第1話:廬江の柱
――興平元年(一九四年)、揚州廬江。
陸康は、廬江の太守として、長く、この地を治めてきた。
陸家は、江東に代々根を張る大族だった。呉の地に田を持ち、一族を養い、その地の民に慕われてきた。陸康自身は、若い頃から清廉で知られた官で、賊を鎮め、飢えを救い、この廬江の土に、深く根を下ろしていた。土地とともに生き、土地とともに老いる。それが、陸家のような大族の、生き方だった。
その廬江へ、外から、若い将が攻めてきた。
孫策である。
亡き孫堅の長子で、まだ二十歳そこそこだという。淮水のほとりで育った、土地を持たぬ流れ者の子だ。いまは袁術の下に身を寄せ、その命で、この廬江を攻めに来た。袁術は、廬江の穀が欲しいのだ。そのために、この若い将を、犬のように放った。
陸康は、城を閉じ、籠って戦うことにした。
外から来た者に、代々の土地を渡すわけにはいかなかった。
囲みは、長かった。
ひと月、ふた月では済まなかった。半年が過ぎ、一年が過ぎ、なお囲みは解けなかった。孫策は、若いくせに、粘り強かった。父譲りの動く武で、幾度も城壁に取りついた。陸康は、そのたびに、これを退けた。だが、退けても、囲みは消えなかった。城の中の穀が、少しずつ、底をついていった。
城の中で、一族が、死にはじめた。
飢えと、病だった。陸家の一族は、百を超える家があった。その半ばが、二年の籠城のあいだに、城の中で死んだ。老人が死に、女が死に、子が死んだ。陸康は、その一つひとつの死を、城壁の上から戦を指図しながら、背中で聞いていた。土地を守るために籠り、その土地の上で、一族が、痩せて死んでいく。
陸康は、まだ幼い一族の子らを、呼び寄せた。
陸遜という、十を少し過ぎた少年がいた。父を早くに亡くし、陸康が我が子のように育ててきた子だ。その下に、陸績という、まだ幼い子もいた。陸康は、二人を含む若い者たちを、囲みの緩む夜を選んで、ひそかに城から出し、呉の郷里へ落とした。
「お前たちは、生きよ」
陸康は、それだけ言った。
陸遜は、振り返り、振り返り、城を離れた。その目が、燃える城と、そこに残る陸康とを、焼きつけるように見ていた。陸康には、それで、よかった。家の年寄りは、土地とともに死ぬ。だが、家は、子らが、どこかで継ぐ。土地は奪われても、血は残る。それが、大族というものの、最後の頼みだった。
二年目の終わりに、廬江は、落ちた。
陸康は、落城の時まで、城壁を離れなかった。そして、城が落ちてほどなく、老いた体は、力尽きて死んだ。外から来た若い武が、江東の土着の柱を、一本、根こそぎ倒した。孫策の名は、これで、揚州じゅうに轟いた。
その名の下に敷かれた土に、陸家の半ばが、埋まっていた。




