第5話:青州兵
――初平三年(一九二年)、兗州。
黄巾の群れは、済北まで追い詰められて、ついに降を乞うてきた。
麦は、その降伏を、荀彧のそばで見た。
野の向こうから、降りてくる群れを見て、麦は、息を呑んだ。それは、軍ではなかった。
男がいた。女がいた。老人がいた。乳飲み子を背負った母がいた。痩せた牛が荷車を引き、その荷車には、鍋や、すり減った農具や、わずかな粟が積まれていた。頭に巻いた黄色い布は、どれも色あせ、垢にまみれていた。百万と号した群れの正体は、武人の軍ではなく、土地を失った百姓の、まるごとの引っ越しだった。
麦は、その顔を、一人ひとり見た。
どれも、見覚えのある顔だった。潁川の村にいた顔だ。飢饉のとき、痩せて道に座っていた顔だ。麦自身が、もし荀家という寄る辺が無ければ、なっていたかもしれない顔だった。土地を絞られ、飢え、失うものが無くなって、最後に黄色い布を巻いて立った者たち。その何十万、何百万が、いま、武器を捨てて、頭を垂れていた。
曹操は、その群れの中から、戦える男を選り分けた。
降った兵は、三十万を超えた。曹操は、その中から屈強な者を選り分け、新しい軍に編んだ。青州から来た黄巾を母体とするその兵を、青州兵と名づけた。残りの、女子供や老人は、土地を与えて、田を耕させることにした。
麦は、その選り分けを、ただ見ていた。
土地を失って賊になった民が、こうして、曹操の兵になる。曹操の力の、いちばん下の土台になる。飢えが、武に変わる。麦は、自分のことを思った。麦は、荀家という家に従って、根の無い旅をしている。この者たちは、従う家さえ無く、土地を失い、いま、曹操という一人の男の軍に、まるごと呑み込まれた。
寄る辺を失った者は、どこかへ、呑まれていく。
麦は、荀家に呑まれ、この者たちは、曹操に呑まれた。麦の頭の中で、もう何年も前の、長社の夜に遠く見た火が、よみがえった。あの火に焼かれた黄巾も、こうして布を巻いた、飢えた者たちだったのだ。
黄色い布が、外されていく。
布を外した者たちは、曹操の旗の下に並び、武器を渡された。飢えた百姓が、一夜にして、台頭する者の兵になった。麦は、その光景が、なぜか、田に水が引かれていくのに似ている、と思った。低いほうへ、低いほうへと、水は流れ、溜まる。寄る辺の無い者は、力のある者のほうへ、同じように流れ、溜まっていくのだった。




