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三国志 ―正史群像―  作者: ソリトん
第四章 三県

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第7話:取り戻す

 ――興平二年(一九五年)、兗州。


 いなごが去り、わずかに畑が戻ると、戦が、また動き出した。

 曹操は、飢えをくぐり抜けた軍を立て直し、呂布に攻めかかった。一度、三県まで削られた男が、そこから、県を一つずつ、取り返しはじめた。地盤が人の心なら、その心を、また一つずつ、剣で握り直していくしかなかった。

 呂布は、支えきれなくなった。

 無双の武はあっても、呂布には、飢えをしのぐ蔵も、崩れた心を繋ぐ地盤も、無かった。長安のときと、同じだった。強い兵はいる。だが、根を張る土地が無い。呂布は、兗州を捨て、東へ――徐州の、劉備(りゅうび)という男のもとへ、また流れていった。

 麦は、州が曹操の手に戻っていくのを、荷を担ぎながら見ていた。


 裏切った者たちの末路も、伝わってきた。

 張邈は、袁術に助けを求めようと、西へ走った。その途上、従っていた自分の兵に、殺された。蔵を開いて流民に粥を施したと噂された名士は、逃げる道の途中で、味方の刃にかかって、死んだ。弟の張超は、雍丘(ようきゅう)の城に籠もって戦い、囲まれて、一族もろとも滅んだ。

 麦は、その報せを聞いて、粥の噂を、もう一度思い出した。

 あの噂を聞いたとき、麦の胸は動かなかった。施されるべき者は、もう焼けていたからだ。そして今、施した人自身が、逃げる道の途中で、味方に斬られて死んだ。憐れむ心も、裏切る打算も、両方とも本当だった人が、その両方を抱えたまま、乱世に呑まれて消えた。

 名のある人々は、蔵を開き、州を焼き、そして、味方に斬られて死ぬ。

 麦のような者は、その世の底で、ただ、流されまいと踏ん張り、荷を担ぎ続ける。名家の心の底は、相変わらず、麦には見えなかった。ただ、見えないままに、その人々の起こす波が、下の者を、繰り返し洗っていくのだった。


 曹操は、兗州を、取り戻した。

 だが、麦の目にも、取り戻した州は、もう、前と同じ州には見えなかった。一度裏返った州だった。一度裏返ったという事実は、県を取り返しても、消えはしない。地盤とは、人の心のことで、人の心は、こうも容易く裏返る。麦は、この一年で、それを、下から見て取った。

 荀彧が、帰ってきた曹操を、鄄城に迎えた。

 二人は、麦の見ている前で、多くを語らなかった。ただ、荀彧は、また、政の帳面を開いた。曹操が剣で握り直した心の上に、もう一度、政の骨を組むのだろう、と麦は思った。

 麦は、二人が話し終えるのを待って、蔵へ入った。

 蔵の中は、去年より、明らかに空いていた。空いた分だけ、壁の低いところに、水の跡のような黒い線が残っている。穀が積まれていた高さの跡であった。麦は、その線に、手のひらを当ててみた。

 頭より、ずっと低かった。



第四章 三県 ――完。


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