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三国志 ―正史群像―  作者: ソリトん
第四章 招いた火

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第1話:西園の崩れ

 ――中平六年(一八九年)、洛陽。


 夏のはじめ、帝が崩れた。

 長く病んでいた帝が、後継を定めぬまま死んだ。残されたのは、二人の皇子だった。年上の劉弁(りゅうべん)が立ち、少帝となった。母の何太后が、幼い帝に代わって政を執り、その兄、大将軍の何進が、これを輔けることになった。

 何進は、もとは肉を商う家の出だという。妹が後宮に入り、皇子を産んだことで、一族はにわかに昇った。獣をさばく家から出た男が、いま、天下の兵を握る大将軍である。それが、いまの世の上り方だった。


 曹操は、西の園の軍――西園の、八人の校尉の一人だった。

 典軍校尉という。帝が、自分の手で握るために置いた軍だ。その八人の上に立つのが、上軍校尉の蹇碩だった。宦官である。帝は、大将軍の兵を信じきれず、自分の軍を、よりにもよって宦官に率いさせていた。曹操は、その宦官の下に並んでいた。

 帝が崩れると、その蹇碩が、先に動いた。


 蹇碩は、年下の皇子のほうを立てたかった。

 亡き帝も、ほんとうは、年下の聡明なほうを望んでいたといわれる。だが、年上の劉弁には、大将軍の何進という後ろ盾があった。年下を立てるには、まず何進を除かねばならない。蹇碩は、何進を宮中へ誘い込んで斬る手筈を整えた。

 だが、宦官の側にも、一枚岩でない者がいた。

 蹇碩の下にいた一人が、その企てを、ひそかに何進へ漏らした。誘いを受けた何進は、門の前で馬を返し、宮中へは入らなかった。企ては露見し、蹇碩は、逆に捕らえられて殺された。

 蹇碩が握っていた西園の軍は、そっくり何進の手に移った。


 消えたのは、蹇碩だけではなかった。

 宮中には、もう一人、太后がいた。亡き帝の母――董太后(とうたいこう)である。少帝の母の何太后とは、姑と嫁の間柄だった。帝が生きているうちは、二人の太后が、奥で並び立っていた。だが、帝が崩れると、その二人が、政の上でぶつかった。董太后もまた、蹇碩と結んで、年下の皇子のほうを推していたのである。

 勝ったのは、兵を握る側だった。

 何進は、董太后の甥で、都の軍を預かる驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)の位にあった董重(とうじゅう)を、兵で囲んだ。董重は、官を奪われ、みずから命を絶った。後ろ盾を失った董太后は、宮中を出され、もとの封国へ帰された。そして、河間(かかん)へ向かう道の途中で、急に亡くなった。病だとも、そうではないとも、言われた。

 姑と嫁の、奥での諍い。だが、その勝ち負けを決めたのは、奥の理屈ではなかった。どちらの側に、兵があったか。それだけだった。


 曹操は、その移り変わりを、ひとことも評さなかった。

 自分の上に立っていた宦官が消え、代わりに、獣をさばく家から出た外戚が立った。宦官と、外戚と。どちらも、帝の身内という一点だけで、天下の兵を握っている。蹇碩は、帝の手の届く軍を作ろうとして、その軍ごと、何進に呑まれた。

 帝が自分のために置いた軍が、帝が死んだとたん、いちばん近くにいた外戚のものになる。曹操は、自分が今、誰の下にいるのかを、静かに確かめた。確かめただけで、顔には出さなかった。


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