第2話:長社の火
――光和七年(一八四年)、豫州潁川郡、長社。
その年、天下のあちこちで、黄色い布を頭に巻いた者たちが、一斉に立った。
黄巾という。古い天はもう死んだ、いまや黄色い天が代わって立つ――そう唱えて、何十万もの民が、官を襲い、城を焼いた。朝廷は慌てて兵を出した。曹操は、騎都尉に任じられ、騎兵を率いて、潁川へ向かった。乱の、最も激しい地の一つだった。
潁川では、波才という頭の率いる黄巾が、大軍で、皇甫嵩の軍を長社の城に押し込めていた。
曹操が着いたとき、戦は、すでに切迫していた。
城を囲む黄巾は、数で官軍をはるかに上回っていた。だが、その陣は、妙に整っていなかった。曹操は、馬上から、それを見た。黄巾の兵は、城の外の、丈の高い草むらに沿って、ずらりと陣を張っていた。兵というより、田畑から引き抜かれてきた、痩せた百姓の群れだった。手にしているのは、農具を打ち直した刃や、棒きれだった。
その夜、風が出た。
城の中の皇甫嵩が、それを待っていた。兵に松明を持たせ、ひそかに城を出ると、草むらに火を放った。乾いた草は、一息に燃え上がった。風が、火を黄巾の陣へ送った。
炎は、夜空を焦がした。
曹操は、外から、その火を見ていた。
城を囲んでいた何万もの黄巾が、火に追われて、崩れた。痩せた百姓たちが、悲鳴を上げて逃げ惑い、互いを踏み、火に呑まれた。曹操は、頃合いを見て、騎兵を放った。朱儁の軍も、城の皇甫嵩の軍も、一斉に討って出た。逃げる黄巾を、三方から突き、斬った。戦は、戦と呼べるものではなくなっていた。
夜が明けるまでに、数万の黄巾が、長社の野に倒れた。
曹操は、馬を進めながら、その死体を見た。
頭の黄色い布の下は、どれも、見覚えのある顔だった。郷里の譙でも、どこの村にもいる、痩せた百姓の顔だ。飢えて、官に絞られ、それでも生きようとして、最後に黄色い布を巻いた者たちだった。
なぜ、これだけの民が、布を巻いて立ったのか。
曹操には、分かっていた。官が、民を絞ったからだ。県令は官を買い、買った元を取るために民から取り立てる。取られた民は、痩せ、飢え、やがて、失うものが何も無くなる。失うものの無い者が、何十万も生まれた。それが、この黄巾だった。
賊を斬りながら、曹操は、この賊を生んだのは賊ではない、と思った。
布を巻いた百姓ではなく、官を売り買いする、あの都の仕組みのほうだ。その仕組みには、曹操の家も、繋がっていた。曹操は、それを、顔には出さなかった。ただ、夜が明けるまで、黙って、賊を討ち続けた。
その功で、曹操は、済南の相に任じられた。一国を、任される側に回った。




