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学園に帰還して数日後――。
私は寮の部屋から追い出された。
別に契約を解除されたわけではない。正確な表現をすると、寮の部屋での主人との同居だけが拒否された形になる。
確かに乙女の着替えのタイミングで入室したのは私の配慮が足りなかったのかも知れない。
しかし成長期なのだから悲観せずに希望を捨てるなと良いことを言って励ましたはずなのだが――不思議と主人の怒りを買い、もう町に入れるのだから普段は町に居れば良いと部屋から文字通り蹴り出されてしまったわけだ。
ううむ――。
エイラの魔法使用成功率は上がってきている。
杖も帝王からいつの間にやらお詫びの品としてせしめていたらしく新調されているようであるし、転移門を作成できるようになった今、私は主人の近くに侍る必要自体が無くなったと言える。
使い魔としてそれで良いのかという葛藤はあるのだが、主人の言にもまた従うべきではある。
ならばとりあえず寮に居ない事で不都合が発生することがあれば再検討する方向で従っておこう。
私は追い出されたその足で学園長のカトー氏に挨拶し、恐らく内部的に管理責任のある彼へ町に居留する旨を報告しておく。
反応としては慌てるでもなく、むしろ不動産屋を紹介してもらえた。
どうやら良い判断だったようだ。
「そうだ。これ言っとかないと。新しい家が決まったら町の役場に行って住民票を更新しておいてね。後回しにすると絶対忘れるから。——それにしても追い出されるとか、君本当に見てて飽きないよね……ぷぷっ!」
……楽しそうで何よりだ。
私は眉を寄せる事で遺憾の意を示しつつ忠告に感謝し、座っていたソファから立ち上がる。
「もう行くのかい?」
「ああ、まだ朝ではあるが家探しには時間が掛かるかも知れない。行動は早いに越したことはないだろう」
カトー氏はおもむろに指を1本立てる。
「念の為もう1つ忠告。住民票も大事だけど、家が決まったらエイラ君の方にも居場所を報告しておくこと。君はそこらへん無頓着だからね。あと例の頼み事の件は急いでない。何なら年単位で待てる案件だから達成次第また来ておくれ」
むっ。……ありえそうだな。
そしてそういえば冒険者活動のきっかけはカトー氏からの頼み事だったか。確か上級冒険者にしか入れない地域があるとか何とか。
「――了解した。冒険者ランクを上げた際、また話を伺おう。忠告の件も抜かりなくやっておく」
私は頷くと、町の不動産屋に向かうべく学園長室を後にした。
◇ ◇ ◇
さて、不動産屋の前にやって来た。
領主などが存在する封建社会にも関わらず土地の個人所有が認められるのか謎だったので、道すがらカインズ氏より取得した法律知識を検索していたのだが、どうやら町の中であれば権利の購入も主張も可能なようだ。
しかし金の力のみでの台頭を防ぐためか、購入可能な面積に制限があるらしい。
一応例外として町の外の農地に関しては面積の制限が緩和されるそうだがこれも今は必要ない知識か。
不動産屋の勧めてくる家が面積基準を超えているはずもなし、そこは信用して他の条件から検討すれば良かろう。
学園長から紹介された不動産屋は、木造の店の前面に色とりどりの花が咲く花壇があり、扉の上に赤い布が小さな屋根をかたどる可愛らしい雰囲気の店だった。
店主のセンスを感じさせる。
「おう。いらっしゃい」
扉を開けると筋骨隆々の難しい顔をした壮年の男性がカウンターの向こう側に腰掛けて待ち構えていた。
一瞬違う店の扉を開けてしまったかと思い、店の壁と掴んでいる扉の位置の相関関係を確認したが、間に別の扉が無い以上間違いないようだ。
脳裏にカトー氏の喜ぶ顔が浮かぶ。文句の一つでも言ってやりたいが、更に喜ばせるだけに違いない。
まぁ、人相の良し悪しと物件選びのセンスが比例するとは限らないのだ。
先入観だけで判断するのは良くない。
「家を購入したい。なるべく小さく、静かな場所が希望だ」
店の扉を閉め用件を伝える。
