第18話 薬師の手と、静かに触れた鼓動
1 研究所への呼び出し
翌朝。雪菜が騎士団本部の廊下を歩いていると、研究員が駆けてきた。
「雪菜殿! アーヴィン様が至急研究所へと!」
雪菜は胸がざわついた。昨夜は深層の声が聞こえなかったが、静けさが逆に不安を呼んでいた。
「分かった。すぐ行くね」
研究所へ向かうと、アーヴィンが魔力装置の前で難しい表情をしていた。
「雪菜。来てくれて助かる」
アーヴィンは雪菜を見ると、ほっとしたように息を吐いた。
「精神層の波長が、昨日から不安定だ。君の状態を確認したい」
雪菜は頷いた。
「うん。昨日の遺跡のこと、まだ少し残ってる気がする」
アーヴィンは雪菜を椅子に座らせた。
「無理をするな。今日は慎重に進める」
2 魔力の診察
アーヴィンは雪菜の手首に触れ、魔力の流れを確かめた。
その指先は、いつもよりゆっくりで、丁寧だった。
「……昨日より安定している。だが、深層の影響がまだ残っている」
雪菜は小さく息を吸った。
「影響って……危ない?」
「危険ではない。ただ……君の精神層が“誰か”に触れた痕跡がある」
雪菜はアーヴィンの顔を見た。
「誰か……」
アーヴィンは雪菜の手を離さず、静かに言った。
「雪菜。君を呼んでいる存在は、精神層の奥で君の波長を探している。昨日の影は、その“手がかり”だ」
雪菜は胸がざわついた。
「じゃあ……また呼ばれる?」
「可能性は高い。だからこそ、君の精神層を守る必要がある」
アーヴィンは雪菜の手を包むように握った。
「雪菜。君を守るのは、私の役目だ」
雪菜は少しだけ頬が熱くなった。
3 薬師の距離
アーヴィンは雪菜の肩に手を置き、魔力の流れを調整する装置を起動した。
「雪菜、少しだけ目を閉じてくれ」
雪菜は言われた通りに目を閉じた。
装置の光が雪菜の精神層に触れ、温かい波が胸の奥に広がる。
「……気持ちいい」
「痛みはないか?」
「うん。むしろ落ち着く」
アーヴィンは雪菜の髪に触れない距離で、そっと顔を寄せた。
「雪菜。君の精神層は繊細だ。境界の影響を受けやすい。だから……」
雪菜は目を開けた。
「だから?」
アーヴィンは一瞬だけ言葉を止めた。
「……君を一人にしたくない」
雪菜は胸が温かくなるのを感じた。
「アーヴィン……」
4 近づく影
その時、装置が微かに揺れた。
「……反応が出た」
アーヴィンが装置を操作すると、黒い波形が画面に浮かび上がった。
「深層の波長だ。昨日の影と同じだ」
雪菜は息を呑んだ。
「また……呼ばれてる?」
「いや、今回は違う。これは“探っている”波長だ。君の精神層を確認しているだけだ」
雪菜は胸を押さえた。
「怖くはないよ。でも……気になる」
アーヴィンは雪菜の手を握り直した。
「雪菜。君が怖くないと言っても、私は心配だ」
雪菜はアーヴィンの顔を見た。
「心配……?」
アーヴィンは静かに言った。
「君が傷つくのは……耐えられない」
雪菜は息を呑んだ。
5 薬師の告白に近い言葉
アーヴィンは雪菜の手を離さず、ゆっくりと距離を詰めた。
「雪菜。君がこの世界に来てから、私はずっと君の精神層を見てきた。
その中で……気づいたことがある」
雪菜は静かに聞いた。
「君の精神層は、誰かを救うために開いている。
だが……その優しさは、君自身を削る」
雪菜は小さく息を吸った。
「でも……助けたいから」
「分かっている。だからこそ……君を支えたい」
アーヴィンは雪菜の頬に触れない距離で、そっと手を伸ばした。
「雪菜。君が倒れたら……私は……」
雪菜はアーヴィンの手をそっと握った。
「倒れないよ。アーヴィンがいてくれるなら」
アーヴィンはわずかに目を伏せた。
「……雪菜。君は本当に……」
言葉はそこで止まった。
6 静かな抱擁
装置の光が弱まり、診察が終わった。
雪菜が立ち上がろうとすると、少しふらついた。
「雪菜!」
アーヴィンがすぐに支えた。
その腕は、思ったより強くて、温かかった。
「ごめん……ちょっとだけ」
「無理をするな」
雪菜はアーヴィンの胸に軽く手を添えた。
「アーヴィン……ありがとう」
アーヴィンは雪菜を抱き寄せた。
「雪菜。君が無事でいてくれるなら……それでいい」
雪菜はその胸の鼓動を静かに感じた。
7 帰り道
研究所を出る頃には、夕日が街を赤く染めていた。
アーヴィンは雪菜の歩幅に合わせてゆっくり歩いた。
「雪菜。今日は休め。深層の影響はまだ残っている」
「うん……ありがとう」
アーヴィンは雪菜の部屋の前で立ち止まり、静かに言った。
「雪菜。何かあれば、すぐ呼んでくれ」
雪菜は微笑んだ。
「呼ぶよ。アーヴィンを」
アーヴィンはわずかに目を伏せ、そして優しく言った。
「……おやすみ、雪菜」
雪菜は胸が温かくなるのを感じながら、部屋に入った。
深層の声は、今日は聞こえなかった。




