第5話:身を投じる
――初平四年(一九三年)、徐州。
陳到が、はじめて劉備を見たのは、徐州が焼かれているさなかだった。
曹操の軍が、父を殺された恨みに、徐州の県を次々に屠っていた。泗水が屍で滞ったという噂が、豫州にまで流れてきた。その徐州へ、救援に入る一軍がある、と聞いて、陳到は、街道の脇でそれを見た。
数千の、寄せ集めの軍だった。
それを率いているのが、劉備だという。陳到は、訝った。曹操の大軍が、一州を屠っている。そこへ、たった数千で助けに入る。勝てるはずがない。
徐州の陶謙は、朝廷から徐州を任され、故郷の丹陽から連れてきた私兵を頼りに、この州を保ってきた男だと聞く。だが、朝廷の任も、丹陽の私兵も、曹操の大軍の前では、足りなかった。その陶謙が、いくつもの大勢力に見放されて、藁にもすがる思いで、この万年敗者を頼ったのだろう。付いていく兵の顔にも、勝てると思っている色は、無かった。
なぜ、こんな男に付くのか。
陳到には、分からなかった。土地もなく、兵も少なく、行く先々で負けている。付いていったところで、得るものは、何もなさそうだった。
だが、陳到は、その数千の列を、目で追ってしまった。
列の先頭近くに、劉備がいた。馬を下り、脱げかけた草鞋を直している老兵の傍らに、しゃがみ込んでいた。
老兵が、慌てて立とうとした。
「そのままでよい。直してから、来い」
「……申し訳も、ございませぬ」
「急ぐのは、こちらの都合だ。足が要るのは、お前の都合ではない」
将が、一兵の草鞋を、待っている。急ぎの救援の途上で、だ。劉備は、直し終わるまで待って、それから、その肩を叩き、また馬に乗った。
陳到は、気づくと、その列のほうへ、足を踏み出していた。
自分でも、なぜ足が動いたのか、分からなかった。
豫州には、陳到の暮らしがあった。捨てるほどのものではないが、失うほどのものでもなかった。その暮らしを置いて、勝てるはずのない軍のほうへ、足が動いた。理屈は、何もなかった。ただ、あの、一兵の草鞋を待つ将の背を見たら、体が、勝手にそちらを向いた。
これが、あの磁力か、と後になって陳到は思う。
劉備という男には、土地も兵も無いのに、人だけが、こうして吸い寄せられる。得を計れば、付く理由は一つも無い。それでも、付いてしまう。陳到は、その日、豫州の暮らしを捨てて、土地なき将の、数千の列の、いちばん後ろに加わった。
勝てるはずのない救援は、しかし、曹操の軍の兵糧が尽きて、引き返したことで、途中から、戦わずに済んだ。徐州は、辛くも、焼き尽くされずに残った。陶謙は、救援に来た劉備に、丹陽の精兵四千を与えた。劉備は、はじめて、まとまった兵を、手にした。




