第5話:縛られる虎
――建安三年(一九八年)、徐州下邳。
城が水に沈み、望みが絶えると、呂布の将たちが、動いた。
侯成という将が、まず背いた。呂布は、酒を禁じていながら、些細なことで将を責め、人心を失っていた。侯成は、仲間の将とともに、陳宮と高順を縛り上げ、城門を開いて、曹操へ降った。
陳宮は、抗わなかった。
縄をかけられながら、陳宮は、呂布のいる楼のほうを、一度だけ見た。無双の武も、水と飢えと、そして味方の裏切りの前には、なすところがなかった。
呂布は、楼の上で、捕えられた。
縛られて、曹操の前に引き出された。陳宮は、少し離れた場所から、それを見ていた。
呂布は、命乞いを、始めた。
「明公が案じておられたのは、この呂布ひとりでしょう。その呂布が、いま、こうして服したのだ。これからは、明公が歩兵を率い、この呂布が騎兵を率いれば、天下を定めるのは、たやすいことです」
曹操の顔が、わずかに、動いた。
この無双の武を、使ってみたい。そういう色が、一瞬、その目をよぎったのを、陳宮は、離れたところから見て取った。呂布ほどの武である。手元に置けば、確かに、使える。
だが、そのとき、曹操の傍らにいた男が、低く、一言、言った。
劉備だった。
「明公は、呂布が丁原に仕え、董卓に仕えた、その末路を、ご覧にならなかったのか」
それだけだった。
呂布は、丁原を斬り、董卓を斬った。三人目の主として曹操に仕えれば、四人目に、曹操が斬られる。劉備の一言は、その一点を、突いていた。
曹操の目から、ためらいの色が、消えた。
呂布は、劉備を睨んで、何か罵ったが、もう遅かった。曹操は、呂布を絞め殺すように命じた。当代に並ぶ者のない武は、水に沈んだ城の楼の上で、縄にかけられて、あっけなく、事切れた。
陳宮は、それを、黙って見ていた。
開幕の号砲のように、天下を騒がせた男の最期が、これだった。地盤を持たず、忠誠の軸を持たず、ただ武だけで駆け抜けた男は、その武を惜しむ者さえなく、縄一本で、消えた。武の時代の、一つの弔いの鐘が、いま、静かに鳴った。陳宮には、そう聞こえた。




