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三国志 ―正史群像―  作者: ソリトん
第八章 弔鐘(ちょうしょう)

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第7話:胡と漢と

 ――興平二年(一九五年)、幽州鮑丘(ゆうしゅうほうきゅう)。


 閻柔(えんじゅう)は、夜明け前の野で、背後の音を聞いていた。

 二つの言葉が、混じっていた。

 右手のほうからは、漢の兵の声がした。粥の桶が回され、隊ごとに人数を読み上げる声がして、そのたびに、短い返事が重なる。左手のほうからは、馬の声と、胡の言葉がした。革を打つ音、鞍を締める音、それに、朝の冷えを罵る声。

 どちらも、閻柔には、耳に馴染んだ音だった。

 閻柔は、燕の生まれの漢人である。だが、物心のつく頃から長城の外で過ごし、烏桓(うがん)と鮮卑(せんぴ)のあいだで育った。その言葉を覚え、その飯を食い、その馬に乗った。塞の内では胡に染まった男と見られ、塞の外では、やはり漢の者だと見られた。どちらにも入りきらぬ半端者だと、閻柔は、長いこと自分を思っていた。

 その半端者が、いま、十万の先頭に立っている。


 始まりは、二年前の、一つの首だった。

 幽州牧の劉虞(りゅうぐ)が、公孫瓚(こうそんさん)に斬られた。漢の血を引く宗室で、武ではなく政と徳とで北辺を鎮めてきた人が、同じ州にいた辺境の武人の手で、市の真ん中に引き出されて、首を落とされた。

 その報せが塞の外へ届いたとき、閻柔は、烏桓の営にいた。

 胡の男たちが、黙り込んだのを、閻柔は覚えている。誰も、怒鳴らなかった。ただ、火のそばに座って、長いこと、誰も口をきかなかった。


 その冬、閻柔は、州の役所へ呼ばれた。

 広間には、劉虞の下にいた者たちが、喪の色の衣で並んでいた。従事の鮮于輔(せんうほ)と斉周、それに騎都尉の鮮于銀。従事とは、州の長官のもとで政務を分け持つ属官であり、騎都尉とは、騎兵を預かる武官である。いずれも、代々この州で官を務めてきた家の者たちだった。

 閻柔には、位も、家も、無かった。

 あるのは、塞の外に知り合いが多い、というそれだけである。末の席に座らされるものと思って入ったが、鮮于輔は、閻柔を上座の近くへ招いた。それから、立って、頭を下げた。


「烏桓司馬を、引き受けてもらいたい」


 烏桓司馬とは、烏桓の兵を束ねる、漢の武官の職である。

 閻柔は、すぐには答えなかった。州の役人たちが、州の兵を挙げて仇を討とうというときに、その先頭へ、胡に育った男を押し出そうとしている。位も家もない男を、である。


「なぜ、私なのですか」

「胡は、位では動かない。恩で動く。その恩を、あちらの言葉で言える者が、この州には、あなたしかいない」


 閻柔は、受けた。


 それから半年、閻柔は、塞の内と外を、馬で往復し続けた。

 烏桓の営を回り、鮮卑の営を回った。劉虞の名を出すだけで話の通るところがあり、通らないところでは、幾晩でも火のそばに座って、飲んだ。集まったのは、胡と漢と、あわせて数万である。漢の兵は隊伍を組んで歩き、胡の騎は隊伍を嫌って散らばって走った。その二つを一つの軍として動かすのに、閻柔は、はじめの一月を費やした。

 その数万を率いて、閻柔は、潞(ろ)の北へ出た。

 そこに、公孫瓚の置いた漁陽(ぎょよう)太守の鄒丹(すうたん)がいた。鄒丹は、胡の騎を軽く見ていた。散らばって走る敵は、まとめて突けば崩れる、と踏んだのである。

 閻柔は、その突きを、正面で受けずに、割れた。

 割れて、両側から回り込んだ。胡の騎は、隊伍を組ませさえしなければ、そういう動き方だけは、誰よりも速かった。鄒丹の隊は、まとまったまま、袋の底へ入った。斬った首は、四千を超えた。


 その勝ちの報せが塞の外へ流れると、思いがけない一隊が、北から下ってきた。

 烏桓の峭王(しょうおう)である。名を、蘇僕延(そぼくえん)といった。

 閻柔は、野の外れまで、迎えに出た。七千余りの騎が、砂を上げて近づいてくる。峭王の一族の者に、鮮卑の騎が混じっていた。峭王は、馬を下りずに、閻柔を見下ろした。


「劉虞は、俺たちの子を、人質に取らなかった。取らずに、市を開いた。塞の内と外で、馬と穀とを換えさせた。あの人がいた年は、冬に、俺の営から、誰も死ななかった。その人を殺した男が、まだ生きていると聞いた。俺は、その勘定を、済ませに来ただけだ」


