第5話:濮陽
――興平元年(一九四年)、濮陽。
典韋は、曹操の傍らに立つ、いちばん近い盾だった。
人並み外れた大男で、力は牛を担ぐほど。両手に提げる一双の戟は、常人には振り回すこともできぬ重さだった。徐州から取って返した曹操は、呂布の籠もる濮陽へ、まっすぐ攻めかかった。典韋は、その先頭近くに、いつもいた。
だが、呂布は、強かった。
とりわけ、高順の率いる一隊が、恐ろしかった。わずか七百ほどの、鎧の揃った精鋭で、その一隊が突っ込むと、寄せ手の陣が、面白いように裂けた。攻めて抜けぬ城は無い、とまで言われた兵だ。曹操の軍は、幾度も、この陥陣の兵に、押し返された。攻めあぐねるうちに、味方の夏侯惇が、敵将の放った矢を、左の目に受けた。それでも夏侯惇は、馬を下りず、片目を失ってなお、退かなかった。
いちど、曹操は、危地に落ちた。
濮陽の城に、内応の誘いがあり、それを頼って城へ攻め入ったところ、呂布の伏兵に囲まれたのだ。城内で火の手が上がり、乱れの中で、典韋は、主の姿を、見失った。
あとで知れたことだが、曹操は、その乱れの中で、呂布の騎兵に、取り押さえられていた。
だが、押さえた側は、その男が曹操だとは、気づいていなかった。曹操はどこだ、と騎兵が問うた。曹操は、こともなげに、指をさした。あの、黄色い馬に乗って逃げていく者が、それだ、と。騎兵は、その手を離し、黄色い馬のほうへ、駆けていった。
曹操は、燃える門へ、馬を向けた。
火をくぐるとき、馬が炎に驚いて棒立ちになり、曹操は、地に投げ出された。左の掌に、ひどいやけどを負った。倒れた主を助け起こし、馬に乗せて、火の中から連れ出したのは、楼異という、名の知られぬ軍の属官だった。
典韋は、その一部始終を、後から聞いた。
聞いて、拳を、握った。あの場に己がいれば、主に、やけど一つ、負わせはしなかった。次は、離れぬ。典韋は、双戟の柄を、握り直した。
別の日、曹操の一隊が、呂布の軍に、四方から囲まれた。
夜明けから戦い、日が中天に来ても、囲みは解けなかった。矢が、雨のように降り注いだ。曹操は、囲みを破る死士を募った。真っ先に応じたのが、典韋だった。
典韋は、志願した数十人とともに、みな二重に鎧を着て、盾を捨てた。両手に、一双の戟を提げた。
敵が、迫ってきた。
矢が、典韋の鎧に、雨あられと当たった。典韋は、それを、まるで気にかけなかった。傍らの兵に、こう言った。
「敵が、十歩まで来たら、報せてくれ」
「十歩に、来ました」
「五歩になったら、また報せてくれ」
兵が、五歩、と叫んだ。
その瞬間、典韋は、脇に抱えた手ごろな戟を、続けざまに投げた。投げるたびに、一人が、倒れた。十本あまりの戟が、十人あまりの敵を、地に沈めた。迫っていた敵が、その凄まじさに、たじろいで、退いた。囲みが、緩んだ。曹操は、その隙に、囲みを抜けた。
典韋の、たった一双の戟が、囲みをこじ開けた。
一人の武が、まだ、戦の流れを、その手で変えられる時代だった。呂布の高順に、無双の陥陣の兵があるように、曹操には、典韋の戟があった。城でも、兵糧でもない、一人の体の力が、主の命を、幾度も繋いだ。
だが、その武をもってしても、濮陽の城は、百日を越えて、落ちなかった。
呂布も、曹操も、決め手を欠いたまま、睨み合いは、秋まで長引いた。




