第8話:論功
――建安十三年(二〇八年)正月、冀州鄴。
田疇は、鄴の府の広間の、隅のほうに座っていた。
軍が北から戻って、ひと月あまりが経っていた。城の内は、勝ち戦の後の、ざわついた明るさに満ちていた。塞の外の二十万が降り、袁氏の兄弟の首は箱に納まって届き、北で曹操に逆らう土地は、一つも、残っていない。
その朝、府に呼び集められたのは、勝った者たちではなかった。
去年の夏、北への遠征に反対した者たちである。誰が何を言ったかを、書役が一人ずつ調べ上げ、名を挙げて、残らず呼び出した。田疇の斜め前には、曹洪がいた。膝の上で拳を握り、じっと床を見ていた。
座は、静まりかえっていた。
誰も、口をきかなかった。勝った戦のあとで、その戦に反対した者を、わざわざ調べ上げて呼び集める。それが何を意味するかは、この時世の人間なら、誰にでも、分かる。
田疇は、北の家々で聞いた話を、思い出していた。
袁紹の府では、諫めた者が、獄で死んだ。田豊という男である。負けて帰った主が、当たっていた者を、殺した。正しさは、主の器を越えたときに、罪になる。北の郡では、それが、当たり前の話として、語られていた。
曹操が、入ってきた。
書役が、名を読み上げはじめた。読み上げられた者は、一人ずつ、前へ出た。曹洪の名も、呼ばれた。曹洪は、うつむいたまま、前へ出た。
そして、渡されたのは、絹と、銭と、田だった。
褒美である。しかも、薄くはなかった。前へ出た者は、みな、受け取ったものを両手で持ったまま、動けずにいた。座の者が、顔を見合わせた。何かの間違いではないか、という顔だった。
曹操が、その顔ぶれを、ひととおり見渡してから、言った。
「あれは、危ない橋だった」
声は、高くなかった。
「勝ったのは、たまたまだ。次も勝てると思うな」
誰も、返事ができなかった。
「これからも、遠慮なく、言え」
それだけだった。
曹洪が、絹を抱えたまま、洟をすすった。武人が、褒美を貰って泣くところを、田疇は、初めて見た。泣かせたのは、絹ではない。裁かれると思って座っていた半刻のあいだに、この男たちが、腹の底で何を数えていたか――それが、この一言で、要らないものになったのだった。
田疇は、座の隅で、考えていた。
この主は、賭けに勝った。勝ったあとで、その賭けを危なかったと、自分の口で言った。勝った者が言えば、それは、負けを認めるより、ずっと難しい。難しいことを、この人は、諸将を並べた前で、あっさりとやってみせる。
北の袁氏は、正しい言を、獄で殺した。
この人は、外れた自分の言を、賞で買い戻した。次に危ない橋を渡るとき、また誰かが、止めに立つだろう。止める者がいる限り、府は、腐らない。田疇は、そのことの重さを、烏桓の草原よりも、ずっと大きなものとして、感じていた。
その席の終わりに、田疇の名が、呼ばれた。
案内の功である。亭侯――村ひとつを名に負う、侯の位の下の位に封じ、五百戸を与える、というのだった。座の者が、田疇のほうを見た。
田疇は、前へ出て、床に手をついた。
「受けられませぬ」
座が、ざわついた。
曹操が、田疇を見た。
「なぜだ」
「私は、あの道を、褒美のために教えたのではありませぬ。烏桓に殺された、この土地の者たちのために、教えました。いま、爵と俸禄をいただけば、私は、盧龍塞を売って、それに換えた者になります」
「売ったのではない」
「土地の者には、そうは、見えませぬ」
曹操は、しばらく、黙っていた。
「受けよ」
「受けられませぬ」
三度、同じやりとりを繰り返して、その日は、終わった。
数日のち、田疇の宿に、夏侯惇が訪ねてきた。
片目の将である。酒を持ち込み、勝手に注ぎ、勝手に飲んだ。そのまま泊まり込んで、翌る日も帰らなかった。三日目の夜になって、ようやく、本題を切り出した。
「殿が、困っておられる」
「困らせるつもりは、ございませぬ」
「一人だけ受けぬ者がいると、賞という形そのものが、崩れる。ほかの連中が、貰った物を、後ろめたく思いはじめる。お前が受ければ、話が済むのだ」
「では、なおのこと、受けられませぬ」
夏侯惇が、盃を置いた。
「なぜだ」
「将軍。私は、山の谷に、二十年、隠れておりました。一族と、逃げてきた者と、合わせて数千人が、あの谷で、畑を作って生きております。烏桓に親を殺された者も、子をさらわれた者も、その中に、おります」
「知っている」
「あの者たちに、私は、何と言えばよろしいか。仇を討ちに出て、位を貰って帰った、と言えばよいのですか」
夏侯惇は、長いこと、何も言わなかった。
外で、風が、戸を鳴らしていた。やがて、片目の将は、盃を取り上げて、一息に飲み干した。
「……分かった。俺の負けだ」
「申し訳ございませぬ」
「謝るな。俺は、殿に、負けたと言いに帰るだけだ。殿は、易から戻って以来、機嫌が悪いのでな。もう一つ、悪くなるだけだ」
易から、と田疇は聞き返した。
夏侯惇は、易水のほとりで、殿の謀臣が一人、死んだのだと言った。まだ三十八だった、痩せた、酒好きの男である。北へ出ろと言い出したのは、その男だったという。
田疇は、その名を、そのとき初めて、はっきりと覚えた。
自分が拓いた道を歩けと言ったのは、その男だったのか。道を拓かせた男は、道の途中で死に、道を拓いた自分は、位を断って、また山へ帰ろうとしている。
夏侯惇が帰ったあと、田疇は、鄴の北の城壁に登った。
北の空は、低く、灰色に垂れていた。あの向こうに、削った山があり、埋めた谷があり、掘った井戸がある。あれは、もう、自分の道ではなかった。中央の軍が一度通った道は、中央の道になる。
位は、断れた。
だが、道は、断れなかった。田疇は、それを、しばらく、風の中で考えていた。




