第6話:蝗
――興平元年(一九四年)、鄄城。
その秋、空が、暗くなった。
いなごの大群だった。羽の音が地を這うように広がり、青いものを残らず食って、半日で去った。兗州じゅうの畑が、茎の影だけになった。荀彧も、潁川の飢饉を、遠い昔に見ている。ただ、あのときは、丘の上の家から、飢える村を見下ろす側だった。いまは、飢える軍の兵糧を、自ら数える側にいた。
戦どころでは、なくなった。
曹操の軍も、呂布の軍も、たちまち飢えた。穀の値は、跳ね上がった。ひと桝の米が、目の玉の飛び出るほどの銭になり、それでも、売る穀が無かった。人が、人を食う、という話が、あちこちから流れてきた。両軍は、睨み合いを解いて、それぞれ、食を求めて散った。
荀彧は、鄄城の乏しい蔵をやりくりして、曹操の軍へ、わずかな兵糧を送り続けた。
その頃、荀彧のもとへ、一つの暗い噂が届いた。
程昱が、東阿から集めて送ってきた兵糧――そのなかに、人の肉を干したものが、混じっていたという。
荀彧は、その噂を聞いて、しばらく、筆を置いた。
真偽は、確かめなかった。確かめて、どうなるものでもなかった。飢えは、すでに、人が人を食う淵まで来ていた。その淵の底から、程昱は、兵を食わせる糧を、かき集めてきた。清いか濁っているかを、問うている時ではなかった。だが、問わずに済ませたという事実は、荀彧の胸の底に、徐州で州ひとつが屠られるのを見送ったときと同じ場所に、静かに沈んだ。
台頭を支えるというのは、こういうことだった。
荀彧は、また筆を取り、兵糧の帳面を、書き続けた。書かねば、三県も、曹操も、飢えて崩れる。荀彧は、胸の底に沈めたものに、蓋をして、目の前の帳面に、目を戻した。




