第2話 主なき王宮
きれいに磨き上げられた回廊に、二人分の足音が小さく響く。
回廊の端には美しい装飾が施された柱がずらりと並び、点々と彫刻や絵画などが飾られている。
「あ、あの……」
アレクの後ろからついてきていたイルーシが、遠慮気味に声をかけた。
「うん?」
振り返ると、イルーシは驚いた顔をする。
呼びかけられたから振り返ったのに、そんなに驚かれたら、むしろアレクの方が驚く。
「何?」
「あの……。誰もいないなぁって思って……」
「ああ、ここは王宮だからね。今、王宮には誰も住んでないから」
主である王のいない、王宮。
これほどムダでおかしなものもないとアレクは思う。
かつて、アレクの父母が生きていた頃は、たくさんの侍従や下働きの者たちが大勢いた。
両親が死んだあとも、しばらくこの王宮には大勢の者たちがアレクのために働いていた。
でも、それをうっとうしく感じたアレクが、下働きする家来たちの人数をどんどん減らし、最終的には数人を残すだけになった。
さらにアレクが国政に飽き、国を出て旅をする頃には、ついに王宮には誰もいなくなった。
今は『勅師』であるゾルフィと、その部下にあたる祭司の者たちが王宮を管理しているはずだ。
「どうして、王様はここに住まないのですか?」
「今度王様って呼んだら、ここに置いて行くからね。アレク様と呼ぶようにって、言っただろう?」
「あ……、すみません……! お……あ、アレク様」
口元をおさえながらあたふたするイルーシの姿は、幼い。
自分にもこんな頃があったのだと思うと、アレクは今の自分が少し嫌になった。
「大災咎のことは、ゾルフィに聞いているだろう? 僕はそれを防ぐために、いろいろ手を尽くしている。国内でできることは、もうやってしまったから」
そう言いながら、アレクはひとつの部屋の前で立ち止まった。
一見すると他と変わらない豪華な扉だが、特別な魔法がかけてあって、アレクとゾルフィ以外には立ち入れないようになっている。
これからはイルーシもここに入れるよう、設定し直さなくてはならない。
イルーシはゾルフィの弟子だから。
「ここだ。行くよ」
そう言うと、アレクは普通に扉を開けた。
あわててイルーシがそれに従う。
「あの、なんだか変な感じ……」
部屋に足を踏み入れた直後、イルーシが言った。
「魔法がかかってるから。僕の手をにぎって」
そう言ってアレクが手を伸ばすと、イルーシは眉間にしわを寄せたまま、アレクの手をにぎった。
「あ……」
そうして、するりと部屋の中に入る。
「これで解除がすんだ。今までは僕とゾルフィしか入れないことになっていたからね。次からは、イルーシも普通に入れるよ」
「解除?」
「そう。この部屋にあるものを、誰にでもさわられると困るから。入れるのは僕と、『勅師』のゾルフィ、それから弟子の君だけだ」
「ぼ、ぼく……」
「『勅師』の仕事は王の言葉を家臣たちに伝えるだけじゃない。僕がやってきたことを引き継いで管理してもらう役目もある。下手に大勢の人間に任せると、面倒なことになりかねないから」
「そんな大事なことを、僕が?」
「今すぐにじゃない。ゾルフィもまだしぶとく生きてるだろうし、僕もたまには帰ってくる」
「たまに……」
不安そうに顔をしかめるイルーシを尻目に、アレクは中央に置かれた大きな台のところへ歩み寄った。
その上にはこの国、帝国ミリエニオの精巧な模型が置かれている。
そこには木や各地の村落、宮殿が忠実に再現されており、空中庭園までもが本物さながらにふわふわと浮かんでいる。
「これ……、すごいですね! この国ですよね? ちゃんと空中庭園まである……」
そう言ってイルーシが伸ばしかけた手を、アレクが素早くつかんだ。
「ダメだよ、さわっちゃ。結界が壊れる」
「け、結界? これが?」
イルーシはまじまじと模型に目を凝らした。
