第4話:一言
――初平三年(一九二年)、長安の東。
董卓が死んでも、董卓の軍は、消えなかった。
長安の東には、董卓の軍を預かる将たちが残っていた。束ねていたのは、董卓の婿の牛輔だった。だが、董卓の死を聞くと、牛輔は怯えた。ある夜、陣の中で物音がしたのを、兵が裏切ったのだと思い込み、金を抱えて逃げ出し、供の者に首を取られた。
将を失った涼州の兵が、宙に浮いた。
李傕、郭汜、張済――名のある将は幾人もいたが、誰も、全軍を束ねきれなかった。彼らは、長安へ使いを送り、罪を赦してほしいと願い出た。董卓に従っただけで、朝廷に恨みはない、と。
王允は、それを拒んだ。
赦しは年に一度きりのもの、たやすくは出せぬ、と王允は言った。のみならず、長安では、涼州の者を一人残らず殺すつもりだ、という噂が流れた。
将たちは、震え上がった。
もう、軍を解いて、めいめいの郷里へ逃げ帰るしかない。夜のうちに散ろう――そう話がまとまりかけた、その時だった。
牛輔の下にいた、賈詡という男が、口を開いた。
「お待ちを。いま軍を捨てて、ひとりで落ちのびようとすれば、どうなります。長安は、涼州の者を皆殺しにするという。そんな噂の立った道を、供も連れずに歩けば、村はずれの亭長――村役人ひとりにでも、縛り上げられて終わりだ」
将たちが、賈詡を見た。
賈詡は、声を高くしなかった。淡々と、そろばんを弾くように続けた。
「ならば、逆だ。軍を率いて、西へ向かう。道々で兵を集めながら進み、長安を攻める。董公の仇を討つ、と旗を掲げればよい。集まる者は、いくらでもいる。事が成れば、天子を奉じて天下に号令すればよい。成らなければ――その時に逃げても、遅くはない」
誰も、すぐには口をきかなかった。
やがて、李傕が、低くうなずいた。郭汜が、それに続いた。散ろうとしていた軍が、向きを変えた。西へ――長安へ。
賈詡は、自分の言ったことの重さを、分かっていた。
数万の兵が、これで都へ向かう。董卓ひとりが死んで、ようやく軽くなった都へ、董卓の残した軍が、まるごと雪崩れ込む。多くの人が死ぬだろう。それも、分かっていた。分かったうえで、言った。忠義のためではない。董卓を慕ってもいない。ただ、ここで散れば、自分が村役人に縛られて死ぬ。それだけが、賈詡を動かした理屈だった。
己が生き延びるための、たった一つの計算が、一つの都を地獄に変えようとしていた。
西へ向かう兵は、進むほどに膨れ、長安に着く頃には、十万に達していた。




