、実際に生活をする親子の希望と意向を確認しておいた方が良いであろう。
年齢や性別などを私の独断で決めてしまうのは軽率であるかも知れない。
「非常に参考になった。その方向で進めてみることにする。購入できる場所を教えてくれ」
私が礼を言うと、ツェシカ嬢は町の地図を取り出して説明してくれた。意外にも町の中心部付近に店があるらしい。怪しい店ではない可能性が少し上がった。
いや、その判断はまだ早計か……。
◇ ◇ ◇
一旦自宅へと戻り、親子に借金奴隷購入の件を提案してみた。
「反対意見などございません。希望があるとすれば女性の方が助かります」
母親の方はそう言って微笑んだ。最初は遠慮している態度だったが、段々と遠慮するだけ労力の無駄だと分かって来たらしい。適応力が高くて助かる。
出産を控えている状況で周囲に男性が居ても確かに使い勝手が悪かろう。当然の判断か。
「私も行って一緒に選びたい。一緒に住む人を選ぶなら、自分の目で見て判断したい」
フロッサの方はそんな事を言い出した。
母親のアンナを見ると、娘を止めるべきか迷っている様子だ。
――自身があまり出歩けない以上、私だけではなくフロッサも向かわせた方が良いとは思うものの娘の年齢の点で迷いが出たという所か。
子供を奴隷商に連れて行くのには私も確かに反対だ。あまり教育上よろしくない。
しかしフロッサに限って言えば、中身が大人なのでその心配は要らない。むしろエイラ辺りなら「任せるから適当に選んで来なさい」などと言いそうなところを自分も同行すると言っているのである。立派なことだ……。
「大丈夫。私に任せてお母さん。借金奴隷の購入はその人を助けることにもなるんだよね? 絶対良い人を選んでくるから」
娘と見つめ合う母親は、我が子の目に理性の光を見出したようだ。悪影響を受けずに目的を達する確信を得たのだろう。力強く頷いた。
「ええ。フロッサに任せるわ。お願いね」
「うん。任せて」
一応私の予算の都合というのもあるのだが……。
……ここで言うのも野暮か。
店に着いた際、店に前提条件として申告すれば済む話かも知れない。今は黙っておこう。
斯くして、フロッサと連れ立って町の中心部まで歩いていくことになった。
家の外に出ると、一昨日降った雨の影響で若干湿度が高いものの散歩には丁度いい日和である。
フロッサはと見ると丁字路にある祠の女神に何やら祈りを捧げているようだ。
「前世は信心深かったのか?」
「ううん。全然。こうやって伏線張っとけばピンチの時に女神様がファーッと来て助けてくれるんじゃないかと思って」
……何と不純な動機なのだ。
どの道、小娘1人分の祈りでは神格の類いを現世に降臨させるほどの熱量は作れまい。無駄とまでは言わないが気の長い話になりそうだ。
数万人規模の祈りを同時に行い、なおかつ祈りを捧げられた対象がお調子者ならば気まぐれに助けてくれることもあるかも知れないが、大概は無駄に終わる。神格が真面目な性格であればあるほど、応える願いを絞れず何もできないのだ。
世の中とは上手く出来ているものである。
◇ ◇ ◇
「奴隷購入展開キタ。……楽しみ」
道すがらフロッサが静かに興奮している。
前世の記憶に似たような展開の物語があったということだろうか。奴隷を買って働かせる、暗い展開の物語になりそうな気がしてならない。
「ポンさん治癒魔法使える?」
唐突だな。だが問題無い。フロッサが怪我をしているわけではなさそうだ。歩く素振りに異常はない。
「ああ、怪我の治療は可能だ」
「それはどのくらいまで完全に治せるの?」
「死んでさえいなければ完全な治癒が可能だ。もちろん治療の最中に死んでしまうと無理だが……。多少無茶をすれば過去に失った四肢も復元が可能ではある」