私の場合、ただゆっくりと本が読める個人的な空間があればそれで構わないのだ。無駄な空間は必要ないが、静かな場所であることは譲れないところ。
図書館に住めるならば完璧なのだが流石に無理か。
店内に唯一居る店員は眉間の谷間を深くし右手をこちらに伸ばした。
「――住民票を。そこに座って少し待ってろ」
男は私から受け取った住民票を少し眺め、元の様に折り畳んで私に返すと、カウンターの背後に設けられた衝立の向こうへと消えて行った。
住民票を要求したのは私が購入を希望したからだ。
購入できるのはこの町の住民票を取得している者に限られるという法律が確か存在している。
住民票を基準にする事で、複数の土地の家を購入しづらくさせているのだろう。
そういえば私の住民票は学園の住所になっているはずだが大丈夫なのだろうか。隣接している施設だから管轄としてこの町に属するのかも知れない。
――男が何も言わなかったという事はそういう事だろう。
私が考察して勝手に納得している間に男が戻ってきた。手には1枚の木札を持っている。
「悪いがあんたに紹介できる家はこれだけだ」
そう言って木札を振る。
「あんたの場合色々と条件が付いていてな。他の住民の居ない離れた所じゃなければいけなかったりだな。その分静かだし希望にも沿えると思うんだが」
男は少し眉根を下げた。申し訳なく思っているらしい。
ふむ……第一印象に反して好い人間の様だ。
それよりも私が魔物だという事を把握していることが驚きである。
別に隠すつもりは無かったし、最初から静かな場所を選ぶつもりではあったが、この段階で把握されているとは……面倒が無いだけか。
きっと住民票に特記事項か何かあるのであろう。
「場所の説明と価格を教えて欲しい。問題が発生する可能性があるのはこの2点だ」
頷く私に男は安堵の表情を浮かべ、着席すると説明を開始した。
◇ ◇ ◇
そこに建っている家はそれ1軒しかないから迷わないはずだ、と権利書と鍵を渡され早々に送り出されてしまった。
ちなみにあの店の外観は娘の趣味だそうだ。
私は家のある場所に向かう。
この町は学園側から入ると壁の内側まで少し森が続くのだが、そこの脇道を入った所に建っている家らしい。
――近くに水場が無いためと町の中心から外れた立地のため非常に安かった。
私にとってはある意味理想的な物件である。図書館に近い。
あとは家が傷んでいないかの心配があるのだが、レンガ造りだという話であるし、年に数回は見回りを兼ねて軽く清掃させていたから大丈夫だろうとのことだ。少なくとも遺跡のようにはなっていなさそうである。
教えられた地点まで来ると、確かに脇道がある。
意識していないと通り過ぎてしまう程度には獣道に近い脇道だ。気が付かなかった。
よく見ると丁字路の角の足元に小さな祠のようなものがある。
家の前の持ち主は信心深かったのだろうか、それともこの世界には丁字路にまつわる迷信の類いでもあるのだろうか。
――どちらにせよ、微笑みを浮かべて祈りを捧げている小さな女神か何かの像は、私の隣人となりそうだ。
私は引っ越しの挨拶代わりに祠へと手を伸ばし、その小さな建造物に魔力を浸透させる。一時的に祠を支配し状態を調べると、予想通り少々痛んでいるようだ。
そのまま魔力を操り表面の汚れを剥ぐ、崩れている部分を魔力で埋めそのまま物質化させて補修を行う、最後に落ちた汚れをまとめて吹き飛ばせば完了である。
ふむ、祠が綺麗であれば良い目印になろう。
――女神が表札代わりとは贅沢なことだ。
脇道を少し進むとすぐに家が見えてきた。別に深まった所にあるわけではないようで安心した。
しかしこれは仕方ないのであろうが家の周囲が雑草だらけである。
後で何とかせねば虫や獣の潜伏場所になってしまう。
大量の虫に集られながら読書をする趣味は私にも無いのである。
家は赤茶色のレンガで作られたもので、全体の面積としてはエイラの部屋の4倍程度はある。想定よりも大きいが、人間が建てて生活していたのならばそのくらいの設計にはなるのだろう。
