第6話:報せ
――初平四年(一九三年)、鄄城。
荀彧は、鄄城に残って、曹操の留守を預かっていた。
兵糧を集め、人を配し、州の政を回す。曹操が剣で広げた地の上に、荀彧が政の骨を組む。その働きは、滞りなく進んでいた。兗州は、青州兵を得て、ようやく一つの力としてまとまりかけていた。
そこへ、徐州から、報せが届いた。
曹操の父、曹嵩が、殺された。
戦を避けて東の地に身を寄せていた曹嵩が、徐州牧の陶謙の領を通る途中で、陶謙の部将、張闓の手にかかった。護送を任された張闓が、曹嵩の財貨に目が眩んだのだ、ともいう。曹操の弟も、ともに殺された。
荀彧は、その報せを、曹操のそばで聞いた。
曹操の顔から、いつもの、冷たく測る色が、すっと引いた。
代わりに、荀彧の見たことのないものが、その下から現れた。荀彧は、それを、はっきりとは名づけられなかった。怒りとも、悲しみとも違う、もっと底の、熱いものだった。
「徐州を攻める」
声は、低かった。低いだけで、いつもの声とは、まるで別のものであった。
「陶謙を、討つ」
荀彧は、すぐには、言葉を返さなかった。
陶謙を討つ。それは、分かる。父を殺された子が、その仇を討つ。理屈は通っている。
だが、荀彧には、見えていた。曹操が討とうとしているのは、陶謙一人ではない。徐州そのものだ。父を奪われた痛みを、徐州の土地と民の、すべてにぶつけようとしている。荀彧が、袁紹を捨ててまで選んだ男――わずかな手駒を使い切り、乱世を鎮めるはずの男が、いま、私の痛みのために、一州を焼こうとしている。
荀彧は、止めなかった。
止めて、止まる熱ではなかった。それに、荀彧は、まだ、曹操に賭けていた。この熱が過ぎれば、また、あの冷たく測る顔に戻る。戻った曹操が、天下を鎮める。荀彧は、そう信じることにした。信じることにして、徐州へ向かう曹操を、見送った。
ただ、いつもより、口数は少なかった。
兵糧を送り、留守を固め、為すべきことを為した。為しながら、荀彧は、自分が選んだ男の底に、一度、冷たく測る色とは別の何かを見たことを、胸の隅に、しまった。しまって、鍵をかけた。だが、しまったという事実は、消えなかった。




