第5話:固陵
――興平二年(一九五年)、会稽固陵。
劉繇を追ってからも、孫策は、止まらなかった。
次に牙を向けたのは、会稽だった。会稽の太守は、王朗という。学者としても名の高い、堅実な官だった。孫策のような荒い切り取りとは、まるで違う型の男だ。その王朗が、浙江のほとり、固陵に陣を敷いて、孫策の渡河を、待ち構えていた。
固陵は、堅かった。
王朗は、高みに拠って、寄せてくる孫策の兵を、上から突き落とした。孫策は、川を渡って、幾度も正面から攻めた。だが、そのたびに、退けられた。動く武で押し切ってきた孫策が、はじめて、力攻めの効かぬ壁に、突き当たった。程普は、若い主が、めずらしく、苛立つのを見た。
その孫策を、抑えた者がいた。
叔父の孫静である。孫堅の弟で、一族の年長者だった。孫静は、地図を指して、静かに言った。
「固陵を正面から抜くのは、難しい。だが、ここから南へ数十里、査瀆というところに、川の渡れる浅瀬がある。夜のうちに、そこを回り込めば、王朗の背後の、高遷屯を衝ける。正面ばかり見ている敵の、その裏をかくのだ」
孫策は、うなずいた。
その夜、孫策は、固陵の陣に、いつものように篝火を焚かせ、まだそこにいると見せかけた。そして、火を残したまま、兵を率いて、ひそかに査瀆へ回った。浅瀬を渡り、夜明けに、王朗の背後の高遷屯を、衝いた。
王朗は、慌てた。
正面ばかり固めていた王朗の陣は、背後を衝かれて、崩れた。堅実な学者の守りは、動く武の、裏をかく速さの前に、破れた。王朗は、会稽を捨て、海路で、遠く南へ逃げた。だが、逃げきれず、のちに孫策に降った。学者の太守は、荒い流れ者の子に、頭を下げた。
程普は、その一部始終を、そばで見ていた。
力攻めで抜けぬと見るや、叔父の言を容れて、迂回する。若い主は、ただ猛るだけの武ではなかった。年長者の知恵を、素直に用いる度量も、持っていた。牛渚では速さで、曲阿では勢いで、そして固陵では、搦め手で。孫策は、土着の柱を、一つずつ、抜いていった。
残るは、呉郡の厳白虎だった。
万を超える衆を集めて呉郡に拠る、土地の顔役だ。厳白虎は、弟を使者に立てて、和を請うてきた。だが孫策は、その使者を、斬った。和を結ぶ気などない、という返事だった。厳白虎は、震え上がって、逃げ散った。孫策は、それも、あっさりと平らげた。
こうして、江東のあらかたが、孫策の手に落ちた。
劉繇の名分も、王朗の堅実も、厳白虎の衆も、疾い風の前には、みな、なすところがなかった。土地を持たぬ流れ者の子が、渡ってわずかな年月で、江東という一つの国を、切り取った。