それよりも恐らくこれは2階建てだ。別にそこまで部屋数は要らないのだが、有って困るものでも無いと思い直す。
家の扉に辿り着くと、私はそのまま扉に触れて魔力の浸透を開始した。
先程祠に行ったように清掃と補修を行わなければならない。
浸透が完了するまでの間に鍵を取り出し開錠しておく。
探知の結果、念の為調べたが建物内に大きな生体反応は無し。様々な隙間を塞ぎつつ汚れと埃と虫と蜘蛛の巣などを一気に除去する。
これを外で行おうとすると魔力が風で流されて上手く行かなかったりするのだが、密閉された屋内なら特に問題ない。
扉を開けて脇に避けると、私の横を大量の何かが通り過ぎて行った。目線を向けないようにはしたが、虫が苦手な者なら卒倒しかねない光景である。
見たくないものは森の奥へと退散願い、私はいよいよ家の中へと進入を果たした。入ってすぐは調理場になっているようだ。利便性重視だな。
とりあえず私には椅子があれば——あった。
見回すと食事をとるためであろう大き目のテーブルと、座面に4脚が付いただけの簡素な椅子が6つも置いてあった。
あったはあったのだが、あまり読書には適していないようだ。仕方がないので魔力物質化で安楽椅子を1つ作成しておく。
簡素な椅子を2つほど移動し、テーブルの横に安楽椅子を設置した。サイドテーブルと呼ぶには少々高さが合わない気がするが……まぁ、良かろう。
◇ ◇ ◇
雑草の処理、住民票の差し替え、主人とついでに学園長への報告まで完了した。作業内容が地味なので詳細は割愛する。
色々と動いていたため早くも夕方である。
中級冒険者であるランク4に昇格するために依頼を受けに行きたいところではあるのだが、さすがにこの時間帯にギルドへ向かっても何も良い事がないだろう。
よって次善の策として図書館に向かうことにする。
これは決して趣味を優先したわけではない。
少し足取りも軽く図書館へと向かう。
新しい家は本当に図書館に近い。
間に森やら石壁やらを挟んではいるが隣のようなものである。
――学園長の依頼も急いでいないようであるし、もしや1年位は読書に費やしても問題ないのではないか。いや、それはさすがに良くないか……。
要検討課題を吟味しつつ受付を済ませ図書館の中へと進む。やはり、扉を開いた瞬間に飛び込んでくるインクの香りはどんな花にも勝るとも劣らない。
最初に向かうのは返却カウンターだ。
元の世界の司書であるメリッサに比べたら無愛想と感じてしまうが、事務的なだけでありメリッサの愛想が良過ぎただけかも知れない。
……あの子は元気であろうか。
私は横の空間に手を差し込み本を取り出した。
帝王の挙動から学んだ空間収納術である。
次元の狭間に物を置こうとすると勝手にどこかに流れて行ってしまうので改善に少々手間取ったが、なんとか座標を指定して空間を隔離することに成功したのだ。
主に借りた本置き場になっている。遠出先にも本を持って行けるとは何と画期的なのだろう。
――返却の期限である7日間以内に往復できることが条件だが。
本の返却を終え、次を借りるべく本棚へと向かう。
担当者の申し出をいつものように辞退し、自力で宙に浮いて本を探し始めた。
――むう、次巻はまだ返却されていないようだ。
3冊連続で借りられているようで、次巻どころかその次の次まで無い。さすがに6巻から10巻に跳ぶと話が分からなくなるか……。
続きを読みたい気持ちを抑え込み、少し本棚から距離を取って腕を組む。
さて、どうするか……。
別のシリーズを開拓すべきか否か、難題だ。
開拓自体は好きである。
それが面白いならば尚良し。
しかしいざ戻ろうとなった際に、元のシリーズに抱いていた熱量はきっと失われてしまっている。下手をすれば話が分からなくなっていたり記憶が混ざってしまったり。
――また最初から読みなおすか?
私ならば不可能ではない。むしろ建設的な解決策であると言えよう。
しかし読み直している途中でしっかりと思い出し、早く7巻へ行きたくなる可能性も高い。そしてそのタイミングで7巻を借りられるかどうかは再び賭けになるわけだ。
むう、一体どうすれば――!
