第9話:玄武池(げんぶち)
――建安十三年(二〇八年)正月、冀州鄴。
池は、掘り上がったばかりだった。
水がまだ濁っているその縁に、陳群が立っていた。
鄴の城の西に、大きな池が、新しく掘られていた。玄武池という。北から水を引き入れ、船を浮かべ、兵に漕がせるためだけに作られた池である。北の四つの州を残らず手に入れた男が、戻ってきて、真っ先に命じたのが、この池だった。
北の兵に、船を教える。
陳群は、その一事の意味を、考えていた。北の兵は、馬に乗る。歩いて、槍を並べる。だが、船は、知らない。知らぬままでは、行けぬ場所がある。大きな川である。川を越えねば、南は、無い。
池の上では、五十艘ほどの小舟が、ぎこちなく行き交っていた。
櫂が、揃わない。片側だけが強く水を掻いて、舟が、その場でくるりと回る。回った舟に、後ろから来た舟が、ぶつかった。岸で、笑い声が起きた。笑っているのは、見物に来た歩兵たちだった。
舟の指図をしているのは、白髪頭の老人だった。
青州の海辺の生まれで、若い頃から船に乗っていたのだという。岸を歩きながら、しゃがれた声で、櫂の合図の入れ方を、繰り返し怒鳴っていた。陳群は、その老人のそばへ寄った。
「これで、川の戦が、できるようになるか」
「漕ぐだけなら、できます。ひと冬で、揃います」
「ならぬのは」
「揺れです」
老人は、池を指した。
「池は、揺れませぬ。風が渡っても、この程度です。川は、揺れます。大きな川は、もっと揺れる。揺れる床の上で、鎧を着て立って、矛を構えて、人を突く。これが、できませぬ」
「いつになれば、できる」
「あれは、育つのに、十年かかります。子どもの時分から、水の上で暮らして、ようやく、揺れが体に入る」
「十年」
「はい。――もっとも」
老人は、そこで、口を閉じかけた。
それから、笑って、言い直した。
「殿は、十年、お待ちにはなりますまい」
陳群は、それきり、何も訊かなかった。
訊いても、この老人が言えることは、もう、無い。舟は、池の上を、ぐるぐると回っていた。揺れぬ水の上で、櫂を揃える稽古だけが、日ごと、上手になっていく。
その正月、許から、詔が下った。
三公を廃す、というのだった。太尉・司徒・司空――前漢の昔から、政の頂きを三つに分けてきた官である。三つに分けてあるからこそ、互いに睨み合い、誰の手にも、すべては集まらなかった。その三つを廃して、代わりに、丞相と、御史大夫を置く。丞相は、政のすべてを一人で束ねる位である。御史大夫は、その副えで、役人を監める役だった。
写しが府に回ってきたとき、陳群は、荀攸と並んで、それを読んだ。
「二百年、続いた形です」
「無くすのではない。一つに、するのだ」
「同じことです」
「前漢には、丞相があった。昔の形に戻すだけだ、と朝廷は言うだろうな」
荀攸は、そう言って、写しを卓に置いた。
言い方に、含みがあった。朝廷は言うだろう、と言ったのであって、そのとおりだ、とは言わなかった。この人は、いつも、そういう言い方をする。
戻すのではない、と陳群は思った。
分けてあったのは、集まらぬようにするためだった。四代にわたって三公を出した家が、河北を束ねたように、あの三つの椅子は、天下の家々が代わる代わる座るためのものだった。座る椅子が三つあるうちは、家々は、順番を待つ。待っているあいだは、叛かない。
その三つを畳んで、一つにする。
畳んだ椅子に、誰が座るかは、この府の者なら、誰でも知っていた。
六月になった。
曹操が、丞相になった。詔が読み上げられ、府の者が、順に拝礼した。誰も、驚かなかった。驚かないということが、いちばん、大きなことだった。
拝礼のあいだ、陳群は、去年の春のことを思い出していた。
朝廷の座で四度、弾劾した相手のことである。五度目は、ついに、来なかった。あの男は、易水のほとりで死んだ。法度の外に立って、法度の外にいるまま、この主に重んじられ、そのまま、死んでいった。
あのとき、自分は、法度が人によって曲がってはならぬ、と言った。
いま、その法度を作る手は、一つに、なろうとしている。曲げる者を裁く物差しがなかったのではない。物差しを持つ手が、はじめから、一つしか、無かったのだ。
拝礼が終わって、陳群は、また、池のほとりへ出た。
池の水は、揺れなかった。
風が渡っても、さざ波が立つだけで、舟は、ほとんど傾かない。兵たちは、その揺れぬ水の上で、櫂を揃える稽古を、まだ、続けていた。南の川が、どれほど揺れるかを、この池にいる誰も、まだ知らなかった。
第二章 白狼山と郭嘉の死 ――完。