「これはただの模型だけど、特別な魔法をかけてある。空、大地。そして宮殿。模型が基盤になって、大災咎の時にはこの国を守るための魔法が発動する。これは模型だけど、魔法でこの国とつながっているんだ」
「じゃあ、僕がさわったら……」
「魔法がゆがんでしまう。下手をすると、この国の実際の建物や、そこに住んでいる人間にも影響を及ぼすよ」
すると急にイルーシは黙りこんだ。
まるでおそろしいものでも見るように、模型をにらんでいる。
「ふれなければ問題ないから。僕はここの魔法陣にほころびがないか確認するから、イルーシはそこで見てて」
そう言うと、イルーシは神妙な顔で黙ってうなずいた。
アレクは模型に施したひとつひとつの布陣を確認していく。
いつもはゾルフィに任せきりなのだが、「帰って来たのだから、確認してください。次、またいつ戻るか分らないんですから」と、強く念を押されたのだった。
ゾルフィに、各国の不穏な動きの詳細を聞いたらすぐ戻るつもりだったアレクは、予定が狂ってしまった。
しかし、しばらくここに残ることにしたのは、結界のことだけではなく、ゾルフィから気になる話を聞いてしまったからだった。
ゾルフィは国外にスパイを放ち、常に各国の情勢を把握している。
長く帝国周辺の国々は、大災咎に対してそれなりの対策を練ってきているはずだった。
しかし、それが変容していったのがほんの数百年ほど前。
『竜を祀る者』という、もともとは土着信仰のようなものがいつの間にか拡大し、「竜を守ろう」という動きが、他国の上層部にまで見られるようになったというのだ。
竜を迎え入れれば、不浄な世界は新しく生まれ変わるという話らしい。
(ばかばかしい……)
そんなことで国を守れるのなら、アレクだってそうしている。
だが、大災咎はそんな類のものじゃない。
不浄も清浄も関係なく、ただそこにあるものを破壊していくだけだ。
普段から竜を大切にしているからと、見逃してくれるなどということは、ありえない。
それがいつの間にそんな話になったのか、アレクにはさっぱり分からなかった。
かなり昔ではあるが、各国の国王も、大災咎に対する備えをするというアレクの発案だけには賛成したはずなのに。
古代魔法国家の流れを組むジクレステスでさえ、ああなのだ。
他国はさらに変わってしまっているだろう。
(面倒なことになった)
大災咎はなぜか、東方から訪れる。
他国がそれを防ぐように動けば、西方にあるアレクの国は大きな被害を受けずにすむはずだった。
それが、他国がそれに対して何の反撃もしないとなれば話は違う。
防波堤になるものがなければ、竜たちはその力を弱めることなく、帝国までたどり着くだろう。
(この結界だけで、防げるかどうか……)
そんなことを考えながら魔法陣をすべて確認し、少し改良を加えたアレクは、ふと顔をあげる。
すると、真剣にこちらを見ていたイルーシの視線とぶつかった。
「何か分かった?」
「あの、いえ……全く」
イルーシはまだゾルフィの元に来て、日が浅いと聞く。
ここに施されてある魔法陣はものすごく複雑だ。
基本的な魔法陣の知識があったとしても、見ただけで分かるようなものでもない。
「じゃあ、次は他のところを見に行こう」
そう言って、アレクは扉の方に向かった。
すると、イルーシもあわててついてくる。
今回のことを絶好の機会と考えたのか、ゾルフィはここぞとばかりにあちこちを見てくるように言ってきたのだった。
「まだあるんですか?」
「次は結界じゃない。国内の魔法通路の補修」
「空中庭園に行けるあの、道のことですねっ」
やっと自分が少し知っているものがあったことが嬉しかったらしく、イルーシは目を輝かせてそう言った。
「そ。他にもあるけどね。――まあ、ここの魔法陣と違って、そんなに簡単にどうにかなるものじゃないはずだけど」
そんなことを話しながら、アレクとイルーシは部屋を出た。
するとどこかから話し声が聞こえてくる。
(ゾルフィか……?)
