第9話:継ぐ者
――建安五年(二〇〇年)、呉。
孫策は、死の間際、弟を枕元に呼んだ。
孫権という、まだ十九の若者だった。兄とは、似ていなかった。兄のような、動く武も、人を明るくさせる華も、この弟には、無かった。だが、孫策は、その弟に、跡目のしるしを託して、こう言い遺したという。
「陣を張り、敵と刃を交え、天下と勝負を争う。それは、お前は、私に及ばぬ。だが、賢い者を選んで用い、それぞれに力を尽くさせて、この江東を保つ。それは、私が、お前に及ばぬ」
程普は、その言葉を、後で聞いた。
動く武の兄が、死の間際に、弟に見たものは、自分に無いものだった。切り取る武ではない。束ねる力だ。孫策は、自分の疾い風が、ここで止まることを知って、その先を、別の型の弟に、託した。
孫権が、跡を継いだ。
まだ若く、江東は、切り取ったばかりで、土着の大族の心も、定まっていなかった。廬江で陸康を倒したように、この家は、江東の土着を、武で組み伏せてきた。だが、組み伏せただけでは、国は、続かない。倒した土着と、これから、どう折り合っていくのか。それは、動く武では、できないことだった。
孫権の傍らに、二人の男が立った。
一人は、張昭という、北から来た老練の学者。もう一人は、周瑜だった。孫策の盟友は、そのまま、弟の柱になった。文の張昭と、武の周瑜と。この二人が、若い孫権を、左右から支えた。
もっとも、文の柱は、本来、二本あるはずだった。
張紘という。張昭とともに、亡き孫策が北から招いた学者で、二人合わせて、江東の者は「二張」と呼んだ。その張紘は、いま、江東にいない。孫策の使者として都へ上ったまま、曹操に見込まれて、そのまま留め置かれていた。北の朝廷に、江東の柱が一本、抱え込まれていた。
程普は、それを、苦く思った。
いずれ、帰ってくるだろう。帰ってきたら、この若い主に、何を説くのか。刀ではなく、言葉で主を支える者が、これから、いよいよ要る。孫堅の頃は、そんな者は、一人も要らなかった。要らずに済む家であった。
その張紘は、のちに江東へ帰り、若い主が自ら先頭に立って戦おうとするたびに、これを諫めることになる。主将とは、はかりごとの出るところだ、軽々しく身を晒すものではない、と。そして最後には、大江のほとりの秣陵の地へ都を移すべしと説き、その地は、やがて建業と呼ばれることになる。
北からの避難の者も、少しずつ、この若い主のもとへ、集まりはじめていた。
そのなかに、琅邪から流れてきた、諸葛瑾という、まだ若い落ち着いた学者がいた。戦乱で郷里を離れ、江東に身を寄せた者の一人だった。程普は、その名を、気にも留めなかった。
諸葛瑾には、まだ荊州にいるという、優れた弟があるらしかった。この諸葛という家は、後の乱世の巡り合わせで、一門が、いくつもの国に分かれて仕えることになる。だが、それが何を意味するかは、このときの誰にも、分かるはずがなかった。
程普は、その顔ぶれを見て、時代の変わり目を、感じた。
孫堅の頃は、程普のような、下から刀ひとつで這い上がった古参が、家を支えた。だが、これからの孫権の家を支えるのは、周瑜のような名家の華であり、張昭のような北の学者であり、いずれ、倒した江東の大族――陸家のような家の、生き残りの子らだった。
程普は、ふと、廬江のことを思い出した。
二年がかりで落とした、あの城。倒した陸康の、一族の子らが、いま、江東のどこかで、生きている。孫家が、江東で長く続こうとするなら、いつか、あの倒した家の子らと、手を組まねばならぬ日が来る。倒した相手に、頭を下げて、力を借りる日が。
動く武の時代は、孫策の死とともに、終わった。
程普は、若い孫権の背を見た。
その背は、兄のように、華やいではいなかった。だが、この地味な弟が、兄の疾い風では届かなかった五十年を、これから、江東の大族と、粘り強く折り合いながら、生き抜いていくことになる。程普は、それを、まだ知らない。ただ、動く武の二代を看取った古参は、その刀を、静かに鞘に納めた。
第六章 疾風 ――完。




