第6話:静かな刑
――建安三年(一九八年)、徐州下邳。
次は、陳宮の番だった。
曹操は、縛られた陳宮を、自ら迎えた。二人は、かつて、兗州を共に切り回した仲だった。曹操の顔には、珍しく、痛みのようなものが、浮かんでいた。
「公台よ。お前は、いつも、自分を智者だと言っていた。その智者が、なぜ、こんなところで、縛られている」
公台とは、陳宮の字である。曹操は、旧い呼び名で、そう問うた。助かる道を、探しているのが、陳宮には分かった。詫びれば、あるいは、許すつもりなのだ。かつて自分を担いだ男を、曹操は、まだ、惜しんでいた。
陳宮は、詫びなかった。
「臣として、忠でなかった。子として、孝でなかった。それゆえ、こうして死ぬのです。ただ、それだけのことだ」
陳宮は、静かに、刑場のほうへ、歩き出した。
曹操が、その背に、慌てて問うた。お前の老いた母は、どうなる。妻子は、どうなる、と。陳宮は、足を止めずに、答えた。
「聞くところ、天下を孝によって治めようとする者は、人の親を害さぬといいます。私の母を生かすも殺すも、明公次第。私が案じることでは、ありませぬ」
陳宮は、振り返らなかった。
天下を孝によって治めようとする者は、人の親を害さぬ。さっき自分の口で言った言葉を、陳宮は、最後にもう一度、胸の内で繰り返した。曹操なら、母を生かすだろう。あの男は、そういう筋だけは、通す。その一点だけは、担ぎ上げた頃から、変わっていない。陳宮は、それを信じて、目を閉じた。
静かに、刑に就いた。命乞いも、言い訳も、しなかった。
高順も、死んだ。
呂布の下で、七百の精鋭を率い、攻めて落とせぬ城は無いとまで言われた寡黙な将は、曹操の前でも、一言も発しなかった。命乞いをせず、仕えるとも言わず、ただ黙って、首を差し出した。攻めるに陥さざる無しと謳われた精鋭も、主とともに、この城で潰えた。
同じ呂布の将でも、道を分けた者がいた。
張遼である。并州以来の呂布の将は、曹操に降った。死を選んだ陳宮や高順とは違い、張遼は、生きて、曹操に仕える道を選んだ。陳宮は、それを、責める気にはならなかった。死ぬのも、降るのも、それぞれの選びだ。張遼の武は、これから、曹操の下で、存分に振るわれるのだろう。陳宮のように、才を怖れて袋小路へ入る者もいれば、張遼のように、まっすぐ次の主へ移る者もいる。
もう一人、この城から逃れて、別の道を行った者がいた。
臧覇である。泰山の生まれで、若い日、罪に問われた父を救うために、護送の役人を襲って奪い返し、それで名を知られた男だ。以来、山と海のあいだの荒れた土地で、無頼の徒を束ねて生きてきた。呂布の下にいたのも、束ねた者ごと、身を寄せていただけであった。
城が落ちると、臧覇は、山へ逃げた。
曹操は、その臧覇を、捜させた。捜し出して、降らせ、そして――青州と徐州の、海沿いの一帯を、そっくり、この男に委ねた。臧覇は、そこに根を張る豪族どもを、まとめて束ね、以後、長く、東の境を守ることになる。
陳宮は、その処置を、聞いた。
才を惜しんで手元に置くのでもなく、地を取り上げるのでもない。地ごと、そこに根を張った者ごと、束ねて使う。地を持つ者は、人にではなく、地に仕える。ならば、その地を安んじてやれば、そのまま、こちらの東の壁になる。
あの男は、それを、分かっている。
己は、その分かりようが恐ろしくて、この城まで来たのだ、と陳宮は思った。
水に沈んだ下邳に、いくつもの死と、いくつかの降伏とが、残った。
武の流転の時代が、この城で、一区切りついた。呂布とともに、その時代の弔鐘が、鳴り終えた。