そもそもこの王宮に人が足を踏み入れていること自体、珍しい。
しかし、近づいてくる声はゾルフィのものとは違っていた。
ここで誰か他の者に会うとまた面倒なことになると思い、アレクは素早く柱のかげに身を隠すことにした。
イルーシの口を押さえ、一緒に引っ張り込む。
「なんで隠れる……もがもが」
一人は背の高い、ゾルフィと同じぐらいの老齢の男。
もう一人は、逆に背の低い壮年の男だった。
背の高い方の男は人間ではなく、どう見てもエルフだ。
「そうなのです。ですから、ここでのことも――」
背の低い男は、何やらエルフの老人を説得しようとしているようだった。
「わしはそんなことは望んでおらん。宰相どもが何を考えておるのかは知らんが、わしは今まで通りの仕事をするだけだ」
不機嫌そうにエルフの老人は答える。
「そうはおっしゃいますが、時代は移り変わっておるのですよ。このままでは他国に取り残されます」
「お前は他国に迎合することが、時流に乗ることだとでも言うつもりか? わしは許可せんぞ」
「迎合するなどと――。しかし、現に我が国は取り残されておるではありませんか。飛空艇のひとつも飛ばず、商業は停滞しております。国を開いていくべきです。でなければ、我が君はいつまでも"裏切りの王"の汚名を着せられたままです」
裏切りの王。
それは他国の人間がアレクのことを呼ぶ時に使う、さげすみの言葉だ。
するとついに、エルフの老人は足を止めた。
「――それをわしに言うのか? お前が?」
老人はアレクたちに背を向けていて、その表情までは分からなかったが、言われた小柄な男の方は縮みあがっている。
「私とて、そのようなことは甚だ不本意この上なく……」
小柄な男が最後まで言い終わるより前に、エルフの老人が声を荒げた。
「もうよい! 二度とその話を、わしの前でするな」
そう言うと、エルフの老人は身をひるがえし、また歩き始めた。
その後ろを小柄な男があわてたようについて行く。
「お、お待ちください……!」
その様子を隠れて見ていたアレクとイルーシは、二人の姿が見えなくなったのを確認し、ようやく柱の陰から出てきた。
「さっきの二人、誰か知ってる?」
アレクの問いに、イルーシは小首をかしげる。
「魔法大臣のフラウ様です。師匠とは仲が良くて、時々、家にもいらっしゃいます。もう一人の方は……、名前は分からないですけど、見たことはあります」
「どっちが?」
「あ、えっと、背の高い方がフラウ様です」
「ふうん……」
ゾルフィが言っていたのはこのことかと、アレクは思い当たる。
今この国の大臣ども数人が、現在の体制を改革するべきだという声をあげているという。
それが、アレクがこの国にしばらく留まる事にしたもう一つの理由だった。
王という地位に未練があるわけでないけれど、大災咎が終わるまでは、王としての権力がなければ困る。
「でも、王宮にまで入ってきていると言うことは、もう一人の男は祭司の可能性が高いな」
「ああ、はい。多分……。師匠の家来? というか、そういう人だったと……」
(ゾルフィの部下まで、改革論を訴えているのか)
思った以上に、国内も揺れている。
早くベルンたちと合流したいが、それも難しいかもしれないとアレクは眉をひそめた。
そんなアレクをイルーシがじっと見つめる。
「あの、どうして隠れたりするんですか? ここは王さ……じゃなくて、アレク様の王宮でしょう?」
イルーシはいちいち素直すぎる、とアレクは思った。
幼くて、純粋だ。
ふとソフィアのことが頭をよぎる。
「そうだけど、この国の政治に関わっている者に会うといろいろ面倒なんだ。僕には僕の考えがある」
「はあ……」
イルーシは困ったように首をかしげる。
「それより、さっさと用事をすませよう」
そう言って歩き出したアレクの後ろに、イルーシは慌てたように従った。
アレクたちが用事を終え、ゾルフィの元に戻ったのは、日暮れより少し前。
「全部見てきたよ。――疲れた」
ゾルフィに不満をぶつけながら、アレクはその家の主のように、その部屋のソファに遠慮なく座り込んだ。
「それはそれは。ようやくお役目を果たしていただき、ありがたく存じます」
「――慇懃無礼だな。ゾルフィは」
ちらりとゾルフィのすっかりはげあがってしまった頭を見ながら、アレクがつぶやく。
「アレク様がそう思われるのでしたら、そうかもしれません。ですが、先ほどから私の頭をちらちらと見るアレク様の視線に、私もひどく傷つけられておりますよ」
「仕方無いだろう? 若いころを知っていると、いろいろ気になってしまうんだ。昔はあんなに盛大だったのに……とか」
アレクはゾルフィがイルーシと同じぐらいの年頃だった頃から、彼を知っている。
「ですから、そういう発言が、先ほどから私を傷つけているのですよ」
「イルーシならともかく、ひねくれ者のゾルフィが、このぐらいで傷つくもんか」
真面目な顔でアレクがそう言ったところに、カップをのせたトレイを持ったイルーシが入ってきた。
「ああああ、あのっ……。お茶の用意が……」
動揺しているところを見ると、どうやら先程の会話を聞いていたらしい。
イルーシのふっくらした頬が、ピクピクとひきつっている。
(ああ。笑いをこらえているのか……)
それを見たとたん、アレクはどれぐらいイルーシが笑いを我慢していられるか、試してみたくなったのだった。




