8. 些細な違和感
死に戻った二度目の人生の日々は、つつがなく進んでいった。
前回の人生と大きく変わったこともなければ、何か特別な出来事が起こるわけでもない。
記憶にある限り、以前と変わらぬ毎日を過ごしていた。
月に一度は侍女を伴って王宮に出向き、婚約者であるジョセフ様とお会いする。そしてしばらくお話をした後、王宮の教育係たちから王太子妃教育を受ける。その後は、いよいよ王妃殿下が自ら施される教育の時間だ。
王妃宮にあるサロンで、二人きりで行われるこの教育の時間は、幼い私にとって苦痛極まりないものでしかなかった。
王妃殿下は自分の前にだけ置かれたティーカップを優雅な動作で持ち上げると、ゆっくりと口元に運び、その後私に質問した。彼女が椅子に座り、私は彼女の目の前に立たされたまま教育を受けるのが、いつものパターンだ。
「アウレリアさん。王太子妃として最も大切な責務は、何だとお思い?」
私は間髪を容れずに答える。
「民たちの心と生活に寄り添うことだと考えています」
すると、王妃殿下は露骨に鼻で笑った。
「随分と月並みですこと。上辺だけの言葉に聞こえるわねぇ。あなたのご両親は、一体お屋敷でどんな教育をなさっているのかしら」
「……」
鈍く光る真紅の瞳が、私を射抜く。
「民に寄り添う? そのような綺麗事なら誰にでも言えます。王太子妃は、国を導く王家の一員。今のまま歳を重ねたとて、あなたにはとても務まりそうにないわ。もっと高い視点を持ちなさい」
「申し訳ございません」
「謝れば済む話ではないのよ。白々しいわね」
ぴしゃりと言い放たれ、私は沈黙した。
「では、もう一度。答えなさい」
少し考え、私は答えを変える。
「このセレナ王国王家の威厳を守り、諸外国との信頼関係を保つことだと思います」
王妃殿下は目を細め扇を広げると、それをゆらゆらと動かしながら、じっとりとした目つきで私を睨む。
「つまり国民よりも体裁が大事だと?」
「……いえ、そのような意味では……」
「言い訳は結構よ」
再び遮られ、私は口をつぐんだ。
「先ほどは民たちが大切だと言ったくせに、今度は王家の威厳が大切だと言う。考え方に芯がないのね。あなたはね、一般の六歳児とは違うのよ。誰よりも大きな責任を背負う立場にあるの。そのようなことで、私の大切なジョセフを支えることが、本当にできるのかしら。あの子の妃となり、ともにこの王国の未来を担うことができるとお思い? 恥を知りなさい」
前回の人生では中身が六歳の女の子だったから、この徹底的に追い詰めてくる王妃殿下のやり方が、恐ろしくてたまらなかった。
何を発表しても、何を答えても、必ずこの悪意に満ちた真紅の目で睨めつけられ、こちらの心が折れるまで説教が続けられる。
けれど、今の私は案外平気だ。だってもう、これらのことは一度全部経験しているのだから。そして私の中身は、すでに十八歳なのだ。
(改めて体験すると、すごいわね……。六歳の女の子をここまで執拗に追い詰めるだなんて。本当に私のことが憎らしくて仕方がないんだわ、この方)
延々と続く王妃殿下の説教を聞き流しながら、私は妙に感心していた。
本当の子どもだった頃は、王宮から屋敷に帰るたび一目散に私室に向かい、寝台に突っ伏し、声を殺して泣いていた。両親に心配をかけたくなかったのだ。
王妃殿下から浴びせられる一言一句が心に深く突き刺さり、胸が痛くてたまらなかった。
けれど今は、そんな痛みは全く感じなかった。あの方がああいう人であることはすでに知り尽くし、すっかり耐性ができている。けろっとしたものだ。
一度命まで奪われたことに比べれば、何ということもない。
夕食の席で父や母に王宮でのことを問われても、胸の苦しみを必死に我慢し、上辺だけの笑みを浮かべるようなことはせずに済んだ。
「アウレリア、今日は王宮に上がったのだったな」
「ジョセフ王太子殿下はいかが? お元気でいらっしゃったかしら?」
「王太子妃教育は、きちんと頭に入っているか? 王妃殿下からは、どのようなお言葉を?」
幼い娘を案じる両親の質問に、私はにっこりと無邪気に笑い、答えた。
「ええ、ジョセフ様は今日もお元気だったし、王太子妃教育は順調です! 王妃殿下からは、引き続き頑張るようにとのお言葉をいただきました」
私の笑顔を見た父と母は、明らかに安堵している。
