第1話 魔法師の弟子 -少年イルーシと奇妙な王様-
我が国における祭事にはそれぞれ深い意味があり、それを粗略に扱うことは決して許されない。
帝国において王はもはや神であり、その御言葉に忠実に従うことが、この国を守る唯一の術である。
また、それぞれの月において各村や町で行われる祭事は、無断で中止してはならない。
それらには、この国を守るための深い意味が込められているからである。
王は古くからその効力を把握し、この国のために尽力されてこられたことを、忘れてはならない。
『帝国の祭事』より抜粋
浅黒い肌に、不釣り合いな淡い金色の髪。そして濃い紫の瞳。
それはこの少年が、エルフと魔族の両方の血を受け継いでいることを表すものでもあった。
この帝国ミリエニオに存在するいくつかの種族の中で、本来その二つの種族はあまり仲がいいとは言えなかった。とはいえ、表立って対立することもなく、二つの種族は過去の長い年月で学んだ教訓から、互いに適度な距離を保ち、なるべく干渉し合わないよう生活している。
そんな風潮の中で生まれたイルーシは、様々な種族が生活する帝国の"空中庭園"においても異端児だった。
"空中庭園"とは、帝国ミリエニオの上空に浮かぶ、帝国のもう一つの国土とでも呼ばれるべきものである。
そこには他国ではその存在が幻とされつつある種族の者たちが、それぞれの居住区に分かれて暮らしている。
一年ほど前、不慮の事故で父母を亡くしてしまったイルーシは、本来はどちらかの親族にひきとられるはずだった。
しかし、どちらの身内も、彼を引き取ることを拒否したのである。
そんな時声をかけてくれたのが、帝国の一級魔法師ゾルフィだった。
危うく孤児になるところだったイルーシは、彼に目をかけられ、ゾルフィの弟子として王宮へと召し上げられることとなったのだった。
「ええっと。これで全部かな……」
イルーシは買い物のメモを見ながら、師ゾルフィに言いつけられた品々を確認した。
今日はいつにもましてそのリストが長いせいで、イルーシはそのメモと袋の中身を何度も確認しなくてはならなかった。
しかも、そのリストの半分以上が薬草や薬品で、名前も複雑なものばかり。
イルーシはそれをひとつひとつ、小さな声に出して、確認した。
師ゾルフィの元に弟子入りさせてもらって、一年ちょっと。
イルーシはようやくそんな生活に慣れてきたところだった。
弟子というよりは師ゾルフィの使い走りみたいなものだったが、それでも、どちらの親族からも引き取ることを拒否されたイルーシにとって、まともに生活できる場所に置いてもらっているだけで、ありがたかった。
リストにあるもの全てを確認したイルーシは、ふと、太陽がオレンジ色に染まりかけているのに気づく。
「急がなくちゃ……!」
買い物はいつも、空中庭園の中にある商店ですませることになっている。
宮廷と空中庭園は魔法でつながれた不思議な通路でつながっており、空中庭園が帝国のどこを飛行していても、その通路を使えば、迷うことなく宮廷に戻ることができた。
その通路は空中庭園から王宮に通う人間以外の種族が利用できるもので、イルーシはその通路を通るたびに、何か特別な権利を得たような気分になるのだった。
しかし、日が完全に沈んでしまうと、宮廷に続く道が通れなくなってしまう。
空中庭園内は国の近衛兵たちが警備しているから治安は悪くないが、それでもヘタをすれば野宿するはめになってしまう。
イルーシは慌てて帰路についた。
なんとか無事、イルーシは日が暮れる前に空中庭園から戻ってくることができた。
すぐに買ってきた薬品や薬草を、それぞれ決まった棚にしまう。
師ゾルフィの姿はない。
おそらくいつもの彼の研究室にいるのだろう。
そんな時は必ず、部屋の外から声をかけることになっている。
「買い出し、行ってきました!」
すると、「うむ」とも「ふーむ」ともとれるような声が返ってきた。
これもいつものことだ。
イルーシが立ち去ろうとすると、突然部屋の戸が開いた。
「イルーシ、三番棚から薬品四十二番、六十八番、九十八番を持ってきてくれ」
顔を出したのは、小柄な白髪の男。師ゾルフィだ。
「え、えっと……」
「三番棚から薬品四十二番、六十八番、九十八番、だ」
「は、はいっ」
イルーシは、四十二、六十八、九十八、と何度もつぶやきながら、あわてて別の部屋に向かう。
三番棚は建物の奥の方の部屋にあった。
番号をつぶやきながら廊下を足早に歩いていると、ふと、ひとつの部屋から光がもれているのに気づく。
(あれ……?)
