第3話:鄄城の会見
――興平元年(一九四年)、鄄城。
鄄城に、新たな大軍が迫った。
豫州刺史の郭貢が、数万を率いて、城の外に現れたのだ。呂布に呼応したのか、それとも、混乱に乗じて一つ掠め取りに来たのか。誰にも読めなかった。郭貢は、城の外から、荀彧に会いたい、と伝えてきた。
城の内が、ざわめいた。
郭貢に会いに出れば、そのまま捕らえられるかもしれぬ。いや、荀彧が郭貢と通じているのではないか、という疑いの目さえ、城の内に生まれはじめていた。三県しか残らぬこの城で、王佐までもが敵と通じていたら、もう終わりだった。
夏侯惇が、止めた。
曹操の一族の将で、鄄城の守りを預かる猛将である。あなたは州の要だ、単身で敵中へ出るなど、危うすぎる、と。
荀彧は、静かに首を振った。
「郭貢と呂布は、もともと結んだ仲ではない。今なら、まだ間に合う。私がためらえば、郭貢は、鄄城は落とせると見て、呂布と手を結ぶ。ためらってはならない」
荀彧は、供もつけずに、城を出た。
数万の軍のただなかへ、たった一人で、歩いて入っていく。背に、城の視線が刺さるのを感じた。味方の視線だ。その味方の半分は、荀彧が敵と通じているのではと、疑っている。ここで捕らえられれば、その疑いが事実にされ、鄄城は内から崩れる。荀彧は、足を止めなかった。止めれば、それが答えになる。
郭貢の前に立ち、荀彧は、目を伏せなかった。
郭貢は、荀彧の顔を、長いこと見ていた。荀彧は、その視線を、静かに受け止めた。ここで怯えを見せれば、この男は、鄄城は脆いと踏んで、呂布と手を結ぶだろう。怯えを見せねば、よほどの備えがあると値踏みして、手を引くだろう。数万を退けるか、招き寄せるかは、いま、この顔一つに懸かっていた。荀彧は、井戸の底の水のように、顔を静かに保った。
やがて、郭貢の目に、迷いが差した。
数日のうちに、郭貢は、兵を引いて去った。一戦も、交えなかった。荀彧の、怯えぬ顔一つが、数万を退けた。
荀彧が城へ戻ると、夏侯惇は、城の内を締めにかかっていた。
呂布に通じていた者が、城の内に、幾人もいた。夏侯惇は、それを調べ上げ、数十人を、その夜のうちに斬った。裏返りかけていた鄄城が、血で、辛うじて留められた。
斬られた者たちが運び出されていくのを、荀彧は、静かに見送った。
昨日まで、同じ城で、同じ飯を食っていた者たちだった。地盤とは、これなのだ、と荀彧は思った。城壁でも、蔵の穀でもない。その内側にいる人の心が、味方か、敵か。それだけで、城は、守られもし、裏返りもする。曹操が剣で取った州は、その脆いものの上に、載っていた。荀彧は、いま、たった一つの怯えぬ顔と、一夜の血とで、その脆いものを、繋ぎ止めていた。




