第5話:兄弟
――建安八年(二〇三年)、冀州黎陽。
兄弟の陣は、河を挟んで、向かい合っていた。
辛毗は、その一方の陣で、来るはずの日を数えていた。
辛毗は、豫州潁川郡の出である。乱を避けて河北へ流れ、兄の辛評とともに、袁紹に仕えた。兄は袁譚の腹心となり、郭図とならんで、その謀を預かった。辛毗もまた、袁譚の下にあった。潁川の名士の家が、河北の名門に仕える――乱世では、珍しいことではなかった。
だが、その名門が、内から割れていた。
父の座を弟に奪われた袁譚は、それを腹に据えかねていた。弟の袁尚は袁尚で、兄を信じていなかった。曹操が黄河を越えて黎陽に迫ったとき、兄弟は、ひとまず力を合わせて城を守った。だが、それは、束の間のことだった。曹操が兵を退くと、二人は、また互いに牙を剥いた。
袁譚が、鄴の弟に兵と鎧を送れと求めたときのことを、辛毗は、忘れられない。
弟の袁尚は、その求めに応じなかった。わずかな兵しか寄こさず、そのうえ、逢紀を目付として、兄の陣へ送りつけた。兄が兵を持ちすぎぬよう、見張らせるためだった。父の代からの重臣を目付に使う。それが、この兄弟の互いへの信の程だった。
袁譚は、荒れた。
もっと兵を寄こせ、と重ねて使いを出しても、鄴からは、色よい返事が来ない。ある日、袁譚は、目付として来ていた逢紀を陣の中で斬らせた。
「弟が兵を出さぬのは、この者が、あいだで告げ口したからだ」
袁譚は、そう言い立てた。辛毗は、その場にいた。
逢紀が、何も弁解できぬまま、引き据えられ、斬られるのを、辛毗は、見ていた。父の代から家を支えてきた老臣が、家の兄弟の争いのとばっちりで死ぬ。逢紀を斬ったところで、弟が兵を寄こすわけではない。ただ、兄の腹立ちのはけ口にされただけだった。
これは、と辛毗は思った。もう、家ではない。
名門というものは、当主一人の器で持っているのではない。父祖の名望が、家臣を集め、地を束ねる。その名望が、これほどの兵と、これほどの地を、この家に与えた。だが、その名望を継ぐべき兄弟が、揃いも揃って、それを食い潰す小さな器だった。地は、そのままそこにある。人も、まだ大勢いる。ただ、その地と人を束ねる、たった一つの結び目が、抜け落ちていた。
果たして、その年のうちに、兄弟は、正面から戦った。
袁譚が弟を攻め、逆に、弟の袁尚に打ち破られた。袁譚は、兵を失って、北の平原の城へ逃げ込んだ。弟の軍が、その平原を幾重にも囲んだ。同じ父を持つ兄弟が、片方の城を片方が攻める。城の内も外も、同じ袁紹の兵、同じ河北の民だった。
城の中で、袁譚は、追い詰められていた。
郭図が、一つの策を進言した。辛毗も、その場にいた。
「もはや、我らだけでは、袁尚を防げませぬ。ここは――曹操に、降るのです」
その一言に、陣の中が、静まり返った。
曹操は、父を官渡で破った相手である。その曹操に頭を下げ、援けを乞う。袁譚の顔が、歪んだ。だが、郭図は、退かなかった。曹操を引き入れ、その力で弟の袁尚を挟み撃ちにする。弟を潰したのち、疲れた曹操をあらためて追い払えばよい、と。
袁譚は、しばらく黙っていたが、やがて、頷いた。
使者を誰にするか。名の通った、弁の立つ者でなければ、曹操は動くまい。郭図の目が、辛毗に向いた。袁譚の目も、辛毗に向いた。
辛毗は、それを断れなかった。
袁譚の陣を出て、南へ曹操のもとへ向かう。その道の意味を、辛毗は、痛いほど分かっていた。弟に勝つために、外の狼を、家の中へ招き入れる。招かれた狼が、弟だけを食って、おとなしく去るはずがない。それでも、いま袁譚を救う道は、ほかになかった。
辛毗は、平原の城を出て、馬を南へ向けた。
背後で、弟の軍の雄叫びが、風に乗って聞こえた。同じ家の兵の声だった。辛毗は、振り返らなかった。潁川の名士の家が、ここで、河北の名門に見切りをつけ、次の主のもとへ移ろうとしていた。乱世では、珍しいことではなかった。ただ、その一歩を踏み出す己の馬の蹄の音が、辛毗には、やけに重く聞こえた。




