第4話:西の火種
――中平六年(一八九年)、洛陽。
西の涼州から届く報せは、都の者が思うより、ずっと不穏だった。
涼州では、もう何年も、乱が続いていた。辺章・韓遂の乱がくすぶり続け、韓遂や、馬騰といった涼州の荒くれどもに担がれて、王国という者が賊の頭となり、大軍で、陳倉という要害の城を囲んでいた。陳倉が落ちれば、賊の勢いは、都に近い関中へまっすぐ向かう。都は、二人の将に、二万ずつの兵を預けて、救援に送った。上に立つのが皇甫嵩、その下につけられたのが、董卓である。
皇甫嵩の名を、麦は覚えていた。潁川の、あの長社の火を放った将だ。麦が塀の内から見た、夜の赤い火。あの将が、今度は西の城を救いに行く。
だが、送られた二人の将は、合わなかった。
麦が、荀彧の供で門の外に立つあいだ、下人たちの噂で、その不仲は、切れ切れに伝わってきた。
軍が西へ出ると、董卓は、すぐに陳倉を救えと言った。急げば城は残る、遅れれば城は落ちる、と。皇甫嵩は、退けた。陳倉の城は小さいが堅い、そうたやすくは落ちぬ、囲んでいる賊のほうが、いずれ疲れて崩れる、今は動くな、と。果たして、王国の大軍は、冬から春まで、八十日を越える囲みに疲れ、やがて囲みを解いて退きはじめた。
そこで、皇甫嵩は、追った。
董卓は、また止めた。退く敵を追うのは兵法の戒めだ、追いつめられた獣は噛みつく、と。だが皇甫嵩は聞かなかった。あれは追いつめられた敵ではない、戦う気を失って、列も組めずに帰る者どもだ、と。そして、董卓を後ろの備えに残し、自分の兵だけで追って、大いに破った。斬った首は一万を越え、王国は逃げて死んだ。董卓の言うとおりにしなかったほうが、勝ったのだ。
二度、董卓は、皇甫嵩に、面目を潰された。自分の上に立つ将に、衆目の前で、見立てを二度とも外された。退けられたあと、董卓は、どちらのときも、何も言い返さなかったという。
戦が終わっても、董卓は、兵を返さなかった。
帝は、董卓に、軍を朝廷へ返し、別の官へ移れと命じた。董卓は、応じなかった。兵が自分を慕って離れぬ、という理由を並べて、涼州の荒い兵を、まるごと手元に抱えたままにした。勅命に、正面から背いたのである。
そのとき、董卓を斬るべきだ、と説いた者がいた。
皇甫嵩の甥で、皇甫酈という者だった。董卓は勅命に背いた、いま叔父上の軍で討てば、天下の害を除ける――皇甫酈は、そう叔父に迫った。だが、皇甫嵩は、斬らなかった。ただ、董卓が命に従わぬ旨を、朝廷へ書き送っただけだった。上奏を受けた朝廷も、董卓を叱る文を一つ下しただけで、それきりだった。
斬れと言われた男が、また、斬られずに残った。
斬れと勧めた甥の名も、その一部始終も、涼州の陣には届いていた。届いて、それだけだった。
麦は、その報せを、荷を担ぎながら聞いていた。
斬れと言う者は、いた。それでも、誰も、斬らなかった。名のある武は、罪を犯しても、名があるがゆえに斬られず、ただ、恨みだけを腹に溜めて、大きくなっていく。麦には、涼州の乾いた風の向こうで、その男の腹が、少しずつ膨れていくのが、見えるような気がした。
夜、宿へ戻る道で、荀彧は、ひとことだけ言った。
「斬るべき時に斬れぬ刃は、いずれ、こちらへ向く」
麦には、その言葉の重さは、まだ分からなかった。ただ、その声は、いつもの静かな声のままだった。それが、かえって、恐ろしかった。




