第4話:許の帝
――建安元年(一九六年)、許。
許に迎えられた天子を、麦は、一度だけ、遠くから見た。
荷を運ぶ途中、大路の脇に人が並んで、頭を垂れていた。天子の車が通るのだという。麦も、倣って、頭を下げた。車の簾の隙間から、痩せた、若い人の顔が、ちらと見えた。それが、天子だった。
思っていたより、ずっと、痩せていた。
周りの官たちは、地に額をつけ、声を整えて、うやうやしく拝した。
拝む音は、大きかった。衣擦れの音、額を地につける音、万歳を唱える声。その音は、洛陽の廃墟にいた頃より、はるかに、荘厳になっていた。曹操が、天子の儀礼を、きちんと整え直したからだ。飢えて草を摘んでいた帝は、いま、また、聖なる身として、うやうやしく拝されていた。
だが、麦には、分かった。
拝む音が大きくなったぶんだけ、その身が、力を取り戻したわけではなかった。天子は、相変わらず、自分では何も決められなかった。食べるものも、住む所も、会う相手も、みな、曹操が決めた。うやうやしく拝されながら、その実、天子は、曹操の手の中の、一つの道具になっていた。拝む音が大きいほど、その身に、力は無かった。
麦は、それを、かつて都で廃立を見たときのことに、重ねていた。
あのとき、董卓が、剣を提げて殿上に立ち、天子を、牛のように取り替えた。
力の無い聖なる身を、武を持つ者が、意のままに動かした。いま、曹操がしていることも、根は、同じだった。ただ、董卓は、それを、剣を提げた無作法でやった。曹操は、うやうやしい儀礼と、たっぷりの食で、やっている。荒々しく奪うか、丁寧に奉じるか。やり方は、正反対だった。だが、天子を、自分の手の中の道具にする、という一点は、同じだった。
いや、と麦は思い直した。同じではない。
董卓は、天子を呑んで、人心を失い、滅んだ。曹操は、天子を丁寧に奉じて、人心を得ようとしている。同じ道具の使い方でも、荒く使えば身を滅ぼし、丁寧に使えば身を立てる。名分とは、そういうものらしかった。
その頃、許の周りでは、荒れた田に、人が入りはじめていた。
三年前に東阿の県令として城を守り抜いた、あの棗祗が屯田というやり方を献じ、任峻という官が、それを取り仕切りはじめた、と麦は聞いた。戦で荒れた土地に、流れてきた民や、降った青州兵を入れて、耕させる。穫れた穀の半ばを官が取り、半ばを民が食う。麦のような小作が、地主にしてきたのと、同じことを、こんどは曹操が、国の規模でやっていた。
名分と、兵糧と。
天子という名分を握り、屯田という兵糧を蓄える。曹操は、その二つを、同じ年のうちに、両手に掴んだ。飢えた天子を拾った男は、もう、ただの宦官の孫では、なくなっていた。