「それかなり凄いよ」
そういえば私がどのくらいの能力を持っているかについて具体的に話したことはないかも知れない。だからこそ訊かれているわけだが。
「じゃああの作戦が使えるわけか。うふふ……」
何やら横で含み笑いを始めた。もう町中に入っているので怪しい行動は控えて頂きたいものだ。
とは言え特に作戦など無い私よりも作戦があるらしい彼女の方が今は頼りになる。なぜか一抹の不安は拭えないのだが、お手並みを拝見したところで別に損は無かろう。
何より隣でこうも楽しみにされると制止できないという理由もある。
町の中心部が見えてきた。中心部とは言っても小さな町なので役場がある程度で領主の館があるわけではない。領主は不在で業務を役場に委託しているような町である。もしも貴族の人数を増やすことがあればこの町にも貴族が赴任してくることもあるであろうが、今のところそのような噂は無い。
「あれが奴隷商だな」
「結構立派だね」
役場とは中央広場を挟んで対角に位置する大きめの建物が奴隷商のようだ。さすがに公的機関ではないようだが後ろ暗さは見受けられない。
危険も無さそうであるし早速入るとしよう。
「あっ。ちょっ。心の準備が。待って待って」
隣で慌てる声が聞こえるが知らん。
見たところ人の出入りも多少はあるようである。良い人材は早い者勝ちであろうから早く入った方が良いに決まっているのだ。
私は横目でフロッサが付いて来ているのを確認しつつ奴隷商の中へと踏み込んだ。
◇ ◇ ◇
「アリセム商会へようこそ。本日はどのような御用向でございますか?」
中に入ると小部屋になっており広めの廊下が続いていた。廊下の手前にはカウンターが設置されていて笑顔の男性が座っている。
仄かに魔力の気配がする黒い厚手のチョーカーを首に装着している辺り彼も借金奴隷なのであろう。低賃金という話なので経費削減か。
「購入希望だ」
「ありがとうございます。それでしたら2通りございます。ご自分で待機部屋を回られて検討される方法。こちらには1名案内が付きます。もう1つはお部屋で待っていただき、ご希望の条件に合う者を職員が見繕ってご案内差し上げる方法です」
ちらりとフロッサの方を見遣ると何やら指を回して合図を送っている。きっと自分で見て回りたいのであろうが、分かりづらいので声を出して欲しいものである。
「では待機部屋を回る方で頼む」
受付の男性は私達の遣り取りを見てくすりと笑うと了承し身分証の提示を求めてきた。ギルドカードを渡して手続きを進めてもらっていると、フロッサが小声で話し掛けてくる。
「――怪我して働けなくなった人が狙い目。元のスペックが高い人を安くで雇うチャンス」
なるほど。そういう作戦か。治してやれば本人の為にもなるので特に反対意見は無いが、そういう作戦会議は店に入る前にやっておいて欲しいところだ。
しかし本当に身動きが取れないレベルでの怪我ならば奴隷として働くこともできないので、ここに居るのはある程度の状態の者に限られるであろう。ならば彼女が期待するほど安くないのではないだろうか。
まぁ……予測に過ぎないので現段階では黙っておこう。何事も経験である。
「お待たせしました。係の者が参りますのでもう少々お待ち下さい」
男性はギルドカードを私に返却し、廊下の角に待機していた者に合図を送った。合図を送られた方は頷くとどこかへと消える。案内係を呼びに行ったのであろう。
ほとんど待つ事なく現れた案内係の男性に連れられ私達は待機部屋へと向かった。
1階の広い廊下に連なる部屋は基本的に接客用らしく、奥にある階段で2階へと真っ直ぐ向かう。
「ご希望などはございますか?」
ふむ。正直に言うべきか?