 閻柔は、頭を下げた。

 公孫瓚は、胡を斬ることで、北辺に名を上げた男である。斬られた側の恨みは、確かに残った。だが、恨みだけなら、七千の騎が、こんな遠くまで、自分から下ってはこない。

 閻柔は、峭王の馬の脚を見ていた。長い道を来た脚だった。


 春になって、南から、一人の男が帰ってきた。

 劉和(りゅうか)である。殺された劉虞の、子であった。

 長安の天子の使いとして南へ下ったまま、袁術に留め置かれ、逃れて袁紹のもとへ移り、そこで足止めを食っているうちに、父の死に間に合わなかった男である。閻柔は、その顔を見て、少し意外に思った。泣いてもいなければ、猛ってもいなかった。ただ、疲れていた。

 劉和は、袁紹の将、麴義(きくぎ)の兵を連れてきた。

 界橋(かいきょう)で白馬義従(はくばぎじゅう)を砕いた、あの麴義の兵である。伏せて待ち、間近から強い石弓を放って、駆ける白馬を粉々にした一隊。その兵が、いま、同じ野に並んでいた。

 合わせて、十万になった。


 夜が明けた。

 野の南に、公孫瓚の陣が見えた。旗の数は、こちらの半分にも足りなかった。白い馬の一隊は、もう、どこにも無かった。界橋で砕かれてから三年、公孫瓚は、それを揃え直せていない。

 閻柔は、中軍に幽州の州兵を置いた。鮮于輔と劉和が、その旗の下にいる。左右の翼には、胡の騎を置いた。右が峭王の七千、左が、閻柔が塞の外から連れてきた騎である。

 鉦が鳴った。

 中軍が、まっすぐ押した。漢の歩兵は、隊伍を崩さずに歩く。遅く、しかし、退かずに。公孫瓚の兵は、それを正面で受けた。受けているあいだは、まだ崩れなかった。北辺で長く戦ってきた兵である。押されることには、慣れていた。

 閻柔が、腕を上げた。

 左右の翼が、走り出した。胡の騎は、正面へは行かなかった。野を大きく回り込んで、公孫瓚の陣の後ろへ抜けた。振り返った兵の顔が、閻柔の立つ高みからも、白く見えた。前は歩兵が押し、後ろから騎が入る。公孫瓚の陣は、そこで、真ん中から裂けた。

 裂けたところへ、峭王の七千が、入った。

 逃げ道は、あらかじめ閉じてあった。閻柔は、その日、逃げる者を追わせるのではなく、初めから、逃げる先に置いておいた。斬った首は、二万余りに上った。


 戦のあと、閻柔は、北からの報せを、次々に受け取った。

 代郡(だいぐん)が、公孫瓚の置いた長吏を殺した。広陽が殺した。上谷が殺し、右北平が殺した。長吏とは、郡や県に置かれる、その地の役人の頭である。四つの郡が、申し合わせたわけでもなく、同じ月のうちに、同じことをした。そして、殺した者たちは、そのまま、鮮于輔と劉和のもとへ、兵を合わせてきた。

 閻柔は、その報せを、一つずつ聞いた。

 公孫瓚が郡に置いた長吏は、どれも、外から連れてきた者だった。土地の者ではない。公孫瓚は、その者たちを信じ、土地の者を信じなかった。信じられなかった土地が、いま、置かれた者を、順に吐き出している。


 公孫瓚は、それきり、野に出てこなくなった。

 易水のほとりに、易京(えきけい)という城を築いて、その中へ引き籠もったという。塹を掘り、丘を築き、その上に楼を建てて、穀を運び込んでいる、と。

 閻柔は、その話を、塞の外へ帰る峭王を送りながら、聞いた。

 峭王は、易京の話を、最後まで聞かなかった。俺の用は済んだ、と言って、七千の騎を返していった。北へ向かう砂煙が、いつまでも、野の端に残っていた。

 閻柔は、その煙を、見送った。

 この十万は、この一年のためだけに集まった十万である。仇が籠もってしまえば、ほどけていく。ほどけたあとで、塞の内と外のあいだに残るのは、また、自分のような半端者だけだった。

 その十年ののち、南から来る別の主のために、閻柔がもう一度この胡の騎を率いることになるとは、このときは、思ってもみなかった。


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