……妥協案として、物語への熱量に影響しづらい学術的な本を挟んで、時間を稼ぎ様子を見ることにする。翌日には返却する私を見習って欲しいものだ。
少し肩を落として向かった先は、学園の教材が収められている棚である。以前エイラの教科書を読んだことがあり、その知識が意外と役に立――ってはいないな……。別の教科にしよう。
棚をぐるりと見て回ると『薬草学』というタイトルの本が目に止まった。あれだけ様々な種類の野草を収穫したのだ、薬草の1つや2つ見覚えがあるに違いない。
対象年次が無く共用なのか妙に分厚いが、今回に限っては丁度良いはずだ。
私は貸し出し手続きをすべく降下を開始した。
◇ ◇ ◇
家に帰り着いて椅子に沈み、早速本を開く。
……暗いな。
今気付いたがこの家にはまだ明かりが無い。
光学視覚では不便だったので魔力視覚に切り替えた。
私だけならこの対応で問題無いが、エイラ辺りが遊びに来ないとも限らないことを考えるとやはり照明器具の設置は必要か。
建物と椅子さえあればいいと考えていたが、こういうものは後からどんどん必要なものが増えていくものだ。
――思い返してみれば物語の主人公たちが家を購入する場面では、内装や家具を選ぶ描写が必ず出てくる。それだけ人間にとっては重大な出来事なわけだ。
つまり、私が物語の主人公ならば非常に盛り上がらない描写となってしまうということになる。
……さすがに本の読み過ぎか。
『薬草学』を開くと最初に飛び込んで来るのは『はじめに』の文字である。
『魔法学』の教科書には確か魔法憲章だったか、重々しい文章が掲載されていたが、『薬草学』の方には薬草が世の中にとっていかに重要なものなのかを優しく語り掛けるような文で書かれている。
なるほど、こういうものは取扱い危険度に比例するものなのかも知れないな。
中身は、辞書も兼ねているのか分類毎に分かれているようだ。1枚捲ると索引が付いていたのでそこから眺めれば目を引く分類がある。
『回復薬の材料』という分類だ。
私の居た世界には、飲めば劇的に回復するというような薬は物語の中にしか存在しなかった。もしかするとこちらの世界には実在するのかも知れない。
――そういえばこの世界で読んだ英雄譚にはしばしば登場する。意外と身近にありそうだ。
それは俄然興味が出てきた。
私自身が使用する機会はまず無いであろうが、治療というものは肉体の補修作業であるため『全自動で』というわけにもいかないし、複数名を同時に行うことは不可能、とまでは言わないが人数が増える毎に難易度が跳ね上がる。
それを全自動で同時に複数名を治療できるというのは間違いなく画期的であると言えよう。存在するならばある程度の数を所持しておきたいものだ。
回復薬の材料となる薬草を眺めていくと、ほとんどが扱った事のある野草の類いであった。食用だけだとばかり思っていたが薬草としても需要があったらしい。
……その割には買い取り価格が安かったような気がするので、使用する分量が載っていないか探してみる。
必要分量が多いようなら回復薬の市況価格から逆算する上で薬草の原価を落とさざるを得ないだけだろう。
少ないようなら買い叩かれた可能性が出てくるわけだ。
細かく読み進めていくと、1人分の回復薬を作成するのに、ギルドで預かる袋1袋分ほど必要らしい。
確かに袋は片手を広げたくらいの直径なのでそこまで大量には入らないがそれなりには多い。
それで薬の効果があまり高くないとなると、野草の原価をあまり上げられないのも仕方なしか……。
――私は次の薬の材料を調べていく。
下級冒険者たちの前途に内心で祈りを捧げつつ夜は更けて行った。
◇ ◇ ◇
翌日、早速回復薬を調合するための道具を作成しておく。ありがたいことに教科書には詳細な絵付きで器具の説明が載っていたのだ。
