第2話:弱いほうを選ぶ
――建安四年(一九九年)、宛。
賈詡は、宛の館で、袁紹からの使者を、迎えていた。
張繡の参謀として、この城にいる。もう、二年になった。
その二年のあいだに、賈詡は、曹操を、二度、痛い目に遭わせていた。
一度目は、降ったばかりの張繡に、夜襲を勧めたときだ。曹操は、長子の曹昂と、甥と、身辺を守っていた虎士とを、一夜で失った。二度目は、曹操が兵を退いたときだ。張繡が追おうとするのを賈詡は止め、追って敗れて帰ってきた張繡に、こんどは、すぐ追え、と言った。張繡は、その二度目で、勝った。
賈詡は、その二つを、忘れていなかった。
忘れていない、というのは、悔いているという意味ではない。あのとき、あれが最も勝ち目のある手だった。それだけのことである。ただ、勘定として、覚えていた。曹操の長子は、自分の献じた一策で、死んでいる。
袁紹の使者は、上機嫌だった。
河北の四州を併せ、十万を養う名門の当主が、わざわざ、この小さな宛へ、手を差し伸べてきたのである。書簡には、ともに曹操を挟み撃ちにしよう、とあった。
張繡は、その書簡を読んで、明らかに、傾いていた。
当然だった。袁紹は強く、曹操は弱い。そのうえ、曹操には、殺した息子の恨みがある。どちらへ付くかなど、考えるまでもない。張繡が使者へ礼を言い、承知の返事をしようと口を開きかけた、そのときだった。
賈詡が、口を挟んだ。座は、張繡と使者と、幾人もの将が並んでいる、その席である。
「本初どのに、こうお伝えいただきたい。兄弟一人すら容れられぬお人が、どうして天下の人物を容れられましょうか、と」
座が、凍りついた。
袁紹と袁術は、同じ家に生まれながら、互いを憎み、ついに手を結ばぬまま、弟のほうは血を吐いて死んだ。誰もが知っていて、誰も口にしない一点を、賈詡は、使者の目の前で、平らに言った。
使者は、顔色を変えて、去った。
張繡が、青ざめて、賈詡に詰め寄った。
「なぜ、そこまでのことを言う。あれで、袁紹への道は、絶たれた」
「絶ちました」
「では、どこへ行けというのだ」
賈詡は、指を、三本立てた。
「曹公のもとへ降るのが、よろしい」
「待て。袁紹は強く、曹操は弱い。そのうえ、我らは曹操の子を殺している。そこへ降って、どうなる」
「その三つが、そのまま、降るべき理由です」
賈詡は、一つずつ、指を折った。
「一つ。曹公は、天子を奉じて、天下に令しておられる。天子に従う者に降るのは、筋が通ります。袁氏に付けば、我らは、天子に背く側の兵になる。二つ。袁紹は強く、我らは小さい。小さい者が強い者に加われば、頭数の一つに数えられて終わりです。曹公は兵が薄い。薄いところへ我らが加われば、必ず、重んじられる。三つ。覇を志す者は、私の恨みを捨てて、天下に度量を見せるものです。子を殺した我らを許して用いれば、曹公の名は、それだけで上がる。曹公は、その勘定のできる人です」
張繡は、しばらく、黙っていた。
それから、低く言った。将軍、あなたは、人の腹の底ばかり読む、と。賈詡は、否とも応とも答えなかった。
賈詡が読んでいるのは、腹の底ではない。勘定だった。
誰が正しいか、ではない。誰が、自分を必要とするか。誰が、恨みを呑み込むだけの見通しを持っているか。強い側に転がり込んでも、飼い殺しになる。弱い側へ入れば、駒として、重く使われる。生き延びるとは、そういう場所を、正確に選び続けることだった。
その選び方を、賈詡は、董卓が死んだあとの長安から、ずっと続けている。
あのとき、逃げ散ろうとした李傕たちに、長安を攻めよと説いたのも、同じ勘定だった。逃げれば、亭長一人にも捕まる。押せば、生き延びる。その一言で、都は火の海になり、十万が死んだ。賈詡は、その勘定書を、いまも、どこにも見せずに、懐に入れている。
その年の冬、張繡は、兵を率いて、曹操のもとへ降った。
賈詡は、その後ろに、いた。
曹操は、陣門まで、自分で出てきた。そして、張繡の手を取り、次に、賈詡の手を取った。曹操の手は、大きく、乾いていた。
「私を、天下に信じさせてくれるのは、あなたです」
曹昂のことは、一言も、出なかった。
賈詡は、その一言も出さないという一点を、じっと測った。長子を殺された父が、その因を作った男の手を、両手で握り、恨みを、口にも顔にも出さない。呑み込んでいるのではない。使うために、置いているのだ。
この人は、恐ろしい、と賈詡は思った。
同時に、自分の三つ目の勘定が、寸分違わず当たったことも、分かった。
賈詡は、館を与えられ、官を与えられた。その日から、賈詡は、口数を減らした。人と交わらず、屋敷の門を閉め、子の縁組も、名家とは結ばなかった。
新しく来た者が、重んじられすぎるのは、危うい。
三度、主を替えて生き延びた男は、四度目を替えずに済ませる方法を、もう、考えはじめていた。




