第4話:木の像
――初平三年(一九二年)、兗州、寿張の東。
野の東の果てが、煙っていた。
煙は、朝から夕まで、途切れなかった。炊く火の煙である。曹操は、丘の上から、その帯を、幾日か見て過ごした。帯は、日ごとに、こちらへ寄ってきた。
兵は、少なかった。
東郡から連れてきた兵に、州の郡から出させた兵を足しても、一万には届かなかった。向こうは、百万を号している。号だけなら、いくらでも大きく言える。だが、日が落ちて、野に火が点きはじめると、数の話は、号ではなくなった。火は、地平の際まで続いた。酸棗で、十余万の焚き火を見たことがある。あのときは、端が見えた。ここには、端が無かった。
その群れは、軍の形をしていなかった。
先に立つのは、鍬や、奪った刀を持った男たちで、その後ろに、牛の引く荷車が続く。荷車には、鍋と、寝るための筵と、子どもが乗っている。陣を敷くのではない。日の落ちたところで、そのまま止まって火を焚き、朝になると、また動きだす。村が、そっくり歩いているのだった。
止まらぬ理由も、はっきりしていた。
止まれば、食えない。荷車に積んだ穀は、数日分しかない。だから毎日、どこかの県へ入り、蔵を破り、まだ実らぬ田まで刈る。刈り終えれば、次の県へ動く。この群れは、進むことでしか、生きていられなかった。
曹操は、州の県に、門を閉じさせた。
蔵の穀は城へ入れさせ、入りきらぬ分は焼かせた。井戸に蓋をさせ、道の辻に、兵を伏せさせた。刈る物が無ければ、群れは、進む先を変える。変えたところを、狭い場所で突く。――鮑信が劉岱に説いた手を、曹操は、そのまま使っていた。説かれた者は死に、説いた者と、その場にいなかった者とが、いま、その手を使っていた。
その日、曹操は、戦う場を、自分の目で見に出た。
連れたのは、歩兵と騎兵、あわせて千余りである。鮑信が、当たり前のような顔で、馬を並べた。
「相どのが出る役ではない」
「この地面を知っているのは、俺のほうだ。ここから東は、済北の境まで、俺の郡だった」
野は、低い丘がいくつも連なって、そのあいだを、水の涸れた沢が縫っていた。
鮑信は、馬を進めながら、沢の一つひとつを指した。ここは雨の後だけ水が出る、ここは牛車が越えられぬ、ここは秋になると草が背丈まで伸びる。土地を知っているというのは、こういうことだった。曹操は、聞いた端から、頭の中の地図に書き込んでいった。
丘を一つ越えたところで、曹操は、馬を止めた。
目の前に、人が、いた。
柵も、濠も、見張りの櫓も無かった。ただ、地面に、人が敷き詰められていた。
前の日に見たときより、二里あまり、こちらへ寄っている。夜のあいだに動いたのだ。動いて、そのまま眠って、朝の煮炊きを始めたところだった。煙の匂いが、風に乗って、はっきりと届いた。
距離は、矢の届く内だった。
誰かが、こちらを指した。声が上がった。号令ではない。合図の音でもなかった。前にいた者が立ち、その後ろが釣られて立ち、立ち上がる波が、後ろへ、後ろへと伝わっていった。野が、そのまま起き上がるように見えた。
曹操は、退けと命じた。
だが、千余りの隊は、丘の裾で、細長く伸びきっていた。伸びきったところへ、群れが、三方から寄せてきた。
まともな戦には、ならなかった。
向こうには、隊も、備えも、下知も無い。ただ、人が押してくる。斬っても、斬った身体が、後ろから押されて、こちらへ倒れかかってくる。倒れた身体を踏み越えて、次が来る。曹操の兵は、突かれて崩れたのではない。押し寄せる人の重みに、押し潰されかけた。
馬が、進めなくなった。
