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三国志 ―正史群像―  作者: ソリトん
第三部 三つへの収斂(しゅうれん) / 第一章 河北の同士討ち

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第14話:南皮

 ――建安十年(二〇五年)、冀州南皮(なんぴ)。


 曹純(そうじゅん)は、馬上で、南皮の城を見ていた。

 鄴が落ちて、河北の府は、曹操のものになった。だが、まだ、終わってはいなかった。北へ逃げた末弟の袁尚に代わって、今度は、長兄の袁譚が、動いた。弟が潰れて、河北に主がいなくなると見るや、袁譚は、曹操との婚姻の約を、あっさりと破った。援けを乞うておきながら、河北の空いた地を、自分の手で拾おうとした。

 曹操は、それを待っていたかのようだった。

 約を破った袁譚を討つ、という名分が、これで立つ。曹操は、子の嫁に迎えていた袁譚の娘を送り返し、兵を返して、袁譚の籠もる南皮を囲んだ。曹純は、その先鋒にあった。

 曹純が率いるのは、虎豹騎(こひょうき)だった。

 曹操の軍の中でも、選び抜かれた、騎の精鋭である。百人の将となるべき者を選りすぐって、一騎にする、とまで言われた。天下に聞こえた、曹操の牙だった。曹純は、その虎豹騎を、久しく預かってきた。派手を好まず、言葉も少ない男だったが、この一隊を動かすことにかけては、曹操の信は、厚かった。

 南皮の城兵は、よく、戦った。

 追い詰められた袁譚の軍は、思いのほか、粘った。城を出て、逆に曹操の軍に斬り込み、一度は、曹操の兵を押し返しさえした。曹操が、じきじきに前へ出て、退く兵を叱咤した。戦いは、一日、激しく続いた。四世三公の名門の最後の兵たちである。滅びの間際に、その兵は、この戦いで、いちばん強く、燃えた。

 だが、地力の差は、覆らなかった。

 やがて、袁譚の軍は、崩れた。城が破れ、兵が散った。袁譚は、わずかな供とともに、城を捨てて、逃げた。

 曹純は、馬の腹を、軽く締めた。

 隣に、隊を分けて預かる者が、馬を寄せてきた。


「二手に分けますか。北へ抜けるなら、川筋の道です」

「分けるな。一つで当てる」


 それだけ言って、曹純は、鞭の先で、逃げていく土煙を指した。

 虎豹騎が、動いた。

 百人の将となるべき者を選りすぐった隊である。列は、走りながら、崩れなかった。曹純は、その先頭の少し後ろにいて、馬の首越しに、前だけを見ていた。土煙が、近づいた。

 逃げる袁譚に、虎豹騎が、追いついた。

 馬を並べ、これを囲む。袁譚は、名門の当主でありながら、ろくに戦うこともできず、あっけなく、馬から落とされた。曹純の兵の一人が、その首を討った。四世にわたって三公を出し、河北四州を併せた、あの袁氏の――その長子の、それが、最期だった。

 兵が、その首を掲げて、馬を返してきた。


「袁譚に、相違ありません」

「顔を知る者に、確かめさせろ。青州から降った者がいる」


 曹純は、馬を降りた。

 脚に、力が入りにくかった。討たれた袁譚の骸のそばまで歩いて、その顔を、上から見た。

 武勇があったわけでも、器量があったわけでもない。ただ、父祖の名望という、大きな家に生まれた、それだけの男だった。その名望が、この男に四州の半ばと、十万の兵の一部とを与えた。そして、その名望を、この男は、弟と争って、食い潰した。地は、あった。兵も、あった。ただ、それを束ねる器だけが、なかった。

 城が、静まった。

 曹操は、その日のうちに、令を下した。


「袁譚のために泣く者があれば、妻子ともに斬れ」


 降った河北の地を鎮めるための、厳しい令だった。

 城の内外に、その令が、触れ回された。誰も、口を開かなかった。曹純は、城門の脇に立って、令を聞く者たちの顔を見ていた。動く顔は、一つも、なかった。

 だが、一人だけ、令に背いた者がいた。

 王脩(おうしゅう)という、袁譚の旧臣だった。青州で、袁譚に仕えていた男である。南皮の落ちたことを聞いて駆けつけ、討たれた主君の骸に取りすがって、声をあげて泣いた。泣いてから、みずから縄をかけさせて、曹操の前へ出た。曹純は、その場に、いた。


「袁氏には、厚い恩を受けました。譚さまの骸を、この手で収めさせてください。そのうえで斬られるのなら、恨みはございません」


 曹操は、何も言わなかった。

 長い間があった。答えぬまま、この男が何を言い足すかを、見ているようだった。王脩は、額を上げなかった。


「最後まで、お仕えし通せませんでした。喪にも出せぬままです。……お許しいただけるなら、たとえ今日斬られても、その日は、私にとって、生きた日になります」

「――葬れ」


 曹操が、そう言った。

 曹純は、その処置を、黙って見ていた。

 令に背けば、妻子もろとも斬られる。それを承知で、この男は、負けた主君のために泣きに来た。滅びた家になお、殉じようとする者が、ここにも、一人いた。鄴で北を向いて死んだ、あの審配という男のことを、曹純は、噂に聞いていた。あれと、同じ眼をした男だ、と思った。

 王脩は、そののち、召し抱えられた。

 負けた家に殉じようとする者を、勝った主が、惜しんで拾う。滅びる家からこぼれた人が、また一人、勝つ側へ移っていく。曹操の下には、そうして、河北の人が、次々と、流れ込んでいた。

 南皮が平らぎ、冀州は、ことごとく、曹操のものになった。

 去年の秋、曹操が冀州牧を兼ねた時点で、この州の座は、もう入れ替わっていた。残っていたのは、その座に背を向けて出て行った長子の始末だけだった。四世三公の名門は、外に敗れたのではなく、内から割れ、兄が弟を撃ち、甥が叔父を売り、そうして、根こそぎ、崩れ落ちた。名門の没落は、ここに完成した。

 北へ逃げた末弟の袁尚は、次兄の袁熙を頼って、幽州へ走った。

 だが、その幽州でも、身内が、二人に叛いた。行き場を失った兄弟は、さらに北の辺境の烏桓(うがん)――塞外の騎馬の民のもとへ身を寄せるほかなくなった。袁氏の血を引く者が、河北の地から追われ、長城の外へ逃げていく。曹純は、北の空を見た。

 あの兄弟を追って、次は、塞の外へ――曹操の軍が、向かうことになる。

 だが、それは、まだ先のことだった。曹純は、虎豹騎の隊列を返した。南皮の野に、袁氏の名門の最後の火が、消えた。冀州の秋の風が、討たれた者たちの上を、乾いた音を立てて吹き渡っていった。



第一章 河北の同士討ち ――完。


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