第4話:切られた糸
――中平四年(一八七年)、青州済南国。
冬のはじめ、都の知り合いから、文が届いた。
お前を恨んでいる者が、宮中に幾人もいる。次の人事で、必ず動きがある。身を慎め――そう書いてあった。
曹操は、文を読み終えると、火にくべた。それから、書き上げたばかりの、役人の罪を並べた朝廷への訴えの竹簡を、もう一度、初めから読み直した。直すところは、なかった。
恨みは、ほどなく、人事になって返ってきた。
朝廷は、曹操を、東郡の太守に移そうとした。一見、栄転だった。
辞令を持ってきた使者は、上機嫌だった。
「おめでとうございます。一国の相から、大郡の太守へ。ご栄達にございますな」
「病を得た。受けられぬ」
「……病、でございますか」
「病だ」
曹操は、それだけ言って、席を立った。
使者は、しばらく、座ったまま、動かなかった。健やかそのものの顔をした男が、目の前で、病と言った。言われたほうは、それを、そのまま持ち帰るしかない。使者は、やがて、辞令を巻き直して、帰っていった。
受ければ、どうなるか。曹操には、見えていた。新しい任地で、恨む者たちの手の届くところへ、自分から踏み込むことになる。済南で切った糸の先の者たちが、待ち構えている。栄転の顔をした、罠だった。
曹操は、官を退いた。
荷を、まとめた。
まとめながら、机の上に、あの竹簡が、残っているのを見た。出す先は、もう、なかった。出したところで、届く先が、濁っている。
曹操は、それを、火にはくべなかった。
都からの文は、読んだその場で、くべた。だが、この竹簡は、巻いて、紐をかけ、荷の底へ入れた。持っていったところで、譙の野では、一度も開かぬだろう。それでも、置いてはいかなかった。
澄ませた水を、そのまま置いて、曹操は、郷里の譙へ帰った。
澄ませたところで、誰も喜ばず、澄ませた者だけが憎まれる。一国の水を澄ませても、その水を満たしている川の上流が、濁ったままなら、いずれまた濁る。曹操は、それを、済南で知った。
知って、退いた。だが、退きながら、捨ててはいなかった。荷の底の、あの竹簡と同じだった。いつか、上流から澄ませる側に回るために、いまは、身を低くして退く。曹操は、そう決めていた。誰にも、言わなかった。