騎兵が、馬の脚を人の身体に取られて、次々に落ちた。落ちれば、もう起きられなかった。曹操は、後ろの隊から順に、丘を登らせた。登りきるまで、誰かが、坂の下を塞いでいなければならなかった。
鮑信が、馬を返した。
「しんがりは、俺がやる」
「それは、私の役だ」
「あんたが死ねば、この州は、明日、無くなる。俺が死んでも、済北の郡が一つ、困るだけだ」
鮑信は、そこで、一度だけ、曹操を見た。
「孟徳。二年前に酒の席で言ったことを、俺は、まだ取り消していない。行け」
曹操は、手綱を握ったまま、動かなかった。
鮑信は、待たなかった。馬首を返し、済北の兵に、一声かけた。飾りの無い鎧の一隊が、登っていく味方とすれ違って、坂の下へ、逆に降りていった。
曹操は、坂を登った。
登りながら、一度だけ、振り返った。人の中に、飾りの無い鎧が、いくつも沈んでいくのが見えた。どれが鮑信なのか、その距離では、もう分からなかった。
丘の向こうまで退いて、兵を数えた。
死んだ者は、数百に上った。連れて出た千余りの、四人に一人が、戻らなかった。鮑信も、戻らなかった。
曹操は、その日のうちに、触れを出した。
済北の相、鮑信の亡骸を運んできた者には、金と絹を出す、と。
だが、野は、まだ賊の下にあった。
その夜、陣は、静まりかえった。負けたからではない。負け方が悪かった。将が自分の目で見に出て、人の中へ乗り入れて、数百を捨てて帰ってきた。兵は、それを見ていた。天幕のあいだを歩いても、誰も、目を合わせなかった。
曹操は、鎧を着て、兜をかぶった。
そのまま、陣の中を、端から端まで、自分の足で歩いた。天幕を一つずつ覗き、坂の下で踏みとどまった隊の名を、その場で呼び上げ、賞を出した。逃げるときに、傷ついた味方を置き去りにした者を、隊ごと調べ上げ、その場で罰した。誰を上げ、誰を下げるかを、その夜のうちに、全部、見えるところでやった。
済北の兵のところへ来ると、彼らは、火も焚かずに座っていた。
将を失った一隊は、命じる者も、命じられる筋も、失っていた。于禁が、立ち上がった。
「我らは、これから、どなたの下に付けばよろしいのですか」
「私の下だ。不服か」
「いいえ。鮑相は、隊の先を歩く人でした。次の方も、そうしていただければ、それで」
于禁は、それだけ言って、また座った。
曹操は、その一隊の前に、しばらく立っていた。
翌朝から、曹操は、伏せることを始めた。
水の涸れた沢に兵を伏せ、群れの先頭を、丘と丘のあいだの細い道へ誘い込んだ。誘い込んで、沢の両側から、まとめて射た。丘の陰には馬を置き、掠奪から戻ってくる隊を、荷ごと襲った。奪い返した穀は、運ばずに、その場で焼いた。
昼と夜の区別は、やめた。
夜になれば、火の見える端を突いた。突いて、深追いはせず、すぐ引いた。引いたところへ追ってきた者を、伏せておいた兵が、横から突いた。眠らせない。食わせない。その二つだけを、来る日も来る日も、繰り返した。
群れは、少しずつ、押し返されはじめた。
一日に、一里。次の日は、動かない。その次の日に、また一里。地図の上では、指の幅にもならぬ動きだった。だが、その指の幅の分だけ、群れは、刈る田を失っていった。
十日が過ぎる頃には、荷車の列が、乱れはじめた。
半月が過ぎる頃には、群れの前と後ろが、離れはじめた。前に立つ男たちが押し返され、後ろの荷車が追いつけずに、あいだが空く。空いたところへ、曹操は、馬を入れた。
斬った顔を、曹操は、幾度も見た。