光は白い光ではない。
赤みを帯びたような、炎のような光。
一瞬燃えているのかとイルーシは驚いたが、部屋の中をのぞいてみると、火は見当たらない。
そこは広い石畳の部屋で、床には白い魔法陣が描かれており、その円を囲むように複数の赤い石が置かれている。
何をする部屋なのかイルーシは知らなかったが、その魔法陣は確かに、赤みを帯びた光を放っているのだった。
(ど、どうしよう……。師匠に知らせた方がいいのかな……?)
今までそんな光景を見たことがなかったので、イルーシは戸惑った。
何か師匠が魔法をかけているのかもしれない。
でも、そうではなかったら?
イルーシは師ゾルフィがいた部屋の方向と、光を放つ魔法陣とを何度も見比べた。
知らせないで怒られるのと、知らせてうるさがられるのと。
二つの選択肢を天秤にかけ、イルーシはようやく結論に達する。
(やっぱり師匠に知らせよう……!)
覚悟を決めて、師ゾルフィに知らせようとイルーシがその魔法陣に背を向けた、その時。
魔法陣がひと際強い光を放ったので、イルーシは思わず振り返った。
「あ……!」
一瞬強く輝いた光は、すぐにその輝きを失っていく。
そして、その赤みを帯びた光の中に、人影が浮かんでいるのが見えた。
イルーシはまぶしさと闘いながら、必死のその人影に目を凝らした。
光が次第におさまってくると、魔法陣の中央に、一人の少年がうずくまっているのが分かった。
見事な美しい銀色の髪をした少年。
「うまくいった……かな?」
少年はそんなことを言いながら、ゆっくりと立ち上がる。
イルーシは何も言えず、驚いた口を開けたまま、ただその少年を見つめるばかりだった。
「見慣れない顔だな」
少年はイルーシを見ると、のんびりとそう言った。
ちょうどイルーシと同じぐらいの年頃のように見える。背格好も同じぐらい。
だが、服装だけはどう見てもこの国のものではなく、旅人のような略装だった。
「あの……」
勇気をだして声をかけてみる。
すると少年は彼を見て、首をかしげた。
「誰?」
「えっと……」
誰かと尋ねようと思っていた少年に、先に誰かと問われ、イルーシは口ごもった。
そもそもここは師匠の仕事場兼家だし、イルーシは師匠の弟子だ。
むしろイルーシの方がその少年に「誰?」と聞きたい。
「僕はイルーシです。ゾルフィ師匠の弟子です。あなたこそ、誰ですか?」
「そうか。ゾルフィも弟子を取るような年になったんだな」
自分と同じぐらいにしか見えない少年が、師ゾルフィを呼び捨てにしたのには驚いたが、どうやら師匠の知り合いらしいと分かると、少し安心する。
少年はきょろきょろと周囲を見渡し「懐かしいなあ」などとつぶやいている。
「あの……、師匠のお知り合いですか?」
「ん? うん、そう。ゾルフィ、いるかな?」
「あ、はい……」
師ゾルフィを呼びに行こうとして、イルーシはその少年の名前をまだ聞いていなかったことに気づいた。
「あの、お名前は?」
「アレクだよ。――ゾルフィはさぞかしひねくれた爺になったんだろうな」
名前はともかく、その少年が言った後半の言葉を、イルーシは聞かなかったことにしようと思った。
そんなことを師ゾルフィが知ったら、どれほど怒られるか分からない。
しかし、そんなことを考えていたイルーシの思いを見透かすかのように、突然、師ゾルフィが怒鳴る声が部屋を震わせた。
「イルーシ!! いつまで待たせる!?」
思わずイルーシは首をすくめる。
「は、はいっ! 師匠! あのっ……、でもっ……、ええっと……! お、お客さんがっ!」
そんなイルーシの様子を見て、アレクと名乗った少年はクスクスと笑った。
怒鳴り声と一緒に不機嫌そうに鳴り響いていた足音が、部屋の前で止まる。
「客なんてどこに……」
そう言いながら部屋に入ってきた師ゾルフィは、驚いた表情で固まった。
「……アレク様!!」
こんなに驚いた表情の師匠を見るのは初めてだと、イルーシは感心した。
いつもは超然としている師匠ほどの人物でも、こんな風に驚くことがあるのだと思うとなんだか嬉しい。
それほど、師ゾルフィは驚いていた。
「ゾルフィ、久しぶり。きわどかったのに、とうとう頭ハゲちゃったんだ」
さらりと言った少年の言葉の意味が、一瞬イルーシには分からなかった。
が、その意味を理解したとたん、どうしようもない笑いがこみあげ、思わず口を両手でふさいだ。
そんなイルーシを、師ゾルフィがじろりとにらんだが、一度こみあげた笑いはなかなかおさまらない。
「アレク様、何故こんなところに……」
そう言った師ゾルフィは眉をひそめた。
「まさか……」
「ああ、うん。なるべく時間かけたくなかったから、魔法陣で直接来たんだよね」
アレクは足元の魔法陣を見ながら事もなげに言う。
見かけによらずすごい魔法使いなのかもしれないと、イルーシはアレクを見直した。
しかし、師ゾルフィはそれどころではないといった顔だ。
「なんてことを……!こんなところに通路を作られては困ります!」
「うん。だから僕が帰ったらふさいどいて」
師ゾルフィは額をおさえながら、大きくため息をついた。
「ベルン殿は? まさか従者もつけずに?」
「だって、ベルンと一緒だと、それなりに大きな通路が必要だろう? なるべく最小限にしようと思って、一人で来た」
「なんと……。久しぶりに来られたと思ったら、これですか……。ベルン殿もベルン殿だ。何のための従者ですか。そもそも、帝国内にはちゃんとした魔法通路があるはずです。面倒だからと言って、このようなところに通路を作るなどと……」
「まあ、もう来ちゃったんだから。ちょっとゾルフィに聞きたいことがあってさ。部屋に入れてよ」
「もう入っているではないですか」
「ここじゃなくて、もうちょっとちゃんとした部屋に、って意味だよ」
師ゾルフィはまた大きなため息をついた。
彼がこれほど怒っているのにも関わらず、アレクという少年は全く気にする様子もない。
しかもこんな口調で話しているということは、この少年は相当偉い人なのだろうか?
