第2話:伏せて待つ八百
――初平三年(一九二年)正月、冀州、界橋の南。
麴義は、霜の降りた土の上に、腹這いになっていた。
鎧の胸が、凍った地に触れている。その冷たさも、伏せて半刻ほどが過ぎる頃には、もう感じなくなっていた。麴義の左右には、八百の兵が、同じ格好で、盾を斜めに立てて伏せていた。その八百の背後に、千張の強弩――足で踏んで弦を張る、強い石弓を抱えた射手たちが、これも身を低くして、二列に並んでいた。
誰も、しゃべらなかった。
この八百に、麴義は、先登という名を与えていた。真っ先に敵に取りつく者、という意味である。名だけを聞けば、勇み立って駆け出す一隊のように聞こえる。だが、麴義がこの八百に仕込んだのは、駆けることではなく、駆けないことだった。
麴義は、長く涼州にいた。
羌の騎兵を相手に、幾度も、この形で待った。騎馬というものは、駆けているあいだは、恐ろしい。地が鳴り、土が舞い、目の前が馬の胸で埋まる。だが、駆けさせておいて、こちらが伏せていれば、恐ろしいのは、途中から、向こうのほうになる。伏せた者は、狙って撃てる。駆ける者は、止まれない。
問題は、待てるかどうかだけだった。人は、恐ろしいものが近づくと、立ちたくなる。立てば、死ぬ。
日が、少しずつ上がってきた。
北の野の果てに、まず、埃の帯が見えた。次に、旗が見えた。それから、地が鳴りはじめた。
公孫瓚の軍が、姿を現した。
歩兵三万余りが、四角い塊になって、野を埋めていた。その左右に、騎兵が、五千ずつ。合わせて一万の騎が、両の翼のように張り出している。そして、その塊の真ん中、先頭のところに、白い一群があった。
白馬義従だった。
麴義は、伏せたまま、それを見た。朝の日が、鎧と旗を照り返して、地と空とを、一緒に光らせていた。白い馬の背に、白い袍を着た射手が乗り、左の隊は右へ、右の隊は左へ、交叉するように射かける構えを取っている。北の胡が、その姿を見ただけで逃げるという一隊が、いま、目の前にいた。
その白い一群の後ろに、もう一本、麴義の見知らぬ旗が立っていた。
厳綱の旗である。公孫瓚が、自分の手で立てた冀州刺史だった。ほかにも、青州には田楷を、兗州には単経を、公孫瓚は勝手に刺史として据えている。州を監督する刺史の任は、本来、都が出すものだ。それを、朝廷の任も待たず、自分の部将に配った。
麴義は、伏せたまま、その旗を睨んだ。
つまり、これは、ただ土地を取り合う戦ではなかった。冀州には、すでに袁紹がいる。そこへ、もう一人の冀州刺史が、兵を連れて乗り込んできている。どちらが本当の冀州の主なのかを、野の上で決めさせられているのだった。北の武人は、他人の州へ、自分の札を立てに来た。ならばこちらは、その札を、地に伏せて折るまでだった。
麴義の八百は、その正面に、ぽつんと置かれていた。
後ろには、袁紹の歩兵数万が、陣を組んで控えている。だが、その本隊までは、まだ距離があった。公孫瓚の目から見れば、野の真ん中に、八百ばかりが、ぽつりと突き出しているように見えるはずだった。麴義は、そう見えるように、置かれていた。
餌である。麴義は、それを承知で伏せていた。
果たして、公孫瓚は、笑ったらしかった。
両翼の騎が、動いた。わざわざ歩兵を出すまでもない、蹄で踏み潰してしまえ、という動かし方だった。白馬義従が、真っ先に、走り出した。
地鳴りが、変わった。
埃が、壁のように立った。麴義の伏せる地面が、細かく震えはじめた。八百歩。五百歩。三百歩。馬の胸が、揃って、こちらへ迫ってくる。
麴義の三つ隣で、若い兵が、盾の下で、小刻みに震えていた。
まだ二十歳前の、去年入ったばかりの兵だった。麴義は、その兵を見ずに、地面に頬をつけたまま、低く言った。
「起つな。まだだ」
声は、震えていなかった。それだけで、周りの兵の肩から、力が抜けるのが分かった。
百歩。五十歩。
もう、馬の鼻息が聞こえた。土くれが、盾に当たって跳ねた。誰かが、息を止めているのが、伝わってきた。麴義は、数えるのをやめ、馬の脚だけを見ていた。あと、数十歩。
地面が、盛り上がるように震えた。
「起て」
八百が、一斉に、立った。
