第3話:陥陣営(かんじんえい)
――建安三年(一九八年)、徐州小沛。
轅門の一矢から、二年が過ぎていた。
劉備は、なお、呂布の下で、小沛にいた。あの夜に助けられた形のまま、二年をかけて、また兵を集め直し、いつのまにか、一万に近い軍を、抱えるまでになっていた。陳到は、その、何度奪われても人を集め直す力に、あらためて舌を巻いた。
だが、その回復を、呂布は、見逃さなかった。
劉備が力を蓄えるのを恐れた呂布は、ついに、小沛の劉備を、討つと決めた。差し向けてきたのが、高順だった。
高順の、陥陣営である。
呂布の軍で、ただ一つ、隙の無い一隊だった。わずか七百余。だが、いつも鎧と武具を揃え、攻めて陥せぬ陣は無い、として、陥陣営――陣を陥とす営、と呼ばれた。呂布という男は、地盤も忠誠の軸も持たぬ、空っぽの器だったが、この高順の一隊だけは、別だった。寡黙な高順が、黙々と鍛え上げた、本物の精鋭だった。
その陥陣営が、小沛へ、寄せてきた。
劉備は、曹操へ、急を告げた。
許の曹操は、夏侯惇を、救援に差し向けた。片目を失ってなお退かぬ、あの猛将である。劉備の軍と、夏侯惇の軍と。二つ合わせれば、高順の七百に、数では大きく勝った。
だが、数は、意味をなさなかった。
陳到は、その戦を、劉備のかたわらで見た。高順の陥陣営が、鎧を揃えて、まっすぐ突っ込んでくる。その一点が、劉備と夏侯惇の厚い陣を、面白いように貫いた。分厚い陣が、七百の穂先の前で、豆腐のように裂けた。夏侯惇の軍も、支えきれず、崩れた。攻めて陥せぬ陣は無い、という名は、伊達ではなかった。
劉備の軍は、散った。
妻子も、また、敵の手に落ちた。下邳を失ったときと、同じだった。劉備は、小沛という、最後の足場さえ失って、身一つで、逃げるしかなかった。
落ちていく先は、一つしかなかった。
曹操だった。呂布に追われた劉備が、頼れるのは、いま、呂布と敵対する曹操だけだった。
「あの男のところへ、行くのか」
張飛が言った。夜の道である。
「ほかに、開いている門が、ない」
関羽が、前を見たまま、答えた。
「門は、開いているうちに、くぐるものだ。閉まってから叩いても、返事はない」
「……借りが、また、増える」
「増える。増えたぶんは、後で返す。返せるところまで、生きていればよい」
あの曹操のもとへ。土地なき客将は、また、寄る辺を変えた。
陳到は、その、削られていく劉備の軍の中に、いた。
高順の陥陣営に貫かれ、妻子を奪われ、また流れ者に戻った劉備。だが、その背には、なお、関羽がいた。張飛がいた。麋竺も、陳到も、離れなかった。土地は、また奪われた。だが、人は、また、残った。
残った人を連れて、劉備は、曹操のもとへ、身を寄せた。
こうして、呂布に土地を奪われた劉備と、呂布を兗州で敵に回した曹操とが、手を組んだ。二人は、共に兵を挙げて、呂布の籠もる下邳へ、向かうことになる。同じ敵を討つ、その一点だけが、いまは、二人を繋いでいた。陳到には、この手結びが、いつまで続くのかは、まだ、分からなかった。