「あの……。師匠、この方は一体どなたなのですか?」
イルーシは意を決して、二人を見比べながら声をあげる。
「ああ、だからアレクだって。さっき名乗っただろう?」
気安く言う少年に対して、師ゾルフィは苦々しい顔をする。
「このお方は、我が国の国王。アレキス・ミリエニオ・ル……」
「ああ、もういいよ。そんな長たらしい名前。古くさいし」
師ゾルフィが最後まで名前を言うのをさえぎって、アレクという少年はひらひらと手をふる。
すると師匠はかなり不機嫌そうに鼻の上にしわを寄せた。
「あの、ええ……!?」
「我々がお仕えする国王だよ」
あまりに衝撃的な一言に、イルーシの思考回路は半ば停止してしまった。
この国の国王といえば、長くその姿を現しておらず、国内では完全に神格化されている。
他国ではもはや死んでおり、神として祀られているだけだと認識されているが、帝国内では、国王は魔法の力によって現在でも健在で、国を見守ってくれているのだというのが通説だ。
第一級魔法師であるゾルフィは、その国王の言葉を家臣たちに伝える「勅師」という役職にあった。
それは国内で唯一国王に面会することが許されている特別な職で、国内ではゾルフィただ一人だ。
継承者は必ず一人であり、次代の後継者として教育を受けているのがイルーシだった。
とはいえ、イルーシはゾルフィの弟子になってから一度も、国王の姿を見たことがなかった。
本当にそんな人がいるのだろうかと思っていたぐらいだ。
しかもここにいる少年は、まるで自分と同じぐらいの年に見える。
「あの、本物……?」
「当り前だ」
師ゾルフィは不機嫌そうに答える。
そう言われると、イルーシはさらに困った。
王様ということは、それなりの礼儀や作法で話をしなくてはならないのではないだろうか?
しかも、こんな場所にいて大丈夫なのだろうか?
イルーシが口をぱくぱくさせていると、師ゾルフィがまたため息をついた。
「とりあえず、この部屋を出よう。ここは冷える。イルーシ、お茶の用意を」
「え……、あ、はい!」
慌てて部屋を飛び出していこうとして、イルーシはそれでは失礼なのではないかと思いなおし。
くるりと振り返って頭をペコリと下げ、部屋をぎこちなく出た。
お茶の用意をとは言われたが、いつもお客さんに出すような感じでいいのだろうか?
王様にお出ししするのに、何か特別な、高そうないいものを出したほうがいいのではないだろうか?
あれこれと思案したイルーシだったが、そもそも、お茶といえば、数種類の紅茶があるだけだ。
師ゾルフィを訪ねてくるのは宮廷の偉い人だったので、ほとんどがそれなりに価値のある、ちゃんとしたものであるはずだが、今日のお客様は何と言っても王様なのだ。
宮廷の偉い人どころではない。
国の一番偉い人なのだ。
しゃべり方はとても気さくそうに見えたけれど、そんな粗略な物をだしていいとも思えない。
ついでにお菓子も出したほうがいいだろうかなどと考え始めると、もうどうしていいか分からなくなってきた。
軽い眩暈を感じながら、イルーシは足早に台所に向かう。
とにかく棚をひっかきまわして、高くて良さそうに見えるものをまず探さなくては。
気付くとイルーシは小さな声で、「高そうなもの」「良さそうなもの」と繰り返しつぶやいていた。




