第4話:長社の火
――光和七年(一八四年)、潁川長社。
黄巾は、潁川を呑んだ。
波才という将に率いられた一群が、郡を東から塗りつぶすように進み、村も里も、布を巻いた者で溢れた。荀家は、塀を固く閉ざした。麦は、わずかな下人とともに、その内に入れられた。小作を、こんなときだけ家に入れるのか、と思いはしたが、外に残れば、布を巻くか、殺されるかだった。
塀の内から、麦は外を見ていた。布の波が、丘の下を流れていく。そのなかに、見知った顔がいくつもあった。隣の女もいた。皆、痩せたままで、けれど目だけは、前とは違って、いきいきとしていた。
黄巾は、長社に集まった。
そこに、官の軍が来ていた。皇甫嵩と朱儁という、二人の将が率いる軍だ。数では、黄巾がはるかに勝った。官の軍は城に追い込まれ、黄巾は、その城を囲んで野に陣を張った。
陣は、枯れた草の原に張られていた。
火が出たのは、夜だった。
風の強い夜を選んで、皇甫嵩の兵が、城を出て草に火を放った。乾いた原は、ひと息に燃えた。布を巻いた者たちは、火と煙のなかで方角を失い、互いを踏んで逃げ惑った。麦は、塀の内の高みから、遠い火を見ていた。地が、夜のなかで赤く波打っていた。あの赤の下に、隣の女がいる。一緒に来いと言った女が。
火に追われて崩れる黄巾へ、城から官の軍が打って出た。さらに、東から騎馬の一隊が駆けつけた。
騎都尉の曹操という、まだ若い将だ、と下人の一人が言った。それから、声を低くして、付け足した。
「宦官の孫だ」
「宦官に、孫がおるのか」
「養子の子よ。……あんな出の者が将になるのだから、世も末だ」
男は、そう言って、あざわらった。
麦には、それのどこがあざわらうことなのか、分からなかった。ただ、遠い火のなかへ、騎馬の影が、ためらいもなく吸い込まれていくのが見えた。
夜が明けると、原は黒い焼け跡になっていた。
数えきれぬほどの骸が、布の色も分からぬほど焼けて、転がっていた。麦は、そのなかに隣の女を探そうとして、すぐにやめた。探しても、見分けはつかなかった。
逃げのびた者たちは、わずかな食を求めて、各地をさまよった。陳留の張邈という人が、蔵を開いて、流れてきた者に粥を施しているという噂が、どこからか流れてきた。施す者がいる。それを聞いても、麦の胸は、もう動かなかった。施されるべき者の多くは、すでに、あの黒い原で焼けていた。




