第2話:宛城の一番乗り
――光和七年(一八四年)、荊州南陽郡、宛。
宛の城は、高かった。
黄巾の一軍が、南陽の郡城であるこの宛に立てこもっていた。数は、寄せ手よりはるかに多い。城壁は厚く、矢は雨のように落ちてきた。朱儁の本隊は幾度か攻めあぐね、囲んだまま日を重ねた。寄せ集めの兵は、囲みのなかで痩せ、逃げる者も出はじめた。
ある朝、孫堅が、囲みの一角で城壁を見上げていた。どこを見ているのか、程普には分からなかった。ただ、その目は、城壁のどこにもない一点を、じっと見据えているようだった。
攻めの太鼓が鳴った。
石と矢が、雨よりも濃く落ちてきた。寄せ手は、城壁の根に取りつくだけで幾人も倒れた。梯子をかければ上から突き落とされ、火をかけられた。何度も寄せ、そのたびに屍だけが増えて、退いた。
そのなかを、孫堅は、誰よりも先に登った。盾も持たず、片手で梯子を握り、片手に刀を抜いたまま、矢を浴びて身を引き上げていく。兜の上で矢が鳴り、肩から血が垂れても、登る速さは緩まなかった。そして、ついに壁の上に立った。たった一人で、賊のただなかに。
程普は、下から、それを見ていた。城壁の上の孫堅の影が、刀を振り下ろすたびに、賊を払い落としていく。一人が、何百の賊のなかで、倒れずに立っている。その一点へ、城じゅうの矢が集まり、それでも、影は倒れなかった。
「続け――」
誰かが叫んだ。程普だったかもしれない。寄せ手が、堰を切ったように壁へ殺到した。一人が壁の上に立った。それだけのことが、何千の兵を動かしていた。
宛は、その日のうちに落ちた。
戦が終わると、孫堅は、自分の傷の手当てもそこそこに、兵のあいだを回った。
死んだ者の名を、一人ずつ呼んだ。生き残った者の肩を、一人ずつ叩いた。下邳の列で見たのと、同じことを、屍の散らばる城のなかで、孫堅はしていた。
朱儁は、孫堅がただ一人で立った城壁の一角を、長いあいだ見上げていた。それから、筆を執る官を呼び、短く命じたという。あの男の名を、いちばん先に書け、と。孫堅の働きは、そうして朝廷に上申された。低い家の県の次官が、別部司馬――一隊を任される将になった。
程普は、思った。朝廷は、この男の武を使っている。だが、使っているつもりで、いつまで御していられるだろうか。城壁を、誰の許しも待たずに、たった一人で登る男だ。