この本はもう今日の夕方には返却する予定なので、家を出る前に道具を創っておくのが望ましい。
とは言っても、薬草をすり潰す道具一式、加熱する際に必要な容器、だけだ。加熱器具そのものは魔術で代用可能なので必要ない。
念の為、大小2種類作成しておいた。これでよし。
私は『薬草学』の教科書を空間収納へと安置し、野草の採取へと向かう。得た身近な知識を試してみたくなるのは人情というものだ。うむ、仕方ない。
ギルドに寄って下級の野草依頼を受注することも考えたが、それにより頼み事に対し寄り道をしていることが露見する可能性が捨てきれない。カトー氏も別にそれで怒りはしないであろうが、要らぬ波風を立てる可能性は排除すべきであるため受注は止めておいた。
――ギルド裏の森に到着。
少し進んだ所で宙に浮き、瓜の収穫を開始する。
この瓜の未熟果をすり潰したものが回復薬の溶媒に使用されるそうだ。分解酵素が含まれているため薬草の効能を引き出すのに比較的適しているらしい。
そしてどこにでも大概生えているので入手難度が低いとのこと。納得の理由である。
私はリステリア瓜を、なるべく広い範囲で平均的に収穫していく。さすがに種が根絶するほど取る気は無いが、それがマナーというものだろう。
瓜を空間収納へと放り込み、次は野草の収穫へと移行する。
散々に探して回った経験と記憶力を活かし目当ての野草を摘んで回った。今日はギルド貸与の袋が無いが、空間収納に入れれば良いので楽である。便利な技術を見せてくれた帝王には感謝せねばなるまい。
――昼過ぎには、付近で採取できる材料を集め終えることができた。
ついでに畑を狙う猪と兎を見付けたので撃破しておいた。仕事内容としてはランク2の作業なので意味は無いのだが、放置すれば畑が被害を受けることが分かっていて見過ごすほど非情にはなれなかったのである。
獣害というものは『毎日』起こり、畑が収穫できるようになるには『数ヶ月』掛かるため、畑が全面やられる事も実は珍しくない。冒険者に依頼が来る程度には深刻な問題なのだ。
帰りにギルドに寄り猪と兎を販売委託しておく。
その際確認してみたが例の畑から依頼が出ているということはなかった。被害が出る前だったので当然ではあるのだが、他の冒険者の仕事を横から奪う形になっては良くないので念の為。
販売価格は解体後の重量次第とのことだったので、整理番号の書かれた札を受け取ってギルドを出た。これを明日以降に受付に渡せば整理番号に対応した金額を支払ってもらえる仕組みである。この仕組みを考えた者は賢い。待つのが余程嫌だったのであろう……。
私は次に図書館へと向かった。
◇ ◇ ◇
図書館に着くと最初は返却である。
瓜や野草が入っている空間とは別の空間を開き、教科書を取り出して返却する。空間内部は無重力だが格納物同士は空間を漂い接触する、つまり本が汚れてしまうのだ。そのため格納する空間を分けているのである。
「おや、ポンさんお早い返却ですね」
馴染みになりつつある男性職員が少し驚いた表情で教科書を受け取った。厚みのある本なので当然の反応か。
「興味のある部分だけ網羅してある。必要があればまた借りるつもりだ」
「なるほど、良い作戦です。……7巻あるといいですね」
男性の苦笑に私は肩を竦めて返事とした。
実際は必要な部分を丸暗記してあるが、忘れてしまう可能性も有り得る以上やはり再び借りに来るかも知れない。嘘にはならないはずだ。
そして私の趣向はしっかり把握されてしまっているらしい。優秀なことだ……。
私は物語本の棚へと向かった。
無かったのは昨日の話なので返却されている可能性は低いのだが、確認せずに諦めるほど私は愚かではないのだ。
申し出て来る担当者に首を振って断り、支配した足元の空気によって浮遊する。確かあの辺りにあるはずだ。
昨日見た状態よりも冊数が多い……!
胸の奥をくすぐるような高揚感がじわじわと湧いて来る感覚を覚える。
祈る神など居ないが祈るような気持ちで背表紙の番号を見ると、4・5・6巻が増えているようだ。
ああ、そうか。私が返却したのだから当たり前か……。
急速に萎れていく高揚感と広がっていく悲しみを感じながら棚を離れた。
そうだ。今日は照明器具を買いに行くのであった。
1日1冊として3日は掛かる計算だ。
照明器具はどこに売っているであろうか。
今日が2日目だから明日はまだ早いだろうか。
まずはギルドの雑貨屋で尋ねるのが早いか。
悲しみの余り支離滅裂になりつつある思考を徐々に立て直しながら、私は図書館を後にした。
◇ ◇ ◇
――家に帰り着いた。
帰る前にギルドの売店に売っていた携行用ランプを購入したのだが、家庭用のランプが欲しい旨を伝えるとなぜかあなたは携行用で充分だとこれを買わされた。
よく考えると確かに根本的なところで必要としていない上に、明度が不足する場合は光属性の魔術で補えば良い。
……押し売られた気分でいたが慧眼だったか。
入手したランプは空間収納に格納しておく。いずれ使うこともあるであろう。
さて、まだ昼過ぎだが気落ちする余り本を借りてくるのを忘れてしまった。図書館の職員たちにそれを察されるのも悲しいのでそれは明日にするとして、今日のところは材料も集めたことであるし回復薬でも作ってみるとしよう。
――最初に作ってみるのは最も初歩的な回復薬である。正しく作ることができたならば魔法の様に傷を癒す事ができるのだそうだ。骨折すらも骨が弱く付く程度までなら治せるらしい。
作り方としては、材料の薬草をすり潰してペースト状にし、溶媒と混ぜて沸騰させない程度までかき混ぜながら加熱することで有効成分を煮出す。
それを一度濾し、最後に魔法的な処理を行えば完成である。
細部は異なるが、基本的に全ての回復薬の作り方は以上だ。やはり薬草の力だけでは魔法のように治す薬はできないらしく、魔法的な処理を加えて初めて劇的な効果を得られるようだ。
採取してある薬草を取り出し、まずは細かく刻む。そのまますり潰すよりも時間短縮になるそうだ。ちなみに葉だけでなく茎にも若干の有効成分が含まれており、後で濾す事を考えると取り除くよりは一緒に煮出した方が良いらしい。
私は料理をしないのでやや苦労しつつ刻み終え、すり潰す作業に入る。すり鉢と棒でゴマのようにゴリゴリとすり潰していくのだが、風の魔術で代用できそうな気がする。
原型が無くなるほど潰したら、すり鉢にそのまま瓜をすりおろして流し込む。別容器に移さないのは移す際のロスを減らすためなのだそうだ。
内側の線まで溶媒である瓜の汁を流し込んだら一度しっかり混ぜて溶かし込んでから加熱容器に移し、加熱していく。沸騰させると成分が壊れるため弱火でゆっくり加熱するのがコツなのだとか。液体はどろりとしていて対流が起きにくく、焦げやすいので目を離さず混ぜ続けなければならない。
数分後に火から下ろし、別容器に濾し布を被せて……濾し布が無いな。
――そうか、教科書で図解されていた道具は一通り作成したが、濾し布が図解されているわけがない。漏れていたか……。
私は自身の服を作成する要領で、濾し布を魔力から物理変換で作成すると、容器に被せて作業を継続した。
◇ ◇ ◇
濾した液体は透き通った緑色をしている。当たり前だが草の香りのする汁である。それに教科書に書いてあった通りの処理をすると青くなり甘い味になるそうだ。もはや別物のような気がするが、別の薬草だと別の反応を起こすとのことなので固有の反応経路ではあるらしい。
濾したことで液体はかなり体積を減らしている。元々がコップ2杯分くらいだったのが半分程度になっているようだ。しかし完成品を想像するにその位の体積であろう。慌てず進めることにする。
神の言語で『此処は・其処を変換する・液体の・薬へ・材料から』と唱えながら草の汁に最後の処理を施した。詠唱から察するに中級魔法のようなので全くの素人には作成が難しいかも知れない。
容器の中で緑色の汁は青色の液体へと変化した。草の匂いも無くなっているので恐らく成功だろう。私は用意しておいた瓶に薬を移し蓋をして完成とした。
私は再び材料を取り出し、次は器具を使用せずに空中で魔術を使用して作成を開始する。これで使用した魔術が薬に妙な変化を及ぼさなければ実験は成功である。体力的な問題は無いのだが、何事も簡略化というものは図られるべきだ。
定められた工程が空中で進んでいくのを眺めつつ、保管について思案する。これらの薬は使用期限があり、期限が過ぎると徐々に効果が落ちてしまうそうだ。頻繁に使用する者なら懸念する必要は無いのだが、私の場合は考慮する必要がある。
店売りのものは時間を止める魔法陣を貯蔵庫に施しているそうだ。扉と本体に跨るように魔法陣を描くことで、扉を開く行為が魔法陣の破壊となり、扉を閉じれば再び魔法陣の完成となるシステムとなっているようだ。よく考えたものだ。
しかし個人で保管となると話が別だ。その貯蔵庫を入手して貯蔵庫ごと空間収納に突っ込むという手もあるにはあるが、教科書にはさすがに貯蔵庫の詳細までは載っていなかった。薬草の教科書にそこまで求めるのは酷な話か。
帝王はどうやっているのであろうか?
