第3話:父の嘆息
――初平三年(一九二年)、長安。
董卓が討たれた日、蔡琰は、父のそばにいた。
父の蔡邕は、当代一の学者だった。古い書物に通じ、文章を書かせれば並ぶ者がなく、琴を弾けば人が聞き入った。蔡琰も、幼い頃から父に書を教わり、琴を教わった。父が弾く曲の、どの弦が切れたかを、音だけで言い当てたこともある。父は、それを面白がって、もう一本、わざと切ってみせた。蔡琰は、それも当てた。
その父は、ここ数年、不本意な日々を送っていた。
董卓が、無理やり父を召し出したのだ。董卓は、なぜか父の学を惜しみ、三日のうちに三度も位を上げた。父は、董卓の暴政を喜んでなどいなかった。ただ、断れば一族が危うい。父は、嫌々ながら、董卓の下で文を書き、儀礼を整えていた。
董卓の死の報せが届いたとき、父は、王允のもとにいた。蔡琰は、その場にいなかった。後で人づてに、その時のことを知った。
居並ぶ役人たちが沸き立つ中で、父は、ふと、息を漏らしたのだという。
それだけのことだった。長く仕えた相手が、むごたらしく殺された。その死を、ほんの一瞬、悼んだ。忠義からではない。董卓を惜しんだのでもない。ただ、人がひとり死んだことに、体が勝手に反応した。短い、嘆息ひとつ。
王允が、それを聞きとがめた。
「董卓は、国を食い荒らした賊だ。漢の臣でありながら、お前は、私情でその賊を悼むのか」
父は、すぐに詫びた。
自分が軽率だったと認め、罰を受けると言った。そのうえで、一つだけ願い出た。顔に入れ墨を入れられ、足を切られてもよい。ただ、書きかけの漢の歴史を、最後まで書き上げさせてほしい、と。父は、長い年月をかけて、漢の正史を編んでいる途中だった。
多くの学者が、父の助命を願い出た。
これほどの学者を殺せば、人の心が離れる。まして、史書を書いている最中ではないか、と。
だが、王允は、首を縦に振らなかった。
「昔、武帝は司馬遷を殺さなかった。その結果、史記という、朝廷をそしる書が後の世に残った。いま、衰えた世に、幼い天子のそばで、また筆の立つ者に好き勝手を書かせれば、我らは後の世まで筆で刺される。生かしてはおけぬ」
父は、獄に下された。
そして、ほどなく、獄の中で死んだ。
蔡琰は、父の書きかけの史書を、手元に残された。竹簡の束は、途中で切れていた。漢の歴史は、父の代で、半ばのまま止まった。党錮の弾圧をくぐり、辺境への流罪に耐え、董卓の下で屈辱に耐えた学者が、最後は、たった一つの嘆息で死んだ。
蔡琰は、泣かなかった。
父の琴を、膝に乗せた。弦を、一本、指で弾いた。音は、いつもの音だった。父はもういないのに、弦の音だけが、変わらずに鳴った。学問も、文も、音も、何一つ、父を獄から救えなかった。武を持つ者が人を殺し、正論を持つ者がそれを許す。その間で、学を持つ者だけが、ただ死んでいく。
外では、董卓を討った祝いの声が、まだ町に残っていた。