鍬を握ったまま死んでいる者がいた。腕の細い者がいた。刈り入れの前に、田から引き剝がされて、ここまで歩いてきた者たちだった。長社の野で、賊を生んだのは賊ではない、と思ったことがある。民を絞る仕組みのほうだ、と。その仕組みは、まだ、どこも変わっていなかった。変わらぬまま生まれた者たちを、いま、自分が刈っていた。
押し返した野を、曹操は、取り返した。
取り返した野には、はじめの日の死者が、そのまま残っていた。
半月あまりが経っていた。秋の日は、まだ十分に強かった。屍は膨れ、色を変え、烏が、朝から降りていた。鎧を剝がれた者も多かった。賊が剝いだのか、味方の誰かが剝いだのかは、分からなかった。
済北の兵が、その野を歩いた。
うつぶせに倒れた身体を、一つずつ、仰向けに返していく。返しては、首を振り、また次へ移る。于禁が、先に立って歩いていた。三日かかった。
金と絹の触れを聞いて、亡骸を運んでくる者もあった。
飾りの無い鎧を着た、四十がらみの男というだけで、荷車に載せて運んでくる。曹操は、そのたびに、見に行った。見ては、首を振った。運んできた者を、責める気には、なれなかった。この野で、金と絹に値打ちのある物は、もう、ほとんど残っていなかった。
鮑信は、出てこなかった。
将だけが目立つ格好をして何の得がある、と、あの男は言った。目立たなかったから、狙われず、狙われなかったから、最後まで坂の下に立っていられたのだろう。そして、目立たなかったから、屍のあいだで、誰にも見分けがつかなかった。
曹操は、捜すのを、やめさせた。
代わりに、軍の中から、木を扱う者を集めさせた。陣の道具を直している、年寄りの職人が来た。手のひらが、木の色に染まっている男だった。
「どのようなお顔でしたか」
曹操は、すぐには、答えられなかった。
「歳は、四十一だ。私より、三つ上になる。背は、指二本ぶん高い。肩の肉が、厚い。……酒を飲まない男だった。宴の席へも、酒の匂いをさせずに来て、目だけが醒めていた」
言いながら、曹操は、その顔が、思ったよりも思い出しにくいことに気づいた。
二年のあいだに、顔を合わせたのは、二度きりだった。酸棗の天幕の中と、東郡の城の外と。それだけの男に、州をひとつ渡され、坂の下に置いてきた。
木は、三日で刻み上がった。
人の背丈ほどの、粗い像だった。目も鼻も、深くは彫られていない。似ているとも、似ていないとも、言えなかった。ただ、済北の兵たちが、それを見て、うなずいた。
寿張の東の野に、土を盛って、祭壇を組ませた。
いけにえを供え、酒を置き、軍を並べた。木の像は、その真ん中に、立てられた。
曹操は、像の前へ進んだ。
拝んで、顔を上げた。上げたところで、声が出た。
泣き声だった。曹操は、人前で泣いたことが、ほとんど無かった。腹の底のものを顔に出さぬのが、この乱れた世を渡る作法だと思ってきた。それが、木の像の前で、外れた。
曹操が声を上げると、済北の兵が、続いた。
次に、東郡から来た兵が続き、州の郡から出された兵が続いた。野の全体が、しばらくのあいだ、泣いていた。
酸棗の壇の下でも、みな泣いていた、と曹操は思った。
あのときの涙も、本物だったろう。本物のまま、誰一人、一兵も損なわなかった。ここで泣いている者たちは、坂の下に、実際に人を置いてきた者たちだった。同じ泣くのでも、まるで別の泣き方だった。義のために死ぬ者だけがいない、とあの夜に思った。その、いない者が、この木の像だった。
曹操は、ひとしきり泣くと、袖で顔を拭った。
拭って、立ち上がった。立ち上がったときには、その顔は、もう、いつもの顔に戻っていた。涙の跡は、どこにも無かった。




