第2話:蔵を開いた人
――興平元年(一九四年)、鄄城。
麦は、その名を聞いて、しばらく、荷を担ぐ手が止まった。
張邈。
どこかで聞いた名だった。麦は、記憶の底を探った。そして、思い出した。もう十年も前、潁川の村が黄巾の火で焼かれ、生き残った者たちが食を求めてさまよっていた頃。陳留の張邈という人が、蔵を開いて、流れてきた者に粥を施している――そういう噂を、麦は聞いたのだった。
施す者がいる。
あのとき、その噂を聞いても、麦の胸は動かなかった。施されるべき者の多くは、もう、長社の黒い原で焼けていたからだ。それでも、蔵を開くという名士が、この世にいる、ということだけは、麦の頭の隅に、小さく残っていた。飢えた者に、門を閉ざす名家ばかりではない。開く者もいる、と。
その、蔵を開いた人が、いま、州を裏返した。
鄄城の門には、裏返った県から逃げてきた者が、毎日、着いた。
麦は、その者たちに粥を配る手伝いをさせられた。桶を提げて、列の端から回る。ある朝、椀を受け取った老人が、麦の顔を見て、言った。
「陳留の御方の蔵で、粥をいただいたことがある」
「……張邈どのの、蔵で」
「そうだ。十年前だ。あのときの粥のおかげで、この歳まで来た」
老人は、椀の底を、指でさらった。
「その御方が、こんどは、わしらの県を焼いた。粥をくださった手と、同じ手でな」
麦は、答えられなかった。
麦には、それが、うまく呑み込めなかった。
飢えた者に粥を施した人と、曹操を裏切って州を焼いている人とが、同じ張邈だという。麦の頭の中で、その二つが、どうしても一つに繋がらなかった。粥を配る手と、呂布を招き入れる手と。同じ手なのか。
荀彧に、それを訊いてみたかった。だが、下人の麦が、王佐と呼ばれる人に、そんなことを訊けるはずもなかった。麦は、荷を担ぎ直しながら、一人で考えた。
たぶん、と麦は思った。
張邈という人は、飢えた者を憐れむ心を、本当に持っていたのだろう。蔵を開いたのも、嘘ではなかったのだろう。だが、その同じ人が、乱世で生き残るために、恐れて、裏切った。憐れむ心と、裏切る打算とは、一人の人の中に、並んで在るのだ。どちらかが嘘なのではない。両方とも、本当なのだ。
麦は、丘の上の荀家のことを思い出した。
締め出されてきた名家が、飢えた者を打たずに帰した。あのときも、麦は、その情けを、うまく呑み込めなかった。あたたかいというより、こわい、と思った。いま、また同じ気持ちだった。名のある人々の心は、麦のような者には、底が見えない。憐れみと打算が、同じ器の中で、澄まずに濁っている。
その底の見えない人々の世を、麦は、また、下から見ていた。
蔵を開いた人が、州を焼く。焼かれた州で、荀彧が、三つの県を抱えて踏みとどまっている。麦は、その荀彧の後ろで、荷を担いでいた。名のある人々が世を動かし、その足元で、麦のような者が、また、流されまいと踏ん張っている。十年前と、何も変わっていなかった。




