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三国志 ―正史群像―  作者: ソリトん
第三部 三つへの収斂(しゅうれん) / 第一章 河北の同士討ち

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第3話:割れる家

 ――建安七年(二〇二年)五月、冀州鄴。


 審配は、主君の死を、その夜のうちには公にしなかった。

 寝所の戸を閉ざさせ、府の門を固めさせ、灯だけは、いつものとおりに点けさせた。城の者には、袁紹はまだ床にある、と言わせた。灯の下で向かい合った逢紀の顔は、こわばっていた。


「書き遺されなかった。ひと言も、だ」

「……ああ。だが、御心は、はっきりしておられた」


 鄴の城は、河北の府だった。

 審配は、その留守を預かる身である。袁紹が兵を率いて外へ出るあいだ、この城と、城に積んだ穀と、城の民とを審配が守ってきた。剛直に過ぎる、と人は言った。融通が利かぬ、とも。だが、家に仕えるとはそういうことだ、と審配は思っていた。主君が地に築いたものを、命に代えても守り抜く。それだけだった。

 その主君が、いない。

 袁紹は、末子の袁尚を跡継ぎにと望みながら、長幼の序を破ることをためらって、ついに定めなかった。その代わりに、長子の袁譚を亡兄の家へ養子に出す形にして、青州の刺史――州の監察をつかさどる役に遠ざけていた。次子の袁熙も、幽州へ出した。手元に置いたのは、末子の袁尚だけだった。

 誰の目にも、袁紹の心は見えていた。

 だが、心と、定めとは違う。主君は、末子を跡継ぎと、書き遺してはいない。

 審配には、恐れがあった。

 もし、長子の袁譚が跡を継げば――袁譚には、郭図(かくと)と辛評(しんぴょう)という、二人の腹心がついている。この二人は、かねて審配や逢紀と、反りが合わなかった。袁譚が立てば、真っ先に退けられるのは、自分たちだ。いや、退けられるだけでは、済むまい。

 だが、と審配は、己に言い聞かせた。

 これは、身の保全のためではない。主君は、末子を望んでおられた。その主君の心のとおりに、袁尚を立てる。それが、家に仕える者の務めだ。審配は、そう己に言い聞かせた。言い聞かせねばならぬ、ということ自体が、既に後ろ暗さの証しであったが、審配は、それを見ないことにした。

 夜が明ける前に、二人は、決めた。

 袁紹の遺命により、末子の袁尚が跡を継ぐ。そう定め、そう触れさせた。主君の口から一度も出なかった言葉を、主君の遺した言葉ということにした。決めなかった当主の代わりに、遺された者が決めた。長子の袁譚が青州から駆けつける前に、鄴の実権を、審配と逢紀は、袁尚の手に握らせた。

 袁譚が鄴に着いたときには、すべてが終わっていた。

 弟の袁尚が、既に父の座に就いていた。袁譚は、その事実の前に、立ち尽くした。長子でありながら、家を継げなかった。袁譚は、鄴には入らず、みずから車騎将軍――都の軍を束ねる高い将位を名乗って、南の黎陽(れいよう)に陣を張った。曹操の兵が、黄河のすぐ向こうに迫っている、その最前線である。

 兄が南の守りに就き、弟が鄴の府に座る。

 形の上では、兄弟が南北から家を支える構えだった。だが、審配には分かっていた。あれは、支えではない。袁譚は、鄴に背を向けて、出て行ったのだ。

 審配は、城壁の上から、南の空を見た。

 主君は、地を遺した。四つの州と、十万の兵と、満ちた倉と。だが、その地を束ねる一人が、もういない。遺されたのは、地と、その地を奪い合う二人の兄弟だった。名門の家は、外の曹操に敗れて崩れたのではない。まだ、内から割れはじめたばかりだった。

 夜が更けても、審配は、城壁を降りなかった。

 遠く、黎陽の袁譚の陣にも、鄴の袁尚の府にも、篝火(かがりび)が焚かれていた。同じ家の火が、南と北で、別々に燃えていた。その二つの火のあいだの闇を、審配は、長いあいだ、見ていた。


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