彼ならば薬の1つも持ち歩いているに違いない。
――そういえば彼は時間をも止められるのであった。自身の空間収納に同様の処理を行なっていると考えるのが自然である。
私も時間に干渉する魔術は使用できる。しかし儀式魔術に属する難度の高い魔術であり、使用感も便利であるとは言えない。
例えば時間の止まっている空間には物を入れる事ができない。儀式魔術の範囲に入ってしまうと物も腕も停止してしまうので動かせなくなってしまうのだ。
そして動かせるように対抗魔術を発動させた状態で物を突っ込むと、今度は入れた物が儀式魔術の影響を受けなくなってしまうので入れた意味が無いのである。
もちろん都度魔術を解除して物を出し入れし、再度時間停止の魔術を掛け直すことは可能だ。
呟き1つでそれが行える帝王ならまだしも、先天的に時属性を持たない私には若干手間である。
別に生贄が必要、などではないのでやればできるのだが……ううむ。仕方ない。折角作った薬をダメにする方が勿体ない。
私は回復薬の作成を続ける傍ら、空間収納の改良にも取り掛かった。
◇ ◇ ◇
薬を作成した翌日、私は冒険者ギルドに来ていた。
ランク3の依頼をあと20こなせばランク4の中級冒険者に上がれる、ひいては物語に出てくる冒険者のような冒険者らしい依頼を受けられるようになるわけだ。
回復薬の作成の方は順調である。
中級の回復薬を数本、下級の回復薬は十数本作成して小さめの空間に投入し、時間停止の魔術儀式を用いて保管してある。
一応2本だけ下級を通常の空間にすぐ使えるよう入れておいた。
期限は10日程度らしいので、期限が近付いてきたらそこらへんの冒険者に飲ませて処分する予定だ。処分し次第また2本作っておく必要はあるが、2本程度なら大した手間ではなかろう。
――私は掲示板を眺める。
ランク3の依頼ともなると駆け出しでも倒せるような弱い魔獣の類いの討伐も入って来るのだが、そういうのは人気が高い。気持ちは分かる。
しかし他の冒険者に気を遣って遅めの時間に来れば討伐系の依頼が1つも無いとは。
確かにこの辺りの地域は『初心者向け』と言われる程度に弱い魔獣が少ない頻度でしか現れない様だ。だがランク3向けの害獣退治などしか残っていないというのも悲しいものがあるな。
果たして今日も周辺の農家のために働くべきか。
ランク3向けだけに地形も数も難易度が高いようだが、そういう問題ではない。悩ましいものだ……。
私が実質選択肢の無い悩みに唸っていると、エントランスに誰かが入って来る気配があった。見遣ると冒険者ギルドに来るイメージのあまりない、子供と母親の2人組であった。
「お母さん、ここ?」
「そうね。ああ、少し座らせてちょうだい」
母親の方は疲労困憊の様子だ。よく見ると身重のようである、臨月はまだ先のようだがお腹が目立ってきている。冒険者ギルドに何の用だろうか。
受付のツェシカ嬢の方を見ると、私に少し待つよう合図を送って立ち上がった。受付業務を中断して対応してくれるらしい。今は私以外に依頼を受注しそうな冒険者はこの場に居ないため問題なかろう。
「冒険者ギルド『木洩れ陽の森』へようこそ。お水をどうぞ」
ツェシカ嬢は最初に水を2杯用意し笑顔で話し掛けた。母娘は感謝して受け取っている。
なるほど、あれが正解か。
「ありがとうございます……はあ。冷たくて美味しい水ですね……」
「今日はどのような御用件ですか?」
「はい。実は冒険者の登録に来ました。夫と職場の両方を失ってしまいまして、この体では次の仕事も見つからず、野草摘みでもやらせていただけないかと思いまして……」
