第9話:北へ向いて
――建安九年(二〇四年)、冀州鄴。
審配は、縄を打たれて、曹操の前に引き出された。
城が落ちて、なお戦い、ついに囲まれて、生きたまま捕らえられた。痩せて、傷を負い、それでも、審配の背は、伸びていた。引き据えられても、その目は、伏せられなかった。
曹操は、その審配を、しばらく眺めていた。
この男の剛直さは、曹操も、かねて聞き知っていたという。鄴を、これほど長く守り抜いたのも、この男の一徹さゆえだった。使えるものなら使いたい、という顔をしていた。曹操が、口を開こうとした、そのとき――
傍らから、一人の男が、進み出た。辛毗だった。
審配は、その顔を見て、はじめて、表情を動かした。この男の兄は、袁譚の腹心の辛評である。そして、辛毗が袁譚の使者として曹操のもとへ走ったとき、審配は、鄴に残っていた辛評の一族を、家を割る側に付いた者の縁者として、ことごとく、獄に下し、死なせていた。
辛毗の目が、赤かった。手には、馬の鞭が、握られていた。
その鞭が、いきなり、審配の頭に落ちた。
「人でなしが。……お前は、今日、本当に、死ぬのだぞ」
二度、三度と、鞭が来た。ほかにも、袁氏に一族を殺された者が、幾人か、いた。その者たちが、争うように、鞭を振るった。額が切れて、血が、目に入った。
審配は、縄目のまま、首だけを回した。
そして、その者たちを、見上げた。
「犬ども。私の冀州を破ったのは、外の兵ではない。お前たちだ。生きているうちに、お前たちを殺しておけなかったのが、心残りだ。……それに、私を殺すか生かすかは、お前たちの決めることではあるまい」
鞭が、止まった。
辛毗の手が、震えていた。振り上げた腕が、そのまま、下りなかった。血の流れる顔に、悔いは、微塵もなかった。審配は、その男から、目を逸らした。逸らした先に、曹操がいた。曹操が、静かに問うた。私に仕えぬか、と。この城を守り抜いたお前の力を惜しむ、と。
審配は、首を横に振った。
仕えぬ。この身は、袁氏のものだ。曹操は、なおも問うた。袁尚は、北へ逃げ、もはや家を興す望みもない。それでも、か、と。審配は、答える代わりに縄を打たれた身を、ゆっくりと動かした。膝を折り、体の向きを変えていく。
北を向いた。
北へ逃げた、主君の袁尚のいる方角である。滅びかけた家の逃げた当主の方へ、審配は、まっすぐに向き直った。
「我が君は、北にあられる。斬るなら、私の首を、北へ向けたまま、斬れ」
周りの者が、息を呑んだ。
勝った側に膝を屈すれば、生きられた。その力を、曹操は、確かに惜しんでいた。それでも、審配は、負けた主君の方へ体を向けて、動かなかった。地は、失われた。城は、落ちた。主君は、逃げた。何一つ、残らなかった。ただ、この一身が北を向くこと、その一点だけは、誰にも、奪えなかった。
うしろで、刃を抜く音が、した。
審配は、北の空を見ていた。城壁も、水も、飢えた民も、裏切った甥も、もう、目に入らなかった。ただ、遠い北の、逃げた主君のいる方角の灰色の空だけが、見えていた。滅びゆく家に殉じる、それが、この身の最後の務めだった。
その空が、審配の目に映る、最後のものになった。