前回の人生では気付けなかったけれど、王宮から戻るたびに暗い顔をしていた私を見て、二人もまた心を痛めていたのだろう。
けれど、娘が厳しい王太子妃教育に苦しんでいると知っていても、ジョセフ様の婚約者である以上、「もう行かなくてもいい」などとは決して言えない。これは王家との間に結ばれた婚約なのだから。
だからこそ父も母も、何もできずただ私を案じ、胸を痛め続けていたのだ。それに気付き、切ない気持ちになる。
私はさらに口角を上げた。
「ふふ。最近なんだか、王太子妃教育がとても楽しくなってきたんです。前よりずっと理解できるようになってきましたし。この調子で頑張りますね、私」
「ああ……、アウレリア……」
母が突然涙ぐみ、顔を背けた。けれどすぐに私の方へと向き直り、嬉しそうな笑みを見せる。
「それなら本当に、よかったわ。あなたのペースで、頑張るのよ」
「はいっ! お母様」
「お前が我慢強い子なのは分かっているが、困ったことがあれば、私たちにちゃんと相談しなさい。自分一人で抱え込まなくていいのだからな」
父のその言葉にも、私は素直に答えた。
「ありがとうございます、お父様。もしも困ることがあれば、ちゃんと言います。今のところありませんけど」
二人はほっと息をつき、顔を見合わせて微笑んでいた。
二度目の人生が始まってふた月ほどが経った頃、フルニエ公爵夫妻がシャロン侯爵邸を訪れた。
レナート様も前回の時と同じように、ご両親に連れられてやって来た。公爵夫妻の実子である長男と一緒に。
実子には会ったことがあるけれど、レナート様とは、たしかこの時が初対面だった。私が六歳なので、三歳上のレナート様は九歳のはず。
幼い頃の記憶を辿っていると、公爵夫妻と長男との挨拶が終わった後、父が案の定、私にレナート様をこう紹介した。
「アウレリア、こちらはフルニエ公爵家の次男、レナート君だよ。お前は初めて会うだろう」
(やっぱりそうか……)
私は前回の人生と同じように、あえて子どもらしい口調で挨拶をした。
「はじめまして、レナート様。アウレリアと申します」
すると、レナート様がにっこりと笑った。
「初めまして、アウレリア嬢。レナートです。どうぞよろしく」
(……あれ?)
彼のその様子に、私は少し違和感を覚えた。
(レナート様って、初対面の時はこんなに明るい印象じゃなかった気がするけれど……)
何度か会って慣れてきた頃には、お喋りをしたり一緒に遊んでくれたりもしたけれど、たしか最初に会った時は、もっと冷たい印象だった。
恥ずかしがっていたのか、不機嫌だったのか、レナート様はもっと不貞腐れたような顔で、私から目を逸らしたはずだった。
(……私の記憶違いかしら……。幼少期の思い出って、曖昧な部分も多いものね)
そう思い、私は自分を納得させたのだった。
その日、互いの両親が歓談をしている間、私と兄、そしてフルニエ公爵家の兄弟は、一緒に屋敷の中を歩き回ったり、庭園に出て遊んだりした。
レナート様は私にたくさん話しかけてくれ、私たちはあっという間に打ち解けたのだった。
夕食をともにしたフルニエ公爵一家が帰る時、私は両親や兄とともに、玄関ホールまで彼らを見送った。
「今日は楽しかった。会えてよかったよ、アウレリア嬢。これからも仲良くしてね」
「はい、レナート様。こちらこそ」
(うーん……。やっぱりレナート様、雰囲気が変わった気がするわ……)
随分気さくになった彼の様子に戸惑いつつもそう返事をすると、フルニエ公爵一家が屋敷を出ていく。
「じゃあ、またね」
レナート様が両親の後を追いながら、最後に私に向かって、満面の笑みで手を上げた。
(……あれ?)
その右手のブレスレットを見て、私はさらなる違和感を覚えた。
前回の人生でレナート様が着けていたのは、空色の宝石のブレスレットだった。間違いない。子どもの時からずっと同じものを着けていたから、よほど大切なものなのだろうなと思っていたことをはっきりと覚えている。
けれど今彼の手首にあるものは、鈍く黒ずんだ、鉱石のような石がついたブレスレットだった。
(……どういうことかしら。不思議ね。死に戻ったこの人生で、以前と変わったことなんて何も起こらないのに。レナート様だけがなんとなく、以前と違う気がするわ……)
フルニエ公爵一家が帰り、寝支度をして寝台に入ってからも、私はレナート様のことが妙に気になって仕方がなかった。