なんと。ここが比較的安全とはいえ、森の中での作業は命の危険が伴う。身重の体では弱い魔獣から逃げることすら難しいだろう。
ううむ……不可能とまでは言わないがあまりお勧めはできないな。
◇ ◇ ◇
ツェシカ嬢は少し思案すると口を開いた。
「もしかして他の町から来られました?」
「はい。ここのギルドを勧められまして……」
「なるほど。確かにその事情ですと働けそうなのはウチくらいですね。ちなみに宿泊先の確保は?」
「いえ、まだ決めかねています。――と、言いましても旅費でほぼ使い切ってしまいましたので、軒下でも借りられればありがたいのですが……」
ここまで聞いてツェシカ嬢はくるりと私の方を向いて手招きした。嫌な予感がする。
だが居合わせた以上は無関係を決め込むわけにもいかないだろう。諦めて3人の元へと向かう。
「ポンさん、家が近かったですよね。部屋が余ってませんか?」
……なぜそれを知っている。
ああ、住民票と一緒にギルドカードも記載を更新したのだった。彼女ならば知っているか……。
「部屋は余っている。だが引っ越したばかりで寝具が無い。ギルドで販売していただろうか?」
「ありますよ。寝心地のイマイチなヤツが」
「そうか。では2つもらおう」
「あ、あの! ちょっと待って下さい」
私とツェシカ嬢が打ち合わせを進めていると母親の方が慌て出した。寝心地にはこだわるタイプの人間だったか。出産前なら寝心地は確かに大事だ。落ち着いたら町に買いに行く事も検討せねばなるまい。
「私達にはお支払いするお金がありません」
私は首を傾げた。
そんな事は大前提で話している。
「必要ない。身重の女性を野宿させる選択肢が無い以上、消去法で部屋の余っている私の家に泊まらせるのが現状の最善であろう」
「……合理的な考え方をする人なんです」
呆気にとられた表情の母親に、ツェシカ嬢はにっこりと微笑みかけた。
「お母さん。ここはご厚意に甘えよう」
娘の方が母親の袖を引く。まだ10歳になっていないくらいの年齢に見えるがしっかりとした話し方だ。
興味を持って観察すると、貧しい状況の割に服は平民の平均的な材質のものを着ているし痩せ細ってもいない。つまり貧しい状況に陥ってからの決断が早かったわけだ。娘だけでなく母親の方もしっかりしているようである。
「ギルドの人が言うくらいだもん。悪い話じゃないと思う」
娘の判断に母親は数秒迷っていたが、やがて顔を上げ私の目を真っ直ぐに見つめる。不安に少し揺れてはいるが覚悟を決めた良い眼差しだ。私の憧れる、人間の熱い生き様を感じさせる目である。
「お世話になろうと思います。宜しくお願いします」
そう言って娘共々頭を下げた。私は頷きを返す。
「そうと決まれば早速案内したいところだが、冒険者登録が先だな。私の家には家財道具が無いが食糧も無い。済まないが食事はここで済ませておいてくれ。明日までには仕入れておこう」
私は家の鍵を空間収納から取り出して渡す。それを見た娘が驚きの表情を見せた。
ついでに銀貨を1枚取り出して渡しておく。
「そ、そこまでしてもらうわけには――」
「私が面倒を見ると決めた以上遠慮は無用だ。お前は運が良い。——そしてその運を掴めたのはお前が決断したからだ。剣を振るう事だけが闘いではない。その闘いに勝利したならば報酬を受け取るのが冒険者というものだ」
「――っ!」
母親は私の言葉に薄っすらと涙を浮かべる。
決断までの苦労を思い出してしまったのであろう。
「合理的な考え方をする人なんです」
ツェシカ嬢はなぜか少し困ったような表情をしながらにっこりと微笑んだ。




