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三国志 ―正史群像―  作者: ソリトん
第一章 御せぬ武

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第3話:斬れぬ男

 ――中平二年(一八五年)、涼州(りょうしゅう)。


 宛の城が落ちた翌年、孫堅は、西へ送られた。

 涼州で、辺章(へんしょう)と韓遂(かんすい)という者たちが、羌(きょう)の兵を巻き込んで叛き、州ごと燃え上がっていた。漢と胡の境の、乾いた土地だった。朝廷は、車騎将軍――大軍を束ねる高い将だ――の張温(ちょうおん)を、討伐に送った。孫堅は、その参軍事に取り立てられた。参軍事とは、将軍のそばで軍のはかりごとを議する役である。宛城の一番乗り(先登)の功が、南の一司馬を、大軍の幕へ引き上げていた。

 程普も、その西征に従った。

 北の涼州は、程普の生まれた幽州の風に、どこか似ていた。乾いて、砂を含んで、馬のにおいがした。ここでは、賊も官も、同じように荒かった。


 張温が、諸将を幕舎に召し集めた日のことだった。

 将たちは、刻限までに揃った。だが、一人だけ、来なかった。

 だいぶ経ってから、その男は来た。

 詫びるふうもなく、悠然と入ってきて、上座の張温にも、ろくに頭を下げなかった。召しが遅れたわけを問われると、言い訳とも不服ともつかぬことを、低く、ぞんざいに並べた。

 董卓(とうたく)だった。

 涼州で、羌を相手に長く戦い、名を成した将だという。程普は、その男を、初めて見た。肥えて、大きく、目だけが、妙に据わっていた。上役の前で頭を下げぬ男を、程普は、これまで幾人か見てきた。だがこの男の頭の下げなさは、驕りというより、はじめから、上というものを認めていない者の、下げなさだった。


 その夜、孫堅が、張温の幕を訪ねた。程普は、供をした。

 孫堅は、声を低くして、進言した。


「董卓を、お斬りください」


 張温が、顔を上げた。


「召しに遅れて、詫びもせぬ。将軍を前に、頭も下げぬ。あれは、軍の法を、はじめから恐れておりません。法を犯した者を、法で正さねば、この大軍は、じきに緩みます。今のうちに、軍法をもって斬るべきです」


 孫堅は、董卓の罪を、一つずつ数えて並べた。程普は、その横で、聞いていた。低い家から起った孫堅が、涼州で名を成した将を、斬れと言っている。理屈は、通っていた。

 だが、張温は、うなずかなかった。


「董卓は、隴(ろう)にも蜀にも、名の知れた男だ。羌を抑えるには、あの名がいる。今ここで斬れば、西の鎮めを、こちらから失う」


 孫堅は、なお言った。


「明公は、自ら大軍を率いておられます。董卓ひとりを、恐れることはありません」


 張温は、それでも、首を横に振った。董卓の名が惜しい。西の鎮めが要る。斬るには、惜しすぎる――将軍は、そう言って、この話を終いにした。

 孫堅は、それ以上は言わず、幕を下がった。


 帰る道で、孫堅は、しばらく黙っていた。

 程普にも、その黙りの中身は、およそ知れた。孫堅もまた、賊を討つために境を越え、軍を抱える男だった。上の許しの一歩先へ、いつも踏み込む男だった。その孫堅が、董卓を見て、斬れと言った。自分によく似たにおいのする男の中に、孫堅は、斬っておくべき芽を見たのだ。程普には、そう思えた。似ているからこそ、その芽が、どこまで伸びるかも、見えたのだろう。

 斬るには、惜しい。程普は、その言葉を、胸の中で転がした。惜しいから、斬れない。名があるから、斬れない。ならば、名のある武は、罪を犯しても、斬られずに残るのか。


 辺章と韓遂の乱は、その年のうちには、片づかなかった。賊は退いては、また満ち、討伐の軍は、いくつにも分かれた。やがて、諸将がそれぞれに損じて退くなかを、董卓の軍だけが、兵をほとんど損なわずに、無事に引き揚げてきた。

 斬れと言われた男が、誰よりも兵を保って、生きて還った。

 孫堅は、この西征の功で、議郎という都の官に挙げられた。程普は、陣を払う日、一度だけ、涼州の乾いた空を振り返った。あの空の下に、斬られなかった男が、大きな軍を保ったまま、残っている。その名が、これから、どこまで伸びるのか。程普には、まだ、分からなかった。


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