第2話:名家の内側
――光和六年(一八三年)、潁川、荀家。
秋の納めの日、麦は荀家へ米を運んだ。
穫れたものの大半を、こうして丘の上へ運ぶ。それが小作の務めだった。背の籠が肩に食い込むのを感じながら、麦は長い坂をのぼった。途中で振り返ると、自分の村は、低い屋根の影が散らばっているだけに見えた。
門をくぐると、別の天の下に入ったようだった。石を敷いた庭があり、幾棟もの建物が回廊でつながっている。どこかで、人が声を合わせて書を読んでいた。意味は分からない。ただ、飢えとも疫病とも関わりのない声だ、と麦は思った。
米を蔵に納め、麦は庭の隅で待った。受け取りの印をもらわねば、帰れない。
縁先に、老人が座っていた。
荀爽という、この家の学者だと、誰かが言っていた。長いあいだ難を避けて南に隠れ、書物だけを相手に暮らし、このごろ密かに郷里へ戻ってきた人だという。その隣に、若い男が二人いた。
一人は、まだ二十歳そこそこに見えた。痩せて、姿勢がよく、庭の枯れた畑をじっと見ている。家の者が、文若さまと呼んだ。荀彧というのが、その名らしかった。
荀彧の前には、客が一人、座っていた。人を見抜くことにかけて名の高い、何顒という者だと、誰かが言った。その何顒が、若い荀彧を、しばらく見つめてから、感心したように言った。
「あれは、王佐の才だ」
王を助ける才、ということらしかった。
傍らで籠を下ろしていた下男が、そう教えてくれた。国を持つ者の脇に立って、その者に天下を取らせる。そういう器のことだ、と。
麦には、その言葉の重さは分からなかった。脇に立つ者と、荷を担ぐ者と。どちらも、自分では玉座に座らない。それなのに、なぜ一方だけが才と呼ばれるのか。ただ、若い男の目が、枯れた畑の、もっと向こうを見ているように思えた。隣の、もう少し年上の兄――荀諶と呼ばれていた――が、何かを問い、荀彧が短く答えた。
その日、荀家には客が来ていた。
許から来た、陳寔という老人だった。陳紀という息子を連れている。荀爽が自ら門まで迎えに出たので、よほどの人なのだと麦にも知れた。
老人たちは、縁先で長く話していた。麦が聞き取れたのは、切れ切れの言葉だけだった。
「――この禁は、いつまで続くのだろうな」
「かれこれ二十年だ。二十年、我らは官の門を閉ざされてきた」
「解けたところで、戻る世が、もう違う」
何の禁なのか、麦には分からなかった。ただ、この高い家の人々もまた、長いあいだ、どこかから締め出されてきたらしい、ということだけが、奇妙に胸に残った。
帳面の印を待つあいだに、騒ぎが起きた。
蔵の中で、男が一人、見つかった。麦の村の者だった。日が落ちるのを待って、納めたばかりの米を盗むつもりで忍び込み、梁の上に這い上がって、じっと隠れていたのだという。下男たちが棒を持って梁を見上げ、引きずり下ろせと騒いだ。
縁先から、陳寔が来た。老人は梁の上を見上げ、それから下男たちに言った。
「打つな」
静かな声だった。老人は、梁の上の男へというより、その場の皆に聞かせるように、続けた。
「悪い人間が、はじめから悪いわけではない。飢えが続けば、それが身につき、ついにはこうなる。梁の上の君子とは、こういう者のことだ」
男は、梁から下りてきて、地に伏した。陳寔は、その男にわずかな米を持たせて帰した。
麦は、その一部始終を、庭の隅から見ていた。梁から下りてきた男の、痩せて目だけが大きくなった顔と、米の袋を握る細い手が、ひと月前の自分と同じものに見えた。畑で動けなくなったとき、納める米を一掴み口に入れたいと思った、あの手だ。
高い家の人々は、締め出されてきたという。それでいて、飢えた者を打たずに帰す。その情けが、麦にはうまく呑み込めなかった。あたたかいというより、こわかった。同じ天の下にいるとは、やはり思えなかった。




