第7話:徐州の坑
――初平四年(一九三年)、徐州、彭城。
曹操の軍が、徐州になだれ込んだ。
先頭を駆けたのは、青州兵だった。土地を失い、飢えて降り、曹操の兵になった者たちが、いま、徐州の土地と民へ、刃を向けていた。
彭城で、大きな戦があった。陶謙は支えきれず、東の郯へ退いて、城に籠もった。曹操は、その郯を攻めた。だが、城は固く、落ちなかった。
落ちぬと見ると、曹操は、兵を返した。
返す道すがら、取慮、睢陵、夏丘といった県を、次々に屠った。
屠る、というのは、城を落とすこととは、違った。
兵だけを討つのではない。城にいる者を、男も、女も、老人も、子も、片端から殺すのだ。犬や鶏まで殺された。県は、人の声の絶えた、ただの空き地になった。逃げ遅れた者も、降った者も、区別はされなかった。徐州の土地に根を張って暮らしていた者たちが、根ごと、抜かれ、断たれた。
殺された男女は、数十万に上った。
その亡骸が、泗水に投げ込まれた。あまりに多くの身体が川を埋めて、泗水の流れが、止まった。水は、屍に堰き止められて、流れることをやめた。
曹操は、その川を、馬上から見ていた。
顔には、何も浮かんでいなかった。
めったに腹を見せぬ男の顔は、いま、空のように何も映していなかった。涙も、怒りも、もう、そこには無かった。父を殺された痛みは、この、流れぬ川に、すっかり注ぎ込まれて、空になっていた。
いつか、長社の野で、曹操は思ったことがあった。賊を生んだのは賊ではない、民を絞った、あの仕組みのほうだ、と。飢えた百姓を、賊にしたのは、官だ、と。その曹操が、いま、飢えて降った百姓を兵に変え、その兵を率いて、別の土地の百姓を、根こそぎにしている。
台頭とは、こういうことだった。
誰かの根を断った土の上に、自分の根を下ろす。土地を失った者を兵に変え、その兵で、また誰かの土地を奪う。流れぬ川の水のように、奪われた者は、低いほうへ、低いほうへと溜まり、堰き止められて、声を失う。
曹操は、馬首を返した。
鄄城では、荀彧が、留守を固めて待っている。兗州へ帰れば、また、政の骨を組む日々が始まる。曹操は、流れぬ泗水に背を向けて、北へ、自分の地へ帰っていった。
川は、長いあいだ、流れなかった。
第三章 根こそぎ ――完。