土埃が、下から巻き上がった。八百の喉から、揃った叫びが上がった。そして同時に、その背後で、千張の強弩が、雷のような音を立てて、放たれた。
白い馬が、次々に、倒れた。
弩の矢は、当たれば必ず倒す。至近から放たれた千の矢が、駆ける一群の、いちばん厚いところへ、まとめて突き刺さった。前の列が倒れ、後ろの列が、倒れた馬に躓いて、また倒れた。誇り高い一隊は、駆ける勢いを、自分では止められなかった。止められないまま、石弓の壁に、正面から突っ込んだ。
麴義は、そこで、八百を、止めなかった。
八百は、盾を捨てずに、まっすぐ前へ出た。倒れた馬の間へ踏み込み、落ちた騎手を、上から突いた。馬を失った騎兵は、ただの、動きの鈍い重装の男だった。伏せて待つ八百が、いま、名のとおり、真っ先に取りついていた。
公孫瓚の立てた冀州刺史、厳綱が、その乱れの中にいた。
麴義の兵が、これを捕らえて、斬った。首は、あわせて千余りに上った。冀州刺史を名乗った男は、冀州の土の上で、冀州の兵に斬られた。札は、立てた翌年に、折れた。
白馬義従が崩れると、後ろの三万の方陣が、揺れた。
揺れて、そのまま、崩れた。塊は、押されて崩れるのではなく、内側から崩れた。前が退がろうとし、後ろが押し、横が逃げ道を探した。麴義は、その崩れを、追った。
界橋まで、追った。
公孫瓚は、橋の上で兵を集め直し、もう一度、麴義を受け止めようとした。橋は狭い。狭いところでは、一度に当たれる人数が限られるから、追う側の勢いは、殺せる。理屈は、通っていた。だが、崩れた兵は、集めても、目が違っていた。麴義は、その橋の上を、二度目に破った。
そのまま、公孫瓚の陣まで、押し込んだ。
陣の真ん中に、公孫瓚の大将旗が立っていた。麴義は、それを、引き抜かせた。旗が地に倒れると、残っていた兵は、もう、誰も踏みとどまらなかった。
引き返す道の途中で、麴義は、後方の異変に気づいた。
野の一角に、砂煙が立っていた。崩れて散った公孫瓚の騎兵が、二千ばかりの塊になって、そこへ流れ込んでいる。そして、その塊の真ん中に、見覚えのある旗が、小さく揺れていた。
袁紹の旗だった。
麴義は、馬の腹を蹴った。八百に、走れ、と怒鳴った。
勝ちが見えたので、戦場を見に出たのだろう。連れているのは、数十の弩兵と、百余りの戟を持つ兵だけのはずだった。二千の騎の中では、無いに等しい。しかも、騎兵のほうは、それが袁紹だとは、気づいてもいないらしかった。気づけば、なお悪い。
麴義が駆けつけたとき、囲みは、まだ破られていなかった。
地面に、矢が、無数に突き立っていた。その矢の海の真ん中に、袁紹が、兜を被らずに立っていた。兜は、足元の土の上に、投げ捨てられていた。数十の弩兵が、代わる代わる弦を張っては、放っている。
麴義の姿を見ると、二千の騎は、潮が引くように散った。
麴義は、馬を下りて、袁紹の前に片膝をついた。
傍らにいた田豊が、まだ青い顔で、崩れた土塀のほうを指していた。あちらへお入りくださいと、幾度も申し上げたのです、と誰にともなく言っていた。
袁紹は、その土塀を、見もしなかった。
「男子たる者、前へ出て闘って死ぬものだ。塀の裏へ潜り込んで、それで命が助かるか」
袁紹は、そう言って、足元の兜を、供の者に拾わせた。
この人は、こういうところは、確かに立派なのだ、と麴義は思った。
袁紹は、麴義に、労いの言葉をかけた。丁寧な、正しい言葉だった。ただ、その顔を、麴義は、一瞬だけ、見てしまった。名門の当主の顔に浮かんでいたのは、救われた者の顔とは、少し違うものだった。
その日、河北の野で、二つのことが決まった。
一つは、北辺の白馬が、もう天下を怯えさせる旗ではなくなったこと。もう一つは――麴義には、まだ、うまく言葉にできなかった。
麴義は、引き上げる道々、自分の八百を数えた。
欠けた顔があった。あの、盾の下で震えていた若い兵は、生きていた。土埃で真っ白になった顔で、まだ、少し震えていた。麴義は、その肩を、一度だけ叩いた。
駆ける武を、伏せて待つ規律が、破った。
だが、その規律を作った男を、上に立つ者が、どう扱うのかは、また別の話だった。麴義は、地に倒れた白い馬の群れを、一度だけ振り返って、それから、袁紹の陣へ、帰っていった。




