第7話:水の城
――建安九年(二〇四年)、冀州鄴。
審配は、水の中に沈みかけた城を守っていた。
弟の袁尚が、兄の袁譚を攻めるために、大半の兵を率いて、鄴を留守にしていた。その隙を、曹操は、逃さなかった。黄河を渡った曹操の軍が、あっという間に鄴を囲んだ。城の主である袁尚は、遠く平原の前線にいて、帰ってこられない。鄴を守るのは、留守を預かる審配、ただ一人だった。
曹操の攻めは、力押しではなかった。
城の周りに深い壕を幾重にも掘らせた。その長さは、四十里に及んだ。初めは浅く掘るのを、審配は、城壁から見て、あざけった。あの程度の壕では、兵の行き来を止められはせぬ、と。ところが、曹操は、一夜のうちに、その浅い壕を深く、広く、掘り改めさせた。人も馬も、越えられぬ壕になっていた。鄴は、外と、断ち切られた。
そして、曹操は、水を引いた。
城の北を流れる漳水を、掘った壕へ堰を切って流し込んだ。濁った水が、じわじわと、城の根を浸していった。城の中の井戸に外の水が滲み、地面が、ぬかるみはじめた。鄴は、水の輪の中に閉じ込められた。
それからが、長かった。
外との道が断たれれば、城の中の穀は、日ごとに減っていく。夏が過ぎ、秋が来ても、袁尚は、帰ってこなかった。城の民は、痩せ、やがて、倒れはじめた。飢えて死ぬ者が、日に日に増えていった。城の中の半ばが、この囲みのあいだに、餓えて死んだ、と後に言われた。
審配は、それでも、城門を開けなかった。
主君の城である。主君の穀であり、主君の民である。それを外の者に渡すわけにはいかぬ。審配は、痩せた兵を励まし、崩れかけた守りを繋ぎとめた。飢えた民が、降ろうと騒げば、これを抑えた。剛直に過ぎる、と、また誰かが言った。だが、審配には、迷いがなかった。
袁尚が、遅ればせに鄴を救おうと、兵を返してきた。
だが、その救援も、曹操にあっさりと打ち破られた。袁尚の軍は、散り、袁尚自身は、北の山中へ逃げた。鄴を救う望みは、これで、絶えた。城の外に残ったのは、勝ち誇る曹操の軍だけになった。それでも、なお、審配は、城を守り続けた。
救いの当てが尽きても、守る。それが、審配の忠だった。
城の兵は、審配に従う者と、もう見込みはないと見て、心の離れた者とに分かれつつあった。審配は、それを感じていた。だが、感じていながら、審配は、なお、身内を信じた。城の東門の守りを、甥の審栄に任せていた。血の繋がった甥である。
審栄は、若い頃から、辛毗と親しかった。
審配は、それを知っていた。知っていて、東門を任せた。去年、辛毗が袁譚の使者として曹操のもとへ走ったとき、審配は、鄴に残っていた辛評の一族を、家を割る側に付いた者の縁者として、ことごとく獄に下した。老人も、女も、子も、区別しなかった。
甥は、そのとき、一度だけ、叔父の前に来た。
「あの人たちは、何もしておりません。獄に入れられているのは、ただの家の者です。老人と、女と、子どもばかりです。……せめて、女と子どもだけでも、お放しください」
「家を割る者に連なる者は、家を割る者だ」
審配は、それだけ答えた。
甥は、しばらく、そこに立っていた。それから、一礼して、下がった。それきり、その話を、二度としなかった。
しなくなったのを、審配は、聞き分けたのだと受け取った。
この城で、最後まで信じられるのは、身内だけだ。審配は、そう思っていた。血が繋がっているというだけの、それだけの理屈だった。
その身内が、城を売った。
ある夜、審栄が、東門を内から開いた。曹操の兵が、開いた門から、水の輪を越えて、なだれ込んだ。半年、水と飢えに耐えて落ちなかった城が、たった一つの門から、崩れた。外の水攻めでも、内の飢えでもなく、身内の手が、この城を開けた。開けさせたのは、一年前に、自分が獄へ送った幾十の家の者たちだった。
審配が、そのことを知ったとき、鄴は、もう、曹操のものだった。
同じ家の兄弟が、割れた。その家に仕えた甥が、叔父を売った。審配は、剣を取って、崩れかけた城の中を、なお戦った。だが、それは、もはや、城を守る戦いではなかった。滅びゆく家の最後の一人が、滅びに殉じるための戦いだった。




