第3話:牛渚と曲阿
――興平二年(一九五年)、揚州牛渚。
渡河は、夜のうちに済んだ。
孫策は、対岸の牛渚に、まっすぐ兵を向けた。牛渚には、劉繇が兵糧と武具を蓄えた邸閣――大きな倉があった。孫策は、その倉を、真っ先に衝いた。
程普は、その速さに、舌を巻いた。
ふつう、渡ったばかりの軍は、まず足場を固め、様子を見る。だが孫策は、渡るなり、敵のいちばん大事な倉へ、駆け込んだ。守りの兵が体勢を整える前に、牛渚の倉は、孫策の手に落ちた。中には、米も、武具も、山と積まれていた。土地を持たぬ孫策の軍が、渡ったその日に、敵の蔵で、腹を満たし、武具を新しくした。
劉繇も、黙ってはいなかった。
配下の樊能、于麋といった将が、兵を集め直し、孫策の留守を衝いて、牛渚を取り返した。報せを受けた孫策は、すぐに取って返した。
程普は、その反撃の戦に、加わった。
孫策は、先頭で駆けた。父・孫堅が、宛の城壁を誰よりも先に登ったのと、同じだった。若い主は、その父の速さに、人を惹く明るさを加えて、なお疾かった。孫策が槍を振るうと、味方が、わっと続いた。牛渚を取り返した樊能らの兵は、その勢いに、たちまち崩れた。孫策は、一万を超える敵を、討ち、あるいは捕らえた。牛渚は、また、孫策の手に戻った。
勢いに乗って、孫策は、劉繇の本営――曲阿へ向けて、攻め上がっていった。
程普が、目を瞠ったのは、進みながらの、孫策の兵の律し方だった。
抜いた土地で、孫策は、兵に略奪を許さなかった。民の物を奪う者、田を荒らす者は、厳しく罰した。江東の民は、はじめ、淮水から来た荒くれ者の軍を恐れて、山へ逃げ隠れていた。だが、孫策の軍が、一物も奪わぬと知ると、少しずつ、里へ戻ってきた。牛や酒を持って、労いに来る者さえ、出た。
程普は、思った。
孫堅は、賊を討つ武で、人を集めた。だが、集めた土地に、根を張ることは、ついに、なかった。この子は、違うかもしれぬ。切り取った土地の民の心まで、掴もうとしている。動く武に、根を張る器が、加わっている。疾い風が、ただ吹き抜けるのではなく、通ったあとに、田を潤して吹いていた。
この風は、どこまで吹くのか。
程普は、久しぶりに、明るい心持ちで、若い主の背を見ていた。そして、その明るさの底に、ひとつだけ、いつもの不吉が、小さく澱んでいた。疾い風ほど、早く止む。長く生きた古参は、それを、幾度も見てきた。