治療が可能なことを黙っていたとしても別に詐欺にはならないであろうが、積極的に怪我人を求めたら不審がられることが容易に想像できる。
「家事ができる者を探している。妊婦の世話を含むので女性が望ましい」
最初に開示できる情報としてはこの辺りが限界か。
フロッサも頷いていないで主張してほしいものだ。
◇ ◇ ◇
最初に案内された部屋は、豪華絢爛と言うと言い過ぎだが普通よりも金が掛かっていることが露骨に伝わってくる部屋だった。
フロッサは不思議そうな顔をしているが、最初に良いものを見せておくのは商売の常套手段である。今は無理でも金に余裕が出てきたら買ってもらえるかも知れないので、とりあえず見せておく方が商機が広がるのだと過去の知り合いが言っていた。
扉を開けると、部屋の中には座り心地の良さそうな椅子に座った女性達が数名談笑している。皆艶のある服を着こなしており、整った容貌をしていた。
家事に向いている人物は居ないような気がするのだが、必要とする日が来るかも知れないので選択肢として把握しておけば良かろう。
「価格帯を訊いても良いだろうか」
「金貨で300枚以上の者たちです」
……手が出ないな。
フロッサは小声で『さんぜんまんえん⁉︎』と良く分からない驚き方をしていた。彼女なりの金銭感覚があるらしい。
家事に向いていそうな者が居る部屋に移動したい旨を伝えると、案内係の彼も長居する気は無かったのであろう、素直に頷くと退室を促した。
次の部屋は少し離れた木の扉の部屋である。ただし両開きなので大部屋なのかも知れない。
例の商売人の知り合い曰く、良い商品の後は悪い商品を見せるのだそうだ。それを見て良い商品に心が動けば良し、悪い商品を買ってくれても処分が出来てありがたい。普通の商品を先に見せたら悪い商品は絶対に買ってもらえないから悪手なのだそうな。
需要や用途にもよると思うので一概には言えないのではないかと反論した記憶がある。懐かしいな――。
記憶の彼の商売論はともかく、私達の求める人材がここに居る可能性は高い。居なければ普通の者達から選べば良い話なので気負う必要も無いのだが。
「こちらは金貨20枚未満の者たちです」
部屋に入るとベッドが並んでいる。大部屋になってはいたが使用されているのは数名分だけのようだ。
そういえばここは小さい町であった。そこまで豊富に取り揃えているわけもないであろう。
どういう者が居るか見回すと、さすがに傷も癒えぬまま呻いているような状態の者は居ない。しかし四肢のどれかを一部欠損し義手や義足を付けている者がほとんどのようだ。
「いかがなさいますか?」
「まずは話を訊こう。家事をこなす分には問題ない者が居るかも知れない」
案内係の男性は頷き扉の前を譲ってくれた。
猪の肉1頭分で金貨1〜2枚貰える事を考えると、金貨20枚というのは人の値段としてかなり安い。
それすら返済できないような状況ならば、手の届く範囲くらいは助けてやりたいものだ。
◇ ◇ ◇
「居たんだ……獣人……」
フロッサが何かに反応した。
良い人材を見付けたわけではなく珍しいものを見付けた反応である。真面目に探してほしい。
彼女が見付けた者を見ると、頭部に巻き角を備えた女性がベッドに座っている。カインズ氏の知識を検索すると――羊の獣人に該当するようだ。
なるほど。フロッサが驚くのも無理は無い。私も初めて見た。獣の因子を体の一部に持つ人種を獣人と呼ぶらしいのだが、目立つので彼らはあまり故郷を離れないのだそうだ。珍しがられて散々な目に遭うのが分かっていればそうなってしまうのであろう。
中には好奇心旺盛な若者が冒険者として故郷を飛び出す例もあるようで、冒険者としてなら多少は見かけるのだそうだ。人間の初心者が集まるこの町では見かけないのも仕方ない。
羊獣人の女性は目を閉じており、その目蓋には痛々しい傷が刻まれている。視覚以外は問題なさそうである。
「彼女は羊獣人です。冒険者としての活動中に目をやられてしまっています。相棒の猫獣人が庇いながら連れて帰って来たので命は助かりましたが、彼女の目と猫獣人の両腕が犠牲になりました。家事は行えるかも知れませんが速度は期待できません」
男性は悲痛な表情で向かいのベッドを見た。
頭部に黒い猫の耳を付けた女性が快活な笑顔を見せているが、その両腕は肘から先が無い。受けた傷が深過ぎて切断するしか無かったのだろう。
「良かったら2人セットでいかが? アタシが目になってその子が手を動かせば家事くらい何とかなるなる!」
「アリシア……!」
羊獣人の方は咎めるような声を出した。
――ふむ。元冒険者か。
視覚を失った仲間を庇いながら町まで連れ帰るのは簡単なことではない。それほどの技量と仲間意識は正直惜しい。軽口に聞こえる台詞も相棒と離れたくない気持ちが裏に隠されているように感じる。
食費が2人分掛かるというデメリットも隠されているが、そこは気付かなかった事にしよう。
これは良い人材ではないだろうか?
