第2話:天子を奉じる
――建安元年(一九六年)、許。
荀彧は、その報せを聞いて、すぐに、曹操に説いた。
天子を、迎えるべきです、と。
「いま、天子は、飢えて、寄る辺を失っておられる。ここで、真っ先に迎え、奉じた者が、天下の名分を握ります。天子を奉じて、民の望みに従う。これに勝る大義は、ありませぬ」
荀彧の声は、静かだったが、揺るがなかった。
毛玠という者も、同じ大計を説いていた。
「天子を奉じて、従わぬ者を令するのです。そのうえで、荒れた地に人を入れ、耕させる。名分は、腹を膨らませませぬ」
それが、乱世を鎮める者の、進むべき道だ、と毛玠は言った。
曹操は、うなずいた。すぐに兵を発し、洛陽へ向かった。
荀彧は、その背を見送りながら、袁紹のことを、思っていた。
同じ策を、袁紹も、勧められていたはずだった。袁紹の下にも、沮授という賢臣がいて、天子を迎えて号令せよ、と説いたと聞く。だが、袁紹は、それを退けた。天子を近くに置けば、いちいち上奏して指図を仰がねばならず、煩わしい。従えば権が薄れ、背けば逆賊になる。名門の当主は、その煩わしさを嫌って、飢えた天子を、拾わなかった。
荀彧は、かつて自分が、袁紹を見限った理由を、また思い出した。
多くを持ちながら、使えぬ人。袁紹は、天下でいちばん、天子を迎えるにふさわしい力を持っていた。四世三公の名望も、河北の版図も、十万の兵も。その袁紹が、いちばん大きな名分を、煩わしいという理由で、見送った。曹操は、わずかな兵で、真っ先にそれを拾いに走った。
この差が、いつか、決定的になる。荀彧には、そう思えた。
曹操は、洛陽で、飢えた天子に拝謁した。
崩れた壁の下の帝に、食を献じ、兵で守った。そして、都を東の許へ移した。許には蓄えがある、ここでは天子を養うことさえできぬ――そう申し上げたのだと、荀彧は、あとから聞いた。天子に、否やは無かった。否やを言えるだけの、力が無かった。
こうして、飢えた天子は、曹操の本拠、許へ迎えられた。
漢の名分は、いま、家柄の低い、宦官の孫の手の中に、移った。荀彧は、それを、漢再興の第一歩だと信じた。天子を奉じ、乱を鎮め、いつか、漢を、もとの姿へ戻す。その理想を、荀彧は、曹操という男に、重ねていた。まだ、重ねていられた。
天子を迎えてすぐ、曹操は、大将軍――武官のいちばん高い位に就いた。
その報せが北へ届くと、袁紹が怒った。曹操は幾度も死にかけ、そのたびに自分が救ってやった。それが、いまになって恩に背き、天子を抱えて自分に指図をする気か、と。怒りの文は、こちらの陣にまで、そのまま伝わってきた。
曹操は、その大将軍の位を、袁紹に譲った。
自分は司空――三公の一つに退き、車騎将軍の任を代行する形にした。荀彧は、その差配を、帳面の端で聞いていた。位を配れる者だけが、位を譲ることができる。天子を得た男は、その日から、河北のいちばん大きな相手を、位ひとつで宥められるようになっていた。名分とは、命じる力であるより先に、相手をなだめるための通貨でもあった。
だが、名分を得ることと、名分を守ることとは、別だった。
天子を許に抱えた曹操の四方には、なお、強大な者がいた。北の袁紹、南の劉表、東の呂布や袁術。そして、いちばん背中に近い西――長安の向こう、関中から涼州にかけては、董卓の残した戦の名残の火が、まだくすぶっていた。馬騰、韓遂といった、漢とも羌ともつかぬ辺境の武人たちが、思い思いに兵を養っている。彼らが東へ雪崩れてくれば、天子を奉じたばかりの曹操の背は、たちまち破られる。
荀彧は、その西の抑えに、一人の男を薦めた。
鍾繇である。潁川の名家の出で、荀彧とは、同じ土地の名士の網で繋がっていた。荀彧は、この鍾繇を、関中を鎮める役に就けるよう、曹操に説いた。曹操は、荀彧の薦めるまま、鍾繇に節――天子の代理であることを示す割符を持たせ、西の押さえを、丸ごと委ねた。
鍾繇は、長安へ下ると、馬騰と韓遂へ、書を送った。
力で捻じ伏せるのではなかった。天子はいま許におられる、朝廷に従う者は安んじられ、背く者は逆賊として討たれる――道理と利の両方を、静かに説いた。馬騰も韓遂も、それぞれ子を人質に差し出し、ひとまず、東へは向かわぬと誓った。西の火は、鍾繇の書一つで、しばらく、鎮められた。
荀彧は、その報せを、許で受けた。
自分が薦めた男が、遠い西を鎮めている。荀彧の頭の中には、潁川の名士の網があった。荀攸がいる。郭嘉がいる。鍾繇がいる。同じ土地に生まれ、同じ学びを分けた者たちが、いま、天子を奉じた一つの朝廷の、あちこちの要へ、配されていく。剣で土地を取るのは曹操だが、その土地を、政と人の網で繋ぎ止めるのは、荀彧たち名士だった。
名分と、名士の網と。
この二つが、家柄の低い曹操の、いちばんの土台になろうとしていた。荀彧は、それを、漢を建て直す土台だと信じていた。ただ、その同じ名士の網が、いつか、曹操の望むものと、名士たちの望むものとが裂ける日に、いちばん深い亀裂の線になることを、このときの荀彧は、まだ、思ってもいなかった。




