第3話:渋り
――中平六年(一八九年)、洛陽。
陳琳は、その月、同じ文を、三度書いた。
大将軍の主簿である。主簿とは、主の手元で文書を預かる役で、府に出入りする書きものは、みな、この手を通った。書けと言われれば書き、出すと言われれば清書し、封をして使いに渡す。それだけの役である。
三度書いた文は、三度とも、封をされなかった。
宦官を除く、という上奏の下書きであった。
蹇碩を除いても、何進は、安んじなかった。
宦官は、蹇碩ひとりではない。帝の側近を長く独占してきた者たち――十常侍が、なお宮中にいた。帝が、張譲を我が父、趙忠を我が母と呼んだ、その者たちだ。皇帝の身の回りを握る、宦官の最も上の十数人を、世はそう呼んでいた。売官の利も、賄賂の糸も、みな、その手を通っていた。
何進は、これを根こそぎ除こうとした。
袁紹も、そばで、それを強く勧めた。いまを措いて、宦官を断つ機会はない、と。
だが、妹の何太后が、渋った。
漢の家の古い決まりだ、根こそぎ廃せるものではない――太后は、そう言って退けたという。陳琳の耳に届いたのは、そこまでだった。奥で何が語られ、何が語られずに済まされたかは、府の者には、知りようがなかった。
主の身内にも、宦官に通じる者がいた。
弟の何苗と、その母である。二人が宦官から贈り物を受け取っていることは、都では知られた話だった。何進が刃を抜こうとするたびに、身内が、後ろから袖を引く。
何進は、決めかねた。
妹に逆らえず、身内に引かれ、かといって宦官を生かしておく気にもなれない。獣をさばく家から出て、天下の兵を握った男は、いざ刃を振り下ろす段になると、手が止まった。何進は、宮中の奥と、この府とのあいだを、ただ行き来していた。
行って、帰ってくる。帰ってくると、陳琳を呼ぶ。
書け、と言う。書くと、読む。読んで、置く。置いたまま、また奥へ行く。
その日も、そうだった。
陳琳は、下書きを卓へ置いてから、一つだけ、口にした。
「大将軍。この文は、出しますか」
「出す」
「いつ、でございましょう」
「……太后のお許しが出てからだ」
「お許しは、出ませぬ」
何進が、顔を上げた。
陳琳は、退がらなかった。
「兵は、大将軍の手にあります。あちらには、一兵もありませぬ。本気で除くおつもりなら、この文は要りませぬ。今日のうちに、済んでおります。文が要るのは、済ませたくないからでございます」
何進は、答えなかった。
怒りもしなかった。怒られたほうが、まだ、ましであった。何進は、下書きをもう一度取り上げて、初めから読み直した。読み終えると、また、卓へ置いた。
置き方が、丁寧だった。
捨てる気は、無い。出す気も、無い。陳琳は、その置き方を、これで三度、見ていた。
力を握った者が、決められない。
それは、力を持たぬよりも、危ういのではないか。決めぬまま時が過ぎれば、追い詰められた側のほうが、先に動く。追い詰められた者には、失うものが無い。失うものの無い者が、いちばん速い。
陳琳は、そのことを、書かなかった。
書けば、また、封をされずに卓へ置かれる。置かれた文が一枚増えるだけである。陳琳は、墨を洗い、筆を掛けて、府を出た。
宮城のほうから、拝礼の音が、遠く聞こえていた。