フロッサを見ると小声で『語尾がニャじゃない⁉︎』というよく分からない衝撃の受け方をしている。恐らく彼女なりの期待を裏切られたのであろう。
「一考の価値がある意見だ。後は価格の問題なので、他の人材と比べてみて安いようなら2人まとめて引き取ろう」
「本当ニャ⁉︎」
「うむ。部屋数が台所を抜いて6、住んでいるのは私とこの娘とこの娘の母親の3名だ。作業量としてはそこまで酷くない。何とかなるはずだ」
「なるニャ!」
猫獣人だけでなくフロッサも目を輝かせて頷いている。『語尾がニャ』というのは恐らくこういうことなのであろうが、興奮しないと出ない癖のようなもののように感じる。あまり期待すると後でがっかりするのではなかろうか……。
◇ ◇ ◇
――結局あの獣人2名を購入する事にした。
稼ぐ手段を失った彼女らは、治療費以外に借金はしていなかったが返済の目処が立たず、即奴隷商に転がり込んだのだそうだ。
つまり価格が安かったのである。
普通の奴隷が金貨で平均50枚程度。対し彼女らは猫獣人のアリシアと羊獣人のメリルの2人で金貨20枚という破格の安さだった。
そういうわけで、特に怪しまれる事なく予定通りの人材を雇い入れることに成功したわけだ。
「良い買い物したわぁ」
フロッサが清々しい表情をしているが、彼女は店で特に何もしていない。強いて言えば私に作戦内容を伝えたくらいである。家での頼もしさは何だったのか。
それでも結果的に想定通りの人材を確保しているのだからもしかすると私に対し何らかの心理誘導を……いや、それは無いな……。
人数が確定したので帰る前に寝具と衣類と食材を購入しておいた。ついでに母娘の寝具に寝心地がイマイチではないものを購入しておく。
帰り着くと母親のアンナが昼食の支度を終えようかというところであった。
「お母さんただいま。2人連れて来た」
「おかえりフロッサ。あらまぁ獣人の方なの? 珍しいわね。お口に合うかしら」
「悪いが昼食は少し待ってくれ。先に治療を済ませた方が食べやすいだろう。アリシアとメリルの2人はそこの椅子に座ってくれ」
「治療?」
「治療ですか?」
不思議そうにするフロッサを除いた一同に指示を出して座らせた。まずは目の方から治していこう。
通常の治療とは違い、過去の部位欠損の復元は難易度が高い。現在の形で治療が完了してしまっているからである。
方法論を述べると2通りある。
1つは再び傷付け、再生の方向を強制的に捻じ曲げる方法だ。こちらは言わずもがな苦痛を伴う。
しかし治癒魔術を使える者なら誰でも挑戦が可能だ。
もう1つは時間を操る方法である。健常であった頃まで創部の時間を戻すのだ。こちらは時間が経ち過ぎていると難しいのだが、1年以内程度ならば創部以外との拒絶反応が起こりにくい。
今回行うのは後者である。生まれつき時属性をもっているならば比較的容易な作業なのだが、持っていない私が行うならば少々無茶をする必要がある。
――私は空間に干渉し、神域への扉を開く。
現世の空気と神域の空気が混ざり発光現象が起こった。そのまま神域に拘束している存在へと手を伸ばし、自由を求め暴れるものを力尽くで抑え付けながら純粋な時属性の力を奪い取る。
「何コレ、何コレ凄い綺麗」
