第4話:神亭
――興平二年(一九五年)、揚州神亭。
太史慈は、そのとき、劉繇の下にいた。
弓の名手だった。馬上から放てば、外すことがないといわれた。だが、主の劉繇は、太史慈を、大きくは用いなかった。同郷のよしみで置いてはいるが、大将には据えない。太史慈は、その程度に扱われながら、劉繇の負け戦に、付き合わされていた。
その日、太史慈は、ただ一騎の供を連れて、地形を見に、神亭のあたりまで出ていた。
そこで、向こうから来る、十数騎と出くわした。先頭の若い将が、名乗った。孫策、と。
太史慈は、馬を止めなかった。
相手は十三騎、こちらは二騎。数では、まるで敵わない。だが、太史慈は、逃げなかった。むしろ、まっすぐ、孫策へ向かって馬を駆けさせた。名手の血が、この若い武名の主と、一度、渡り合ってみたい、と疼いた。
二騎が、ぶつかった。
孫策の槍が、太史慈の馬を突いた。太史慈は、落ちる馬から跳び、孫策の首を狙った。孫策は、それをかわしざま、太史慈の手にした短い戟を、掴んだ。太史慈も、負けじと、孫策の兜を、むしり取った。二人は、馬を失い、地に立って、互いの得物を掴み合ったまま、離れなかった。
太史慈は、間近で、孫策の顔を見た。
汗と土にまみれた、若い顔だった。だが、その目は、笑っていた。命のやり取りの、そのただなかで、この男は、面白がっていた。太史慈は、こんな目をする男を、見たことがなかった。
両軍の後詰が駆けつけて、二人は、ようやく引き離された。勝負は、つかなかった。
まもなく、劉繇は、孫策に敗れて、逃げ散った。
太史慈も、山へ逃げ込み、しばらく抗ったが、ついに孫策に捕えられた。縄をかけられて、孫策の前に引き出された。討たれる、と太史慈は思った。
だが、孫策は、自ら進み出て、太史慈の縄を、解いた。
「神亭で、あのとき、もし私を捕えていたら、お前は、私をどうした」
孫策は、笑って、そう訊いた。太史慈は、正直に答えた。
「どうしたか、分かりませぬ」
孫策は、その正直を、また笑った。それから、太史慈の手を取った。神亭で兜を奪い合った、その手だった。
太史慈は、その手の温かさに、胸を突かれた。
劉繇は、太史慈を、同郷の飾りとしか見なかった。この孫策は、命を奪い合った相手の手を、こうして取る。武を、正面から認める。太史慈の中で、何かが、音を立てて、こちらへ傾いた。
孫策は、太史慈に、逃げ散った劉繇の兵を集めてくるように、と命じた。
周りの者は、太史慈は戻らぬ、と言った。逃がせば、そのまま消えるに決まっている、と。だが太史慈は、期日どおりに、集めた兵を率いて、戻ってきた。手を取られた恩に、太史慈は、命で応えると決めていた。武が、人を、こうして結ぶ時代だった。
太史慈は、まだ知らない。
この十年あまりのち、四十一で病んで死ぬことを。荊州の劉表の一族に劉磐という将がいて、たびたび南の境を侵した。孫策は、その押さえを、まるごと太史慈に預けた。太史慈は、劉磐を境の内へ一歩も入れなかった。入れぬまま、日が過ぎた。手を取られた日から死ぬ日まで、この男が預かったのは、その南の境だけであった。
死に際して、太史慈は、こう嘆いたと伝わる。
「男と生まれたからには、三尺の剣を帯びて、天子の階を昇るものだ。志は、まだ半ばだ。それなのに、死ぬのか」
命で応えると決めた武は、境の押さえで、使い切られた。




