第2話:呑む者
――中平六年(一八九年)、洛陽。
都は、董卓のものになっていた。
だが、麦が水を担いで大路を行き来するうちに、おかしなことに気づいた。都を埋めている兵の顔が、日ごとに、増えていくのだ。
麦は、数えることにした。
井戸から荀家の住まいまで、道は決まっている。その道の辻に立っている兵の数を、行きに数え、帰りに数えた。はじめの日は、六人だった。三日目には、九人になった。七日目には、辻の一つに、天幕が張られていた。
董卓が西から連れてきた涼州の兵は、はじめ、それほど多くはなかったという。夜のうちに兵を城の外へ出し、朝にまた入れてみせる。それを幾度も繰り返して、次から次へと大軍が着いているように見せていた、という噂も流れた。
だが、見せかけだけではなかった。辻の兵は、本当に、増えていた。
どこから湧いたのか。
その答えを、麦は、荷を下ろした先で聞いた。荀家に出入りする、都の下役の男である。
「あれは、戦って増やしたのではない。呑んで、増やしたのだ」
呑む、と麦は、口の中で繰り返した。
大将軍の何進が、宮中の奥で殺されたことは、前に聞いた。
主を失った兵は、行き場を無くす。その、主を失った何進の兵を、董卓は、そっくり自分のものにした。何進の弟の何苗も、あの騒ぎのなかで、身内に殺されていた。その何苗の兵も、董卓が拾った。主のいなくなった軍が、いちばん近くで手を広げていた男の懐へ、次々と落ちていった。
戦も、せぬうちに。董卓の軍は、都に来たときの何倍にも、膨れ上がっていた。
董卓の兵が、まだ膨れきらぬうちに、これを討つべきだと説いた者も、いたという。
鮑信という将だった。都に上ったばかりの董卓の軍は、まだ疲れ、まだ都に馴染んでいない、いま襲えば除ける――鮑信は、袁紹に、そう迫った。だが、袁紹は、動かなかった。鮑信は、容れられぬと見て、郷里へ帰り、みずから兵を集めにかかった。
董卓を除ける機会は、これまでにも、幾度かあったのかもしれない。麦が涼州の報せで聞いた、あの皇甫酈の一件も、その一つだった。だが、その機会は、いつも、勢いのある誰かの一存で、見送られてきた。そして、見送られるたびに、董卓は、大きくなっていった。
だが、一つだけ、董卓の思うようにならぬ軍があった。
并州から来ていた、丁原の軍である。
丁原は、執金吾――都の警固を司る官として、北から兵を率いて上ってきていた。その丁原の下に、呂布という男がいた。弓馬に並ぶ者なく、一人で千に当たるといわれる、恐るべき武人だった。董卓は、この呂布の武と、丁原の并州兵とを、欲しがった。
董卓は、戦わなかった。
人をやって、ひそかに、呂布に近づいた。金を贈り、位を約した。そして、囁いた。丁原の下にいるより、こちらへ来い、と。
呂布は、応じた。
ある朝、その決着が、報せとなって都を駆けめぐった。
呂布が、自分の主である丁原を、その手で斬った、というのだ。眠っているところを襲ったとも、陣中で討ったとも言われた。呂布は、丁原の首を提げて、董卓のもとへ行った。首と引き換えのように、丁原の并州兵は、そっくり董卓のものになった。
董卓は、喜んで、呂布を迎えた。手厚くもてなし、実の子のように扱い、父と子の契りを結んだ、という。
麦は、水桶を担いだまま、しばらく動けなかった。
主を、斬る。
麦には、それが、うまく呑み込めなかった。呂布は、丁原に、目をかけられていたという。目をかけてくれた主を、より良い条件を出した男のために、斬った。そして、斬った相手の兵が、そっくり、新しい主のものになった。
麦は、自分のことを思った。麦は、荀家に従っている。荀家が落ちぶれれば、麦も落ちる。だが、もし、荀家より良い条件を出す家が現れたら、自分は、荀家を捨てて、そちらへ行くだろうか。麦には、分からなかった。ただ、呂布は、行った。行っただけでなく、前の主を、斬った。
兵とは、そういうものなのかもしれなかった。誰に仕えるかは、誰が兵を養えるかで決まる。丁原が養えなくなれば、兵は董卓のものになる。呂布の首ひとつで、軍がまるごと持ち主を変える。忠も義も、そこには無かった。あるのは、誰がいちばん多くを持っているか、それだけだった。
董卓が呑んだのは、兵だけではなかった。
その頃、董卓は、名の高い人々をも、次々と集めはじめていた。長く世を避けていた大学者を、無理やり呼び出して官に就けた、という話も、麦は聞いた。蔡邕という人だった。三日のうちに三度も位を上げられ、董卓の朝廷を飾る名として、据えられたという。蔡邕には、蔡琰という、詩と琴をよくする娘がいて、その才もまた、都に聞こえていた。
王允という切れ者の官も、董卓の下で、高い位に就いた。董卓によく従い、そつなく仕えているように、傍からは見えた。
その幕の中には、涼州から従ってきた、賈詡という、口数の少ない官もいた。まだ、誰の目にも留まらぬ男だった。
武を呑み、名を呑む。
董卓は、戦わずに、都のありったけを――兵も、学者も、そして、次には帝そのものを――その大きな腹に、収めようとしていた。麦の担ぐ水も、麦の耕してきた地も、いまや、その腹の中の、ごく小さな一滴に過ぎなかった。