奪った時属性の魔力を変換する。
水銀の様に重たく不定形に変化する扱いづらい力だが、やり方が分かっていれば失敗する事もない。
指示を与えた力を羊獣人の目に送り込む。それは与えた指示の通りに時間を戻し、傷を癒した。
最後に神域の扉を閉じれば作業完了である。
「メリル。目を開けてみろ。元のように見えるはずだ」
どうなるか予感はしていたのだろう。
恐る恐る開けられたメリルの両眼から止めどなく涙が流れて落ちた――。
◇ ◇ ◇
「アリシア……! 見えます。あなたの顔が」
「本当に⁉︎ 良かった! 良かったニャ!」
喜んでいるところに悪いが次に移ろう。
長時間放置すると危ないので閉じていた神域の扉を再び開く。同様の手順で先程よりも多めに引き摺り出した時属性の魔力を、今度は2つに分ける。
無限に持っているのだから多少抜いたところで無限のままなのだ。遠慮する必要など無い。
両手に分けた魔力を両方同時に変換していく。神経を使う繊細な作業である。もちろん私に神経など無いのだが気分の問題だ。
只の魔力と違い個性的で素直に言うことを聞かない癖の強い魔力だが、1つ1つ指示を与えて完成を目指す。大丈夫。問題なく変換が完了した。
「――アリシア。腕をこちらに」
相棒の背に回されていた二の腕が外され、私へと伸ばされる。その腕と瞳は不安と期待に震えていた。
私は頷くと完成した魔術を彼女の腕へと浸透させる。時は戻り、何も無い空間から滲み出るように、彼女の腕は即座に元通りの姿を取り戻した。
アリシアは数秒呆けたように自身の両手を見つめ、自然と湧き出すように大粒の涙を次々と溢す。
ぎゅっと強く握りゆっくりと開かれる両手は、その存在を確かめるように何度かそれを繰り返された。
「アタシ……あき、諦めて……ああっ!」
「アリシア……!」
抱き合う2人に絆されて母娘も涙ぐんでいるようだ。不自由を強いられ様々なことを諦めねばならなかった境遇がこれで改善されたわけだ。これからは奴隷からの解放と新しい生活をより積極的に目指せるであろう。
「私は寝具と衣類を部屋に設置してくる。私は食事をとらないので遠慮なく食べ始めて構わない」
「感動のシーンなんだからっ……!」
告げて早速向かおうとするとフロッサから苦情が入った。もう少し見守るのが人情というものらしい。
仕方ない。確かに急ぐ用事も無いな。
「あの……ありがとうございます。まさかこれほどの待遇が得られるとは思っておりませんでした。治療費はどのくらいお支払いすれば……」
「アタシがいくらでも稼いでやるよ!」
張り切る2人には悪いが私はゆっくり頭を振る。
「購入したものの整備を行ったに過ぎないのだ。金など取らん。人手不足で購入したのだから真面目に働いてくれればそれでいい」
それを聞いたメリルは感激した様子で手を組んだ。
「神様って本当に居たんですね……!」
あんな適当な連中と一緒にしないで欲しいものだ。
む? 時の神の力を奪って治したのだからある意味正しいのだろうか。少なくとも実在はする。
私が1人で首を傾げているとフロッサが呆れた様子で口を開いた。
「ポンさんって本当マイペースだよね……」
私は私の速度で動くのだ。何を当たり前のことを